築地市場~銀座散歩 6月26日(土) | 東京散歩道

東京散歩道

「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「リバイバル 築地市場~銀座散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は築地市場駅から。

 

まずは、浜離宮前踏切へ。

 

 

浜離宮前踏切は、中央区銀座8丁目にある鉄道踏切信号機。

この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987)まで、国鉄汐留駅(貨物駅)と築地市場間を結ぶ貨物引込線の踏切として使われていました。

最盛時には1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止とともに引込線も撤去。

しかしながら、浜離宮前踏切は銀座に残る珍しい鉄道踏切信号機だったことから、地元民の要望によって保存されました。

 

浜離宮前踏切の次は、旧新橋停車場 鉄道歴史展示室へ。

 

 

途中、建築家•黒川紀章の初期の代表作「中銀カプセルタワービル」の外観をチェック。

 

 

旧新橋停車場 鉄道歴史展示室は、港区東新橋1丁目にある、東日本鉄道文化財団が運営する鉄道関連の展示室で、建物は、明治5年(1872)10月14日に開業した日本初の鉄道ターミナル新橋停車場と同じ位置に、できるだけ忠実な姿で再現されています。

当時の駅舎は、アメリカ人R・P・ブリジェンスの設計による木骨石張り構造で、明治4年(1871)12月に完成。

しかし、大正3年(1914)に、新設の東京駅に旅客ターミナルとしての機能が移されたため、新橋停車場は貨物専用駅となり、汐留駅と改称されました。

その後、大正12年(1923)年9月1日の関東大震災で旧駅舎が焼失。

残存していたプラットホームや構内の諸設備も汐留駅改良工事のために解体されました。

昭和61年(1986)の汐留駅廃止後は、埋蔵文化財発掘調査が行われ、その結果、旧新橋停車場駅舎やプラットホームなど、構内諸設備の礎石が発掘され、平成8年(1996)12月10日、駅舎とプラットホームの一部の遺構が史跡「旧新橋停車場跡」として国の指定を受けたため、史跡保護と鉄道発祥の往時を偲ぶために駅舎再建が決定。

平成15年(2003)4月10日、オープンとなりました。

 

※この日は、 鉄道歴史展示室で開催中の「第55回企画展 全線運転再開1周年記念 常磐線展」を見学。(写真撮影不可)

 

旧新橋停車場 鉄道歴史展示室の次は、金春通り煉瓦遺構の碑へ。

 

 

金春通り煉瓦遺構の碑は、中央区銀座8丁目にある記念碑。

かつて銀座は、日本に2箇所しか建設されなかった煉瓦街の一つでした。

煉瓦はフランス積みで、明治5年(1872)から明治10年(1877)にかけて、当時の国家予算の4%弱を費やし、延べ約10㎞にわたる煉瓦街が造られました。

この煉瓦は、銀座8丁目8番地の金春屋敷跡地で発掘されたもので、ゆかりの金春通りに記念碑となって保存されています。

 

金春通り煉瓦遺構の碑次は、金春小路へ。

 

 

今回のお散歩ツアーでは、名所巡りのほか、銀座に幾つもある細かい路地をご案内。

中でも極め付けは、この金春小路。

人一人通るのがやっとの薄暗い路地で、皆さんに探検気分を味わっていただきました。

 

金春小路のほか、幾つか路地を巡った後は、豊岩稲荷神社へ。

 

 

豊岩稲荷神社は、中央区銀座7丁目にある稲荷大神(宇気母智神)を御祭神として祀る神社。

「銀座八丁神社めぐり」の一社で、明智光秀の家臣•安田作兵衛が主家の再建を願って祀ったという伝説が残っており、縁結び・火伏せの神として崇敬を集めています。

 

豊岩稲荷神社の次は、ギンザ・グラフィック・ギャラリーへ。

 

 

ギンザ・グラフィック・ギャラリーは、中央区銀座7丁目にあるグラフィックデザインの専門ギャラリー。

「ginza graphic gallery」の3つのgの頭文字をとった「スリー・ジー(ggg)」の愛称で親しまれており、大日本印刷の文化活動の一環として、昭和61年(1986)に設立。

展覧会やレクチャーの開催、「gggBooks」等の出版活動を行い、グラフィックデザインの素晴らしさを伝えています。

なお、企画・運営は、大日本印刷創立130周年記念事業の一つとして設立されたDNP文化振興財団が行っています。

 

※この日は、 開催中の「第383回企画展 SPORTS GRAPHIC」を鑑賞。

 

ギンザ・グラフィック・ギャラリーの次は、三輪神社へ。

 

 

三輪神社は、中央区銀座6丁目、ギンザコマツ西館屋上庭園内に鎮座する「天空神社」と称される神社。

天空神社は、小松ストアーの社長·小坂敬氏が大和国一宮の大神神社から勧請したもので、最初の社は平成4年(1992)に設置。

その後、平成24年(2012)のギンザコマツオープン時に、新しくなった神社が公開されました。

天空神社には、大神神社が三輪山そのものを御神体としているのと同様に、社殿は無く、敷地北側に磐座が祀られ、その前に大神神社の三ツ鳥居を模した鳥居が立っています。

また、まわりには樹木が植えられており、都会の真ん中にいながら、心が清められるスポットになっています。

 

 

初日は、こちらの屋上庭園の片隅で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

三輪神社の次は、あづま稲荷大明神へ。

 

 

あづま稲荷大明神は、中央区銀座5丁目に鎮座する倉稲魂命を御祭神として祀る神社。

「銀座八丁神社めぐり」の一社で、由緒は、戦後メインストリートとして発展した「あづま通り」と「三原小路」に火災が続発し、町内の人々が不思議に思い調査したところ、かつてこの一角にお稲荷さんが祀られていたことが判明。

そこで、町内一同で京都伏見稲荷大明神講中をつくり、「あづま稲荷大明神」と命名し、伏見稲荷大社より勧請。

氏神様である山王日枝神社の神職に祈祷をしてもらい、現在地に祀ったところ、以後、火事に遭わなくなり、火防・盗難除けの神として崇敬を集めるようになりました。

 

 

あづま稲荷大明神の次は、銀座のランドマークとして知られる和光本館を眺めつつ、銀座出世地蔵尊へ。

 

 

銀座出世地蔵尊は、中央区銀座4丁目の銀座三越9階テラスに安置されている地蔵尊(写真中央)。

由緒は、明治の初め頃、三十間堀川で見つかり掘り出され、地元の鳶職が銀座の空地に安置したところ、人々がお参りするようになり、やがて開運・出世・延命・商売繁盛のご利益があると広まり、縁日が立つまでになりました。

そして、震災や戦災を乗り越えた後、昭和43年(1968)の銀座三越の新築に際し屋上に移設。

築地本願寺によって開眼法要が行われ、銀座八丁の守り本尊となりました。

地蔵尊は、掘り出されたお地蔵様が百貨店の屋上にまで出世したことから「銀座出世地蔵尊」と呼ばれ、また、明治の銀座の面影を伝える貴重なものであることから、中央区民有形民俗文化財に登録されています。

 

銀座出世地蔵尊の次は、朝日稲荷神社へ。

 

 

朝日稲荷神社は、中央区銀座3丁目に鎮座する倉稲魂命を祀る神社で「銀座八丁神社めぐり」の一社。

大広朝日ビル1階に拝殿、屋上に本殿があり、商売繁盛・家内安全の神として信奉されています。

創建年代は不詳ですが、古来より銀座に鎮座。

安政江戸地震(1855)で社殿が倒壊し、三十間堀川に埋もれたまま大正期に至りますが、関東大震災発生時に川底が隆起し、埋もれていた御神璽(おみたま)が出現したため、旧社地に社殿が再建されました。

その後、戦災で焼失しますが再び安置。

そして、昭和60年(1985)、大広朝日ビルが建てられた際に屋上に奉斎されました。

 

 

朝日稲荷神社の次は、銀座 木村家に行って、各々あんバターなど気になるパンを買って、おやつタイム。

 

おやつタイムの次は、銀座発祥の地へ。

 

 

銀座発祥の地(銀座役所趾)は、中央区銀座2丁目に立つ、江戸時代この地に銀座があったことを記念して、銀座通連合会によって昭和30年(1955)に建てられた記念碑。

江戸時代の銀座とは、銀及び銀貨の鋳造・取締りを司った幕府の機関のことで、慶長6年(1601)に伏見に創設。

慶長11年(1606)には駿府にも設けられますが、慶長17年(1612)に江戸新両替町(銀座2丁目)に移されました。

銀座役所では貨幣鋳造と銀地金の売買が行われましたが、その後、寛政12年(1800)から享和元年(1801)にかけて日本橋蛎殻町に移転。

そして、明治2年(1869)に廃止されます。

しかし、銀座は地名として残り、日本有数の繁華街に発展しました。

 

銀座発祥の地の次は、奥野ビルへ。

 

 

奥野ビルは、中央区銀座1丁目にある、地上7階、地下1階の鉄筋コンクリート造の近代建築。

設計は同潤会の建築部長を務めた川元良一です。

当ビルは、かつては「銀座アパートメント」と呼ばれた界隈でも屈指の高級アパートでした。

現在、住居利用者はなく、事務所や画廊を中心としたテナントが数多く入っています。

また、戦前建築ならではの、開閉ドアが手動のエレベーターが今も使われています。
 

※もとは、昭和7年(1932)築の本館と昭和9年(1934)築の新館が左右対称に並んだ6階建てで、7階部分は後に増築されました。

 

奥野ビルの次は、幸稲荷神社へ。

 


 

幸稲荷神社は、中央区銀座1丁目に鎮座する倉稲魂命を祀る「銀座八丁神社めぐり」の一社。

土地再開発のため、一時的に山王日枝神社の境内に仮遷座していましたが、平成26年(2014)10月に旧地より若干移動して再建。

創建年代は不詳ですが、昔は太刀市が立ったことから、「太刀売稲荷」と呼ばれていた社で、縁結び・商売繁盛・家内安全にご利益があるとされ、江戸期から崇敬を集めてきた銀座1丁目の守り神です。

 

幸稲荷神社の次は、宝童稲荷神社へ。

 

 

宝童稲荷神社は、中央区銀座4丁目に鎮座する倉稲魂命(推定)を祀る「銀座八丁神社めぐり」の一社。

もとは徳川将軍家の跡継ぎの成長を守るために江戸城内に祀られていた神社で、町名主の弥左衛門が神霊の分祀を願い出て許され、町内の氏神にしたのがはじまりという、子育ての神様。

平成28年(2016)には新しい参道が完成し、「猿結(えんむすび)参道」(※)と名付けられました。


※申年に竣工したこと、また、猿は古来より、神の使い・魔除け・守護神として祀られてきたことや、「猿=えん」から縁結びにも通じるとして、こう命名されました。

 


 

宝童稲荷神社をお参り後、最後に裏路地を一本案内して、銀座駅でお散歩は終了。

 

その後、ご希望された方々とファミレスで一休みして解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com