三鷹周辺ぐるっと散歩 1月11日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「第142回 三鷹周辺ぐるっと散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は三鷹駅から。

 

 

まずは、KINOKUNIYA Bakery アトレヴィ三鷹店に行って、おやつ用のパンを調達し、三鷹電車庫跨線橋へ。

 

 

三鷹電車庫跨線橋は、「三鷹跨線人道橋」とも呼ばれる、中央本線と三鷹車両センターに架かる、昭和4年(1929)に竣工した陸橋。

太宰治お気に入りの場所で、編集者や友人を案内したといわれており、昭和22年(1947)3月に写真家・田村茂が撮影したマント姿の太宰の姿が有名。

当時の姿を残す唯一のスポットです。

 

三鷹電車庫跨線橋の次は、水源の森あけぼのふれあい公園へ。

 

 

途中、開渠になっている、水のない仙川沿いを散策。

 

 

水源の森あけぼのふれあい公園は、三鷹市上連雀5丁目にある公園。

住宅の中を暗渠化寸前の形で流れていた仙川が、平成10年(1998)10月に親水公園としてよみがえるようにしたのが始まり。

川の北側を斜面にして階段を造り、水面まで下りられるようにしたほか、浸透桝を近隣の住宅に設置して地下水位を上げ、湧き水が川の斜面から流れ出るようにしましたが、湧き水はまだほとんど姿を見せません。

 

 

水源の森あけぼのふれあい公園で、早速おやつタイム。

KINOKUNIYA Bakery アトレヴィ三鷹店で買っておいたパンなどを、みんなで食べました。

 

水源の森あけぼのふれあい公園の次は、上連雀神明社へ。

 

 

上連雀神明社は、三鷹市上連雀7丁目に鎮座する、天照大神を御祭神として祀る神社。

由緒は、当社は練馬関村に在住していた井口家五代・井口八郎右衛門信忠が開発計画をした場所でしたが、将軍家の茅場となっていたため、刈り取り禁止の制令が建てられ、「札野」と呼ばれていました。

その札野の範囲が、寛文10年(1670)に「御札野新田村々方々へ相渡し申覚候」となり、そして、八郎右衛門の三男・井口権三郎が連雀分家となって、連雀前新田の開発を行い、寛文12年(1672)、この地に村社が建立されました。

 

上連雀神明社の次は、井口院へ。

 

 

井口院は、三鷹市上連雀7丁目にある、薬師如来(秘仏)を本尊とする新義真言宗の寺院。

「三鷹不動尊」として崇敬を集め、関東八十八ケ所霊場第70番、多摩新四国八十八ケ所霊場第3番としても知られており、伽藍も立派で、境内には総高11mの大不動尊像が聳え立っています。

由緒は、中野・宝仙寺の第19世であった清長和尚が、石神井村・井口八郎左衛門春重の協力を得て、薬師如来を奉安し開山。

はじめは「新龍山開空寺 威光院」と称していましたが、寛文12年(1672)に現在の「新龍山開宮寺 井口院」と改称。

以来、今日に至る迄、紀州・根来寺の流れをくむ寺院として地域社会に密接にとけこんでいます。

 

井口院の次は、八幡大神社へ。

 

 

八幡大神社は、三鷹市下連雀4丁目に鎮座する、応神天皇を御祭神として祀る神社。

明暦3年(1657)に起きた明暦の大火で罹災して、この地に入植した神田連雀町の人々の新たな鎮守を祀るため、名主・松井治兵衛と村の年寄・組頭らが連署で神社と寺の創建について幕府に請願。

これに対し、松平伊豆守と寺社奉行が代官に検地を命じ、寺社の建立を許可し、寛文4年(1664)に創建。

その後、明治6年(1873)に神仏分離によって独立し、村社に列格。

当社では9月の例祭で渡御する2基の神輿のうち、二之宮神輿の屋根の鳳凰の目に3カラットのダイヤモンドがはめられていることで、注目を集めています。

 

八幡大神社の次は、禅林寺へ。

 

 

禅林寺は、三鷹市下連雀4丁目にある黄檗宗の寺院。

もともとは、江戸の明暦の大火で罹災して神田連雀町から集団で移住してきた人々の請願によって、浄土真宗本願寺派の寺院として創建。
元禄12年(1699)の台風で倒壊した後、黄檗宗の賢洲元養禅師が再興し、「黄檗宗霊泉山禅林寺」と改称。

また当寺は、太宰治と森鴎外(林太郎)の墓があることでも知られており、太宰治は作品『花吹雪』で「この寺には森鴎外の墓がある。(中略)墓地は清潔で鴎外の文章の片影がある。私の汚い骨もこんな小奇麗な墓地の片隅に埋められたら、死後の救いがあるかもしれない…」と書いたことから、ここに眠ることに。

太宰治の命日である6月19日には、毎年「桜桃忌」の法要が営まれ、太宰ファンが大勢お参りに訪れる様子は、三鷹の風物詩になっています。

 

 

初日は、墓参を済ませたところで、禅林寺の山門前で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

禅林寺の後は、三鷹中央通り商店会へ。

 

 

三鷹中央通り商店会は、三鷹駅南口から伸びる中央通りに沿った商店街。

商店会では、三木露風没後14年目の昭和53年(1978)にモニュメント『赤とんぼの碑』を建立。

その後、街路灯の建て替えや植栽の設置など、商店街のリフレッシュ事業に着手。

その中で、三鷹ゆかりの文学者たち(山本有三・太宰治・亀井勝一郎・武者小路実篤)をモチーフにしたモニュメント3基が新設追加されました。

 

 

また、三鷹中央通り商店会では、モニュメント巡りの合間に、天文☆科学情報スペースにも立ち寄り。

こちらの施設は、天文台がある三鷹の街で、天文学の最新情報や宇宙の美しさを気軽に体感できる情報発信スペース。

無料で見学することができます。

 

 

さらに、食べ歩きも!

皆さん、肉のアンデスでお惣菜を買ったり、Bakery cafe delicesで美味しいパンを購入して、小腹を満たしました。

 

三鷹中央通り商店会の次は、太宰治文学サロンへ。

 

 

太宰治文学サロンは、三鷹市下連雀3丁目にある、作家・太宰治(1909~1948)を紹介する資料展示場。

この文学サロンは、太宰が通った酒屋「伊勢元」の跡地に、2008年の太宰没後60年と2009年の生誕100年を記念して、平成20年(2008)3月に開設された施設。

太宰は、昭和14 年(1939)から昭和 23 年(1948)まで三鷹に住み、様々な足跡を残しました。

そうしたことから、太宰治文学サロンは、太宰と三鷹市とのかかわりを、年譜・ゆかりの場所の地図・本や原稿・古い写真などを使って紹介しています。

 

 

太宰治文学サロンを出たあと、近辺にある太宰ゆかりの地を少し案内して、玉鹿石へ。

 

 

玉鹿石は、太宰治と愛人・山崎富栄が入水した場所近くに置かれた碑で、石は彼の故郷・青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)産のもの。

遺族への配慮から詳しい説明を避け、太宰を偲ぶ無名碑となっています。

 

 

玉鹿石をチェックした後、現在の玉川上水の様子を確認して、三鷹駅に戻り、お散歩は終了。

 

 

その後、全員で居酒屋さんに行って、打ち上げ懇親会を開いて解散。

 

大人の遠足、全行程終了となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

楽しいイベント、今後もどんどん続きます。

 

ご興味ある方、どうぞよろしくお願いいたします!

 

東京お散歩教室

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