高輪ゲートウェイ~白金台散歩 1月11日(月) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「第152回 高輪ゲートウェイ~白金台散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

 

出発は令和2年(2020)3月14日のダイヤ改正にあわせて暫定開業した、真新しい高輪ゲートウェイ駅から。

 

まずは、高輪神社へ。

 

 

高輪神社は、港区高輪2丁目に鎮座する、宇迦御魂神・誉田別命・猿田彦神を祀る高輪一円の総鎮守。

創建は室町時代中期・明応年間(1492~1501)で、お稲荷様・八幡様・猿田彦様を祀り、境内社には聖徳太子を祀る高輪太子宮が鎮座。

昭和4年(1929)年に社名を「稲荷神社」から「高輪神社」に改称し、現在の社殿は昭和55年(1980)に造営。

初詣、鎮火祭、節分祭、中祭、例祭(9月10日)、七五三詣の他、三年に一度、神社大神輿の渡御が例祭日に近い日曜日に斎行されます。

 

高輪神社の次は、洞坂へ。

 

 

洞坂は、港区高輪3丁目にある坂。

「法螺坂」「鯔坂」とも書くそうで、この辺りの字を洞村と言ったのが由来。

洞村とは昔、ほら貝が出たとも、窪地だから洞という等、様々な説が。

路面が赤く滑り止め塗装され、道幅も狭く曲がりくねっているところから、坂道愛好家の間では有名で見応えがあります。

 

洞坂の次は、東禅寺へ。

 

 

東禅寺は、港区高輪3丁目にある臨済宗妙心寺派の別格本山。

東禅寺は開基の飫肥藩主伊東家の他、仙台藩主伊達家、岡山藩主池田家等の菩提寺で、臨済宗妙心寺派の江戸触頭でした。

また、最初の英国公使館が置かれた場所であり、幕末の開国に伴い、安政6年(1859)6月、初代英国公使ラザフォード・オールコックが着任すると、東禅寺はその宿所として提供され、慶応元年(1865)6月まで英国公使館として使用。

その間、文久元年(1861)5月に尊王攘夷派の水戸藩浪士に、翌文久2年(1862)5月には松本藩士による襲撃事件が発生しました。

現在の東禅寺の寺域は往時に比べ縮小し、建物の多くも失われていますが、公使館員の宿所となっていた「僊源亭」やその前の庭園などは良好な状態で残されており、幕末期の米・仏・蘭などの各国公使館にあてられた寺院が大きく改変された中で、東禅寺は公使館の姿を伝えるほぼ唯一の寺院であることから、国指定史跡となっています。

 

 

初日は東禅寺の三重塔をバックに記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

東禅寺の次は、光福寺へ。

 

 

光福寺は、港区高輪3丁目にある、開運山と号する浄土宗の寺院。

もとは「相福寺」と称しましたが、明治13年(1880)、芝にあった源光寺と合併して「光福寺」と改称。

境内には、「開運稲荷」が鎮座する他、「ゆうれい地蔵」と呼ばれる「子安栄地蔵尊」が安置されています。

 

光福寺の次は、高野山東京別院へ。

 

 

高野山東京別院は、港区高輪3丁目にある、弘法大師を本尊として祀る高野山真言宗の総本山金剛峯寺の別院。

もとは、高野山の学侶方の在番所として慶長年間(1596~1615)に開創された後、幕府と宗務全般の交渉、および幕府の諸通達を全国の古儀真言寺院に達する触頭として、延宝元年(1673)に「高野山江戸在番所高野寺」として建立。

高野山から重役方が交代で参勤し、学侶教修の道場、大師信仰の実践の場として重要な役割を果たしました。

明治に入って在番所の廃止に伴い、葛飾牛島の長寿寺から名蹟を移し、そして、昭和2年(1927)に「高野山東京別院」と改称。

住職は、総本山金剛峯寺の座主が兼務し、主監を任命して、東京別院の運営にあたっています。

境内には不動堂・修行大師・お砂踏み場等があり、お遍路の受け入れも万全。

また、高野山東京別院は、壇信徒のみならず、多くの人々から「高輪結び大師」と呼ばれ、崇敬を集めています。

 

高野山東京別院の次は、高輪消防署二本榎出張所へ。

 

 

高輪消防署二本榎出張所は、港区高輪2丁目にある消防署。

現庁舎の落成は、昭和8年(1933)12月。

建物は、鉄筋コンクリート造地上3階建てで、海抜約25mの位置にあり、新築当時は東京湾を眼下に眺望することができました。

建物の特徴としては、1階の腰壁は花崗岩の切り出し積みで、ひさしや窓台は左官洗い出し仕上げとなっており、外壁はクリーム色の磁器タイルで覆われ、玄関は御影石に木製の扉でできています。

3階は、8本の梁が天井の中心に集まり、10個の窓部アーチと一体となった、独特の意匠が目を引く円形講堂で、円形講堂の上には円筒形の望楼があり、昭和46年(1971)まで、火災の見張りに使われていました。

さらに望楼塔頂部には、東京都の文化デザイン事業によって、青いシンボルタワーを昭和59年(1984)に設置。

ドイツ表現主義と呼ばれるデザインが特徴的な高輪消防署二本榎出張所は、近代建築の遺産として、学術的、文化的にも貴重であることから、平成22年(2010)3月に「東京都選定歴史的建造物」に選定されています。

 

 

高輪消防署二本榎出張所では、まず3階の円形講堂を見学。

 

 

その後、車庫に行って、昭和16年(1941)から昭和39年(1964)まで活躍した「ニッサン 180型消防ポンプ自動車」を見せていただきました。

 

高輪消防署二本榎出張所の次は、おやつタイム。

 

 

港区高輪2丁目にある「ブーランジェリー セイジアサクラ」に行って、一番人気のチーズカレーパンを買い、通り向かいの広場でみんなで焼き立てのパンを堪能しました。

 

おやつタイムの次は、黄梅院へ。

 

 

黄梅院は、港区高輪1丁目にある、宝雲山と号する曹洞宗の寺院。

「高輪銭洗不動」の名で知られる不動明王が祀られており、本堂にお参りした後、境内にある宝珠から湧く浄水でお金を洗うと、お金に不自由せず、金運上昇のご利益が授けられるといわれています。

 

黄梅院の次は、承教寺へ。

 

 

承教寺は、港区高輪にある2丁目にある、長祐山と号する日蓮宗の寺院。

一乗院日円が開山となり、正安元年(1299)に芝西久保(現在の港区虎ノ門)に創建され、承応2年(1653)に現在地に移転。

本堂は、天明元年(1781)の建立で、延享2年(1745)の大火で類焼した後、再建されたもの。

また、山門・仁王門・鐘楼は、このとき焼失を免れ、現在に至っています。

境内には、江戸時代中期の絵師「英一蝶墓」(都指定旧跡)や、「二本榎の碑」があるほか、檀家が寄進した不思議な姿をした動物の石像があります。

これは、「件(くだん)」という文字通り半人半牛の姿をした怪物との説があり、伝承では「牛から生まれ、人間の言葉を話すとされ、生まれて数日で死ぬが、その間に作物の豊凶や流行病、旱魃、戦争など、重大なことに関して様々な予言をし、それは間違いなく起こる」といわれています。

 

承教寺の次は、高輪の極細階段路地へ。

 

 

高輪の極細階段路地は港区高輪1丁目にある階段状の路地地帯。

路地の脇にも階段坂があって合流しており、坂道愛好家にはたまらないエリアです。

 

高輪の極細階段路地の次は、古地老稲荷神社へ。

 

 

途中、桜田通りを跨ぐ歩道橋の上から明治学院大学の歴史的建造物「明治学院記念館」と「明治学院礼拝堂」をチェック。

 

 

古地老稲荷神社は、港区白金台1丁目に鎮座する、倉稲魂命を祀る稲荷神社。

文政13年(1830)、日吉坂上に火伏の神として創祀。

大正4年(1915)6月に遷宮され、関東大震災や戦時中の空襲でも火災を免れたことから篤く信仰され、現在は白金台敬崇会によって、神事が執り行われています。

 

古地老稲荷神社の次は、瑞聖寺へ。

 

 

瑞聖寺は、港区白金台3丁目にある、釈迦如来を本尊として祀る、紫雲山と号する黄檗宗系の単立寺院で元祖山手七福神の布袋尊。

当寺は、江戸で最初の黄檗宗の寺院として、寛文10年(1670)から建設に着手し、翌年寛文11年(1671)に諸堂が完成。

開山は明から渡来した木庵性瑫、開基は摂津麻田藩第2代藩主・青木重兼。

入母屋造、本瓦葺で、身舎の外側に裳階を廻らせた現在の仏殿「瑞聖寺大雄宝殿」は、宝暦7年(1757)の再建と推定される黄檗宗寺院の中心的建物で、開山時の造像とされる木造釈迦如来及び阿難・迦葉像を安置。

都内に残る貴重な本格的仏堂建築として、昭和59年(1984)に東京都有形文化財の指定を受け、平成4年(1992)には、国の重要文化財に指定されました。

 

瑞聖寺の次は、港区立郷土歴史館へ。

 

 

入り口には、港区の歴史を描いた記念撮影用のトリックアートが。

 

 

港区立郷土歴史館は、港区白金台4丁目「ゆかしの杜」内、歴史的建造物である「旧公衆衛生院」(※)を活用した郷土歴史館。港区の自然・歴史・文化を知り、交流の拠点とするため、平成30年(2018)11月1日に開館。

館内は常設展示の他、企画・特別展示・イベントの開催、カフェやミュージアムショップをとおして、港区の魅力を発信しています。

 

※旧公衆衛生院は、鉄骨鉄筋コンクリート造、地下1階・地上6階・塔屋4階、昭和13年(1938)、米国ロックフェラー財団の支援・寄附のもと、国民の保健衛生に関する調査研究及び公衆衛生の普及活動を目的に国が設立した機関。

設計は東京帝国大学建築学科教授の内田祥三、施工は大倉土木株式会社(現在の大成建設)で、平成14年(2002)に国立保健医療科学院として統廃合され、埼玉県和光市へ移転するまで使用。

その後、平成21年(2009)に港区が建物と敷地を取得し、郷土歴史館を中心とした複合施設「ゆかしの杜」として改修を実施。

耐震補強やバリアフリー化等の工事を平成30年(2018)に完了させ、開館となりました。

 

 

我々はまず、郷土歴史館の常設展示室(こちらは撮影NG)を見学後、建物内を巡回。

 

 

一通り見終わったところで、再度明かりが灯った建物を撮影して、白金台の駅でお散歩終了。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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