代田橋~参宮橋散歩 9月26日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「第148回 代田橋~参宮橋散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は代田橋駅から。

 

まずは、向岸地蔵尊へ。

 

 

向岸地蔵尊は、世田谷区大原2丁目に安置されている地蔵尊。

由緒は、今から200年以上前、荏原郡北の里(現在の世田谷区大原)に生まれつき身体が曲がっていた向岸という独り身の人がいて、自身の境遇を悲しんでいました。

そこにある夜、お地蔵様が現れ、世のため日夜念仏を唱えれば救われると説き、向岸はお地蔵様の教えに従い日夜念仏を唱え続け、それを聞き知った人々が集まるようになり、200人を超える講中ができ、後に向岸は悟りを開いて大往生を遂げました。

そこで、講中の人々が向岸の生前の徳を偲んで、享保元年(1716)の秋に地蔵尊を建立したといいます。

 

向岸地蔵尊の次は、玉川上水緑道をぶらぶら。

 

 

玉川上水緑道は、京王線代田橋駅付近の甲州街道から始まり、途中、環七通りをくぐり、世田谷区大原1丁目の渋谷区境まで続く、玉川上水の上に整備された延長約499mの遊歩道で、玉川上水が一度渋谷区笹塚に入った後、再び世田谷区に戻る北沢5丁目からは「玉川上水第二緑道」と呼ばれ、こちらは延長約426mあります。

 

 

途中から開渠になって、姿を現した玉川上水をチェック。

 

続いて、南ドンドン橋跡へ。

 

 

南ドンドン橋跡は、渋谷区笹塚1丁目にある橋の遺構。

親柱が残っており、名前の由来はよくわかっていませんが、玉川上水がここから急カーブで南に流れを変え、川岸にぶつかる水の音が「ドンドン」と音を立てていたことから、こう名付けられたともいわれています。

 

 

南ドンドン橋跡は、再度姿を現した玉川上水を笹塚駅近くの第三号橋よりチェック。

 

 

玉川上水を見た後は、パンの田島 笹塚店でおやつを調達。

 

続いて、笹塚観音へ。

 

 

笹塚観音は、渋谷区笹塚1丁目、笹塚観音通り商店街の観音会館に祀られている観音様。

普段はガラス扉の中に祀られていますが、毎月18日に御開帳されるとのこと。

由緒等、詳細は不明ですが、昭和20年(1945)の空襲で辺り一面焼け野原になったとき、瓦礫の中からほぼ無傷で発見されたというエピソードがあり、子育て・合格祈願・家内安全・交通安全等、すべての願いにご利益があるといわれています。

 

笹塚観音の次は、三田用水取水口跡へ。

 

 

三田用水取水口跡は、世田谷区北沢5丁目にある、かつて農業用水や工業用水として使われた三田用水の取水口跡。

玉川上水の暗渠口の柵の右側の階段状のスペースが、かつて取水口だったところで、昭和49年(1974)8月末に東京都水道局によって取水口は閉鎖。

送水は停止されました。

 

 

三田用水取水口跡を見学した後は、玉川上水第二緑道で、おやつタイム。

 

続いて、東京ジャーミイ・トルコ文化センターへ。

 

 

東京ジャーミイ・トルコ文化センターは、渋谷区大山町にあるオスマン様式のモスクで「ジャーミイ」は、金曜礼拝に使われる大規模なモスクを意味しています。

歴史は、ロシア革命で祖国を捨て、東京に移り住んだカザン(ロシア連邦タタールスタン共和国)出身のトルコ人たちが東京ジャーミイの前身である東京回教学院を昭和13年(1938)に設立。

木造の代々木モスクが建てられました。

この代々木モスクは老朽化により昭和61年(1986)に取り壊され、その際、東京トルコ人協会がモスクの再建にあたって、跡地をトルコ共和国政府に寄付し、再建をトルコ政府に委託。

その後、トルコ共和国宗務庁が中心となって、「東京ジャーミイ建設基金」を設立。

トルコ全土からの寄付と、モスクの建築資材や内装・外装の仕上げを手がける職人の派遣によって、平成12年(2000)、東京ジャーミイは開堂しました(設計ムハッレム・ヒルミ・シェナルプ、躯体工事は鹿島建設)。

東京ジャーミイは、大ドームを乗せた礼拝堂を上階に設けた造りになっていて、礼拝堂には女性専用の礼拝室もあり、専従のイマーム(導師)もいます。

また、モスクとしての役割とともに、イスラム文化・トルコ文化を伝えるセンターとしての機能も同時に果たしており、自由に中を見学することができます。

 

 

今回、私たちは、 より深く施設について学べるよう、土日を中心に催されている日本語ガイド付きツアーに参加。

実際の礼拝の様子を生で見たり、施設の歴史やイスラム教について、ガイドさんからたくさんのお話を伺いました。

 

 

さらに、ガイドツアー終了後、ハラールショップでお土産を買うメンバーさんも。

 

東京ジャーミイ・トルコ文化センターの次は、代々木八幡遺跡へ。

 

 

代々木八幡遺跡がある代々木八幡宮に着いたところで記念写真。

皆さん、ご協力有難うございました。

 

 

代々木八幡遺跡は、渋谷区代々木5丁目、代々木八幡宮の境内にある区指定史跡。

代々木八幡宮は標高約32mの台地上にあって、境内から石器時代の遺物が発見されていました。

そこで、昭和25年(1950)の夏に発掘調査をしたところ、多数の遺物とともに、関東ローム層を浅く掘りくぼめた住居(竪穴家屋)跡を発見。

ここから一番多く出土した縄文式土器中期の加曽利E式の鉢や壺によって、この住居跡には約4500年前に人々が暮らしていたことがわかり、区はこの住居跡に古代の住居を想定復元し保存。

また境内の片隅に出土品を展示する陳列館が設けられました。

 

代々木八幡遺跡を見学した後は、代々木八幡宮をお参り。

 

 

代々木八幡宮は、渋谷区代々木5丁目に鎮座する、八幡宮(応神天皇)を主座に祀り、天祖社(天照大神)と白山社(白山媛神)を配祀する神社。

由緒は、建暦2年(1212)に、鎌倉幕府2代将軍・源頼家の近習であった近藤三郎是政の家来・荒井外記智明が、頼家暗殺の後、名を宗祐と改めて代々木野に隠遁し、主君の菩提を弔って暮らしているときに、元八幡の小さな祠を建て、鶴岡八幡宮の分霊を勧請したのが始まり。

境内には、社殿をはじめ、別宮として、稲荷社・榛名社・天神社、また末社として、稲荷社(出世稲荷大明神)が祀られている他、区の史跡に指定されている「代々木八幡遺跡」があり、近年神社はパワースポットとして人気を呼んでいます。

 

代々木八幡宮の次は、春の小川記念碑へ。

 

 

春の小川記念碑は、渋谷区代々木5丁目にある歌碑。

かつてここには、河骨川が流れており、明治42年(1909)から代々木山谷(現在の代々木3丁目3号)に住んでいた国文学者・高野辰之は、このあたりの景色を愛し、『春の小川』を作詞して、大正元年(1912)に発表。

詩は文部省唱歌として現在に至るまで広く愛唱されてきました。

一方で、河骨川は、昭和39年(1964)の東京オリンピック開催前に暗渠化。

歌碑は、地元の篤志家が建設し、区に寄贈したもので、小川が流れていた頃の様子を後世に伝えています。

 

 

最後は春の小川(河骨川跡)を辿り、参宮橋駅まで歩いて、お散歩終了となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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