浜町~人形町散歩 7月18日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の夏の夕暮れ散歩「夏企画 浜町~人形町散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は浜町駅から。

 

まずは、浜町公園へ。

 

 

浜町公園は、日本橋浜町2丁目にある中央区立の公園。

公園は、関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京の復興事業の一環として、隅田公園、錦糸公園と並んで計画されたもの。

当地は、江戸時代は熊本藩主・細川氏の下屋敷があったところで、明治期以降も細川家の邸宅がありましたが、震災後、公園として整備され、昭和4年(1929)に開園。

園内には、デイキャンプ場や運動広場、中央区立総合スポーツセンターといった施設などがあります。

 

つづいて、浜町公園内にある清正公寺へ。

 

 

清正公寺は、浜町公園の敷地の一角にある加藤清正を祀る日蓮宗の寺院。

文久元年(1861)に、熊本藩主・細川斉護が熊本にある本妙寺に安置する加藤清正公の分霊を当地にあった下屋敷に勧請して創建。

本妙寺の別院となっています。

 

清正公寺の次は、隅田川の水辺散歩。

 

 

親水テラスから、水上バスや水難消防艇をチェックしながら、中洲公園へ。

 

 

中洲公園は、中央区日本橋中洲の隅田川沿いにある区立公園。

隅田川のスーパー堤防上部を公園として整備し、様々な草木を植栽して、平成25年(2013)にリニューアルオープン。

隅田川・東京スカイツリー・清洲橋をベンチに座って望むことができる見晴らしの良い公園で、公園下には江戸情緒あふれるタイル張りの壁画が描かれています。

 

中洲公園の次は、清洲橋へ。

 

 

清洲橋は、隅田川に架かる清洲橋通りが通る自碇式鋼鉄製吊り橋。

関東大震災の震災復興事業として永代橋と共に計画され、ドイツ・ケルン市にあったヒンデンブルグ橋をモデルとし、昭和3年(1928)3月に竣工。

「清洲」という名称は公募によるもので、建設当時の両岸、深川区清住町と日本橋区中洲町から採用されました。

そして、平成12年(2000)に土木学会の「第一回土木学会選奨土木遺産」に永代橋と共に選定。

平成19年(2007)6月には、勝鬨橋・永代橋と共に、都道府県の道路橋として初めて、国の重要文化財に指定されました。

 

清洲橋の次は永代橋へ。

 

 

途中、永代橋を背景に記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

 

永代橋は、中央区新川と江東区永代を結ぶ隅田川の橋。

最初の架橋は元禄11年(1698)、徳川綱吉の50歳の賀を祝して永代の名が付けられたといい、赤穂義士が討ち入りの帰りに渡ったことでも有名。

また、文化4年(1807)には、富岡八幡宮の祭礼に詰めかけた群衆の重さに耐えきれず、落橋事故を起こし、多数の死者を出すという惨事もありました。

現在の橋は、大正15年(1926)に関東大震災復興事業として架けられた耐震耐火のアーチ橋で、橋長185.2m、幅員は22mあり、国の重要文化財(建造物)に指定されています。

 

 

永代橋では、下流に聳え立つ高層マンション群「大川端リバーシティ21」をチェック。

 

永代橋の次は、豊海橋へ。

 

 

豊海橋は、昭和2年(1927)に架設された中央区日本橋箱崎町と中央区新川を結ぶ日本橋川に架かる震災復興橋で中央区民有形文化財。

フィーレンディール橋と呼ばれる梯子を横にしたような構造が特徴で、永代橋との景観上のバランスが考慮されています。

 

豊海橋の次は、日本銀行創業の地へ。

 

 

日本銀行創業の地は、中央区日本橋箱崎町にある記念碑。

日本銀行の開業(明治15年10月10日)当初の店舗は、当地にあった旧北海道開拓使物産売捌所を使用しており、明治29年(1896)4月に本店を現在地(日本橋本石町)へ移転した後、当初の店舗は、主に集会所として利用していましたが、大正12年(1923)の関東大震災で焼失。

この記念碑は、日本銀行創業百周年を記念して、昭和57年(1982)11月に設置されました。

 

日本銀行創業の地の次は、高尾稲荷神社へ。

 

 

高尾稲荷神社は、中央区日本橋箱崎町に鎮座する神社。

江戸時代の遊女・高尾太夫が仙台藩主・伊達綱宗の怒りを買い、隅田川の楼船上で切り殺され、遺体が引き揚げられた当地に、彼女の神霊・高尾大明神を祀ったのが起源。

実体の神霊(太夫の頭蓋骨)を御祭神として社の中に安置する、全国でも非常に珍しい神社です。

 

高尾稲荷神社の次は、小網神社へ。

 

 

小網神社は、中央区日本橋小網町に鎮座する、倉稲魂命・市杵島姫命を御祭神として祀る神社で、日本橋七福神の福禄寿。

由緒は、社伝によれば、当社は文正元年(1466)悪疫鎮静の稲荷として鎮座したのが起源。

後に小網山稲荷院萬福寿寺が別当寺となりましたが、明治維新後の神仏分離令によって社寺は分離され、「小網稲荷社」として明治6年(1873)、村社に指定。

戦後の宗教法人化に伴い「小網神社」となりました。

現社殿と神楽殿は、昭和4年(1929)に造営されたもので、社としては現在日本橋地区に残されている唯一の戦前木造建築となっており、特に向拝に施された「昇り龍」と「降り龍」の彫刻が素晴らしく「強運厄除の龍」として拝されており、神社は小網町及び人形町の一部の氏神として、崇敬を集めています。

 

小網神社の次は、大観音寺へ。

 

 

途中、趣のある人形町の路地を通過。

 

 

大観音寺は、中央区日本橋人形町1丁目にある聖観音宗の寺院(浅草寺末寺)で、「昭和新撰 江戸三十三観音札所」の3番札所。

本尊は観音菩薩像の頭部「鉄造菩薩頭」(東京都指定有形文化財)。

この菩薩頭は鋳鉄製で、総高170㎝、面幅54㎝。

頭上には高さ53㎝の高髻があり、後補の鋳銅製蓮華座の台座上に祀られています。

この像は、もと鎌倉の新清水寺(廃寺)にあった観音像でしたが、鎌倉時代の火災で崩れてしまい、江戸時代に頭部のみが鶴岡八幡宮の鉄井から掘り出されました。

そして、明治初年の神仏分離の令に際し、鎌倉から移され、大観音寺に安置。

現在、鉄造菩薩頭は、毎月11日と17日のみ開帳される秘仏として信仰を集めています。

また本堂内には、本尊、お前立観世音(聖観世音菩薩)の他に、不動明王、毘沙門天などが祀られており、境内には、願いの地蔵尊や荼吉尼天尊、護法韋駄天尊が安置されています。

 

こんなふうにあちこち巡って、人形町駅でお散歩終了、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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