お散歩ナビゲーター小島信康です。
今回は只今開催中の「第150回 巣鴨~王子散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。
出発は巣鴨駅から。
まずは、眞性寺へ。
眞性寺は、豊島区巣鴨3丁目にある真言宗豊山派の寺院で、山号は医王山、院号は東光院、本尊は薬師如来。
奈良県桜井市にある長谷寺の末寺です。
創建年代は不詳ですが、聖武天皇の勅願によって行基菩薩が開いたことが伝えられており、元和元年(1615)に祐遍法印が中興開基したと記録に残されています。
境内に安置されている高さ2.68mある「銅造地蔵菩薩座像」(東京都指定有形文化財)は「江戸六地蔵尊」の一つ。
深川の地蔵坊正元が発願し、江戸市中から多くの賛同者を得て、江戸六地蔵第4番目(巡拝は3番目)として、正徳4年(1714)に建立。
古くから江戸六地蔵参りで崇拝されてきました。
眞性寺の次は、巣鴨地蔵通り商店街へ。
巣鴨地蔵通り商店街は、長さ約780m、加盟店舗数は約200店。
とげぬき地蔵尊の縁日である毎月「4」の付く日には、片側に露天商やフリーマーケットが立ち並ぶ商店街で、江戸時代、中山道の出発地点・日本橋から出発して最初の休憩所(立場)が眞性寺から巣鴨庚申塚の間に点在し、町並みがつくられたのが始まり。
「おばあちゃんの原宿」として有名ですが、公式イメージキャラクター「すがもん」の登場により、若い人からも注目を集めています。
巣鴨地蔵通り商店街を散歩中に、元祖塩大福で有名な「みずの」に立ち寄って、後で食べる用のおやつを購入。
続いて、高岩寺へ。
高岩寺は、豊島区巣鴨3丁目にある曹洞宗の寺院で、山号は萬頂山、一般には「とげぬき地蔵尊」という名で親しまれている名刹。
歴史は、慶長元年(1596)、扶嶽太助が江戸神田湯島に創建。
約60年後に下谷屏風坂に移り、明治24年(1891)に巣鴨に移ってきました。
本尊は「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩(秘仏)で、昔から多くの信仰を集めています。
また境内にある洗い観音(聖観世音菩薩)は、水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るといわれており、現在は2代目の観音様を布で洗うようになっています。
高岩寺を出た後も、商店街をぶらぶら。
人気のお店を冷かしたり、商店街の公式イメージキャラクター「すがもん」がのった、すがもんポストをチェックしたり…
続いて、巣鴨猿田彦大神庚申堂へ。
巣鴨猿田彦大神庚申堂は、豊島区巣鴨4丁目にある庚申信仰に基づいて建立された仏堂。
江戸時代、巣鴨庚申塚は中山道の立場(たてば)として栄え、旅人の休憩所として簡単な茶店も出て、人足や馬の世話をする人がいて、『江戸名所図会』はそれらの様子を描写。
庚申堂内に納められている庚申塔には、明暦3年(1657)の文字が見えます。
『遊歴雑記』によると、さらに一世紀以上時代をさかのぼる「文亀2年(1502)の碑」もその下に埋められているといいます。
また、庚申堂には猿田彦大神も合祀されており、これは、巣鴨近辺の有志が、明治初期に千葉県銚子市にある猿田神社から猿田彦大神を分祀したものです。
巣鴨猿田彦大神庚申堂を出た後は、庚申塚停留場付近を走行する都電をチェックしてから、すがも鴨台観音堂へ。
すがも鴨台観音堂は、豊島区西巣鴨3丁目、大正大学構内にある平成25年(2013)5月18日に完成した仏教文化施設。
建物は八角・三匝の階堂で、堂内の回廊は往路と復路が交わることのない二重螺旋構造になっており、その構造をサザエに例えて「鴨台さざえ堂」とも称し、一階に不動明王の従者である制吒迦童子を祀り、頂上階に本尊である聖観自在菩薩(鴨台観音)を安置。
観音堂の螺旋構造は、仏様の眉間に右巻きに丸まって生えている白い毛(白毫)の象徴で、仏様は白毫から智慧と慈悲による救いの光明を放つことから、これを大正大学の建学の理念である「智慧と慈悲の実践」に重ねて具象化しています。
観音堂の敷地の傍らには、南三陸のタコがモチーフの縁起物キャラクター「オクトパス君」もいて、人々の注目を集めていました。
すがも鴨台観音堂の次は、瀧野川八幡神社へ。
瀧野川八幡神社は、北区滝野川5丁目に鎮座する、品陀和氣命(応神天皇)を御祭神として祀る、旧滝野川村の鎮守。
由緒は、創建は建仁2年(1202)といわれていますが詳細は不明で、神仏分離以前は金剛寺が別当寺でした。
建物は、本殿は総欅造りで、明治18年(1885)に改築されており、拝殿は大正11年(1922)に修築。
境内には、稲荷・冨士・榛名の三柱を祀る末社があります。
また社務所は、終戦直前まで、旧中山道に面した滝野川三軒家の種子問屋が中心となっていた東京種子同業組合の会合場所として利用。
組合ではこの会合で滝野川ごぼうや人参、練馬大根の種子の価格を決めていました。
瀧野川八幡神社の次は、谷津大観音へ。
谷津大観音は、北区滝野川4丁目にある南照山観音院寿徳寺の境外仏。
建立計画は第二十四世住職・新井慧誉和尚の発願によるもので、娘の第二十五世・新井京誉住職が遺志を引き継ぎ、平成20年(2008)12月に完成、開眼供養が行われました。
「谷津」は当地の古くからの呼び名で、寿徳寺の本尊である聖観世音菩薩が「谷津の観音様」として親しまれていることから、「谷津大観音」と命名。
仏身4.5m、台座を含めた総高は7.7mになる、唐金の鋳造仏です。
初日は谷津大観音の前で記念写真。
皆さん、撮影ご協力有難うございました。
谷津大観音の次は、石神井川沿いを散策しながら、音無もみじ緑地へ。
音無もみじ緑地は、北区滝野川4丁目にある区立緑地。
もとは石神井川が蛇行して流れていた場所で、川岸の崖下に松橋弁財天(岩屋弁天)を祀る洞窟がありました。
現在は、すり鉢状の護岸構造となり、石神井川に面してワンド(川の入り江)が設けられ、川から入ってきた魚が繁殖できるようになっています。
入り江を一回りした後、広場でおやつタイム。
巣鴨地蔵通り商店街の「みずの」で買っておいた塩大福などを食べて、後半のウォーキングに備えました。
おやつタイムの後は、金剛寺へ。
金剛寺は、北区滝野川3丁目にある、不動明王を本尊として祀る真言宗豊山派の寺院。
弘法大師が遊歴した際に創建したと伝えられており、源頼朝が当地に布陣したとき、松橋弁財天(岩屋弁天)に祈願し、寺域に弁天堂を建立したといわれています。
また、金剛寺は「紅葉寺」とも称されますが、これは、この辺りが紅葉の名所として知られていたことに由来するからです。
金剛寺の次は、音無さくら緑地へ。
音無さくら緑地は、北区王子本町1丁目にある、石神井川が蛇行して流れていた頃の旧流路につくられた区立緑地。
緑地内の崖地は川の蛇行による浸食作用が最も大きかった部分で、攻撃斜面と呼ばれています。
また、12~13万年前の下末吉海進により、東京都付近が海底となった頃に形成された「東京層」と呼ばれる古い地層を見ることができます。
他にも、音無さくら緑地には、「緑の吊り橋」と名付けられた、23区内でも珍しい本格的な造りの吊り橋が旧流路に架かっていて、メンバーさんみんなで吊り橋体験。
高さがないので怖くはありませんが、かなりの揺れに全員驚かれていました。
音無さくら緑地の次は、音無親水公園へ。
音無親水公園は、北区王子本町1丁目にある、石神井川の旧流路に造られた区立の親水公園。
石神井川は、北区付近では「音無川」と呼ばれ、古くから行楽地として親しまれてきました。
しかし、昭和30年代から始まった改修工事により、緑の岸辺は厚いコンクリートの下に消え、典型的な都市河川となりました。
その後、「かつての渓流を取り戻したい」という願いから、公園として整備。
昭和63年(1988)に完成した音無親水公園は、全国の都市公園の模範として「日本の都市公園100選」に選ばれています。
音無親水公園の次は、王子神社へ。
王子神社は、北区王子本町1丁目に鎮座する東京十社の一社。
旧称は「王子権現」で、「王子」という地名の由来にもなっている神社。
御祭神は伊邪那岐命・伊邪那美命・天照大御神・速玉之男命・事解之男命の五柱で、総称して「王子大神」と呼ばれており、開運招福、運気の回生、厄除け、家内安全、身体健全、交通安全や子どもに関する祈願に神徳あらたかです。
創建は不明ですが、平安時代後期、源義家が奥州征伐の折、当社の社頭で慰霊祈願を行い、甲冑を納めたという故事もあり、その後、元亨2年(1322)、領主・豊島氏が紀州熊野三社より王子大神を迎えて、「若一王子宮」として奉斉。
熊野にならって社殿を再興しました。
それよりこの地は王子という地名になったといわれています。
そして、戦国時代は北条氏が崇敬し、江戸時代に入ると将軍祈願所に定められ、3代将軍・徳川家光が社殿を新造。
儒学者・林羅山に命じて「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせ奉納をし、その後も社殿の造営・修繕は続き、「王子権現」の名で江戸の名所の一つとなり、明治初期には准勅祭社に選ばれました。
社殿は戦災焼失後、昭和39年(1964)と昭和57年(1982)の2回の造営を経て再建された権現造の建物。
その他、北区指定無形民俗文化財(民俗芸能)「王子田楽」を奉納する8月の祭礼や、12月の熊手市などの風物詩をはじめ、天然記念物として東京都指定文化財となった大イチョウ、理容業界の神様とされる関神社と毛塚があることでも知られています。
こんなふうにあちこちご案内して、王子駅でお散歩は終了。
その後、有志のメンバーさんたちと「ガスト 王子駅前店」でミニ懇親会を開いて解散となりました。
ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。
それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。
東京お散歩教室