両国~亀戸散歩 9月28日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の「第135回 両国~亀戸散歩」の初日の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は両国駅から。

 

まずは、旧安田庭園へ。

 

 

旧安田庭園は、墨田区横網1丁目にある池泉回遊式庭園。

この地は江戸時代、本庄氏の下屋敷で、庭園は本庄因幡守宗資によって元禄年間(1688~1704)に築造されたと伝えられ、明治になって旧備前岡山藩主・池田章政の邸宅となり、次いで明治24年(1891)、安田財閥の創始者・安田善次郎が所有。

善次郎の死後、大正11年(1922)、家屋及び庭園は東京市に寄付され、大正12年(1923)の関東大震災で壊滅的な被害を受けますが、復元工事が行われ、昭和2年(1927)、市民の庭園として開園。

昭和42年(1967)には、東京都から墨田区に移管され、平成8年(1996)、東京都の「名勝」に指定されました。

また、心字池は、かつては隅田川の水を取り入れた潮入の池でしたが、現在、隅田川との接続は閉ざされており、往時の姿をとどめるものとして水門を保存。

かつて庭園内にあった両国公会堂は、老朽化により平成27年(2015)に解体され、今は刀剣博物館が建っています。

 

旧安田庭園の次は、横網町公園へ。

 

 

横網町公園は、墨田区横網2丁目にある都立公園。

大正11年(1922)、陸軍被服廠の移転に伴い、東京市は跡地を買収し、公園造成を進めていましたが、その最中に関東大震災が発生。

界隈の人々が被服廠跡に避難しましたが、運び込まれた家財道具に火が付き、強風で火災旋風が巻き起こり、この場所だけで38,000人もの焼死者が出ました。

そうしたことから、遭難者の霊を供養し、さらに東京を復興させた当時の大事業を記念するため、公園内に「東京都慰霊堂」と「東京都復興記念館」を建設。

その後、東京大空襲の犠牲者である一般戦災者の遺骨も安置され、平成13年(2001)には、「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」が建立されました。

 

 

公園内にある東京都慰霊堂。

東京都慰霊堂は、約163,000体の遺骨を安置する慰霊施設。

昭和5年(1930)、関東大震災の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る「震災記念堂」として建設。

その後、東京大空襲の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀し、昭和26年(1951)、「東京都慰霊堂」に改称。

本堂は、築地本願寺などの設計で知られる伊東忠太の設計によるもので、200坪の講堂を持ち、その奥にある三重塔は高さ約41mで、基部は納骨堂に。

講堂には祭壇があり、震災死亡者、空襲死亡者の霊をそれぞれ合祀した巨大な位牌が2基あり、毎年3月10日と9月1日に慰霊法要が行われています。

 

 

公園内にある東京都復興記念館。

東京都復興記念館は、関東大震災の惨禍を後世に伝え、また官民協力して焦土と化した東京を復興させた当時の大事業を永久に記念するために、東京都慰霊堂の付帯施設として、昭和6年(1931)に建設された施設。

1階は、主に震災被害や救援・救護に関する資料を陳列し、2階は、中央展示室に大型震災絵画や昭和4年(1929)に開かれた帝都復興展覧会の出品模型があり、展示室周りの回廊に、東京空襲に関する資料などを展示。

屋外には、建造物の一部や自動車などの大型被災物を置いた「震災記念屋外ギャラリー」があります。

 

 

東京都復興記念館を見学後、予約注文をしておいた浪花家本店のたい焼きを受け取り、横網町公園で試食。

 

 

続いて、すもうせんべい本舗 前田商店に行って、手焼き煎餅を購入。

 

前田商店の次は、徳之山稲荷神社へ。

 

 

徳之山稲荷神社は、墨田区石原1丁目に鎮座する稲荷神社。

当地は、江戸初期に本所・深川の開発事業を推進した本所築地奉行・徳山五兵衛重政の屋敷跡。

開府当時、江戸は明暦3年(1657)の大火をはじめ、度々の火災で大きな被害を受けたため、街区整備の必要から、幕府は隅田川以東の開発に着手。

竪川や横川などを掘り、その泥土で湿地を埋め立て、道路整備と市街地造成をしました。

この事業のため、万冶3年(1660)に初代本所築地奉行に任命された一人が徳山五兵衛で、五兵衛は功により幕府からこのあたりに邸地を与えられ、邸内に屋敷神を奉斎。

五兵衛の死後、彼の徳を称えた人々によって御霊が合祀され、「徳之山稲荷神社」となりました。

 

徳之山稲荷神社の次は、東京おりがみミュージアムへ。

 

 

東京おりがみミュージアムは、墨田区本所1丁目にある、株式会社日本折紙協会の施設。

折り紙作品を鑑賞できる常設展示場、折り紙関連図書を集めた資料室、折り紙教室ができる講習室を備えた施設で、売店では日本折紙協会が発行する雑誌や書籍のほか、他の出版社の折り紙関連書籍、各種折り紙用紙などを販売しています。

 

東京おりがみミュージアムの次は、大横川親水公園へ。

 

 

途中、甘納豆の老舗・平野屋に立ち寄って、それぞれ気になった甘納豆を購入。

みんなで交換しながら、美味しい甘納豆を味わいました。

 

 

大横川親水公園は、墨田区内を流れる大横川の多くの部分を埋め立てて造成した区立の親水公園。

平成5年(1993)4月1日に開園した、幅30~40m、長さ1.85km、面積約63,000㎡の細長い公園で、園内は北から、花の広場と釣堀がある「釣川原ゾーン」、子供たちが遊べる水路「河童川原ゾーン」、渓谷と多様な生き物が生息するビオトープ「花紅葉ゾーン」、イベント広場「パレットプラザゾーン」、スポーツ広場「ブルーテラスゾーン」といった5つのゾーンに分割。

初日の記念写真は、河童川原ゾーンで撮らせていただきました。

 

記念写真撮影後、たばこと塩の博物館へ。

 

 

たばこと塩の博物館は、墨田区横川1丁目にある、日本たばこ産業株式会社(JT)が運営する企業ミュージアム。

日本専売公社のたばこ製造販売70周年を記念する事業の一環として、昭和53年(1978)11月、渋谷区神南1丁目に開設された施設で、建物の老朽化などから、平成25年(2013)9月に休館。

その後、日本たばこ産業の敷地にあった倉庫を改装し、平成27年(2015)4月25日、現在地に移転・リニューアルオープン。

博物館では、たばこと塩に関する資料の収集、調査・研究を行い、その歴史と文化を広く紹介しています。

 

 

たばこと塩の博物館では、開催中の「館蔵 ミニチュア展 小さなものの大きな魅力」もあわせて見学。

こちらは、小林礫斎が制作した精巧で緻密なミニチュア工芸品が、まさにミリとか数センチの世界で、すごすぎて、皆さん仰天されていました。

 

たばこと塩の博物館の次は、亀戸天神社へ。

 

 

途中、タワービュー通りや横十間川に架かる栗原橋から、東京スカイツリーをチェック。

 

 

亀戸天神社は、江東区亀戸3丁目に鎮座する、天満大神(菅原道真)を御祭神とし、天菩日命(菅原家の祖神)を相殿に祀る東京十社の一社。

由緒は、正保3年(1646)に菅原道真の末裔であった太宰府天満宮の神官・菅原大鳥居信祐が、天神信仰を広めるため諸国を巡り、本所亀戸村に辿り着き、元々あった天神の小祠に神像を奉祀したのが起源。

その後、明暦の大火(1657)で焼失した江戸の町の復興を目指した徳川幕府が、本所を復興開発の地と定め、4代将軍・徳川家綱が鎮守の神を祀るために現在の社地を寄進。

寛文2年(1662)に太宰府天満宮を模した造営が行われたといいます。

名称は、古くは東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていましたが、明治6年(1873)に府社に列格して「亀戸神社」となり、昭和11年(1936)に現在の正称「亀戸天神社」に改称。

行事は、8月25日の例大祭を中心に、1月24・25日の「うそ替え神事」、梅まつり(2~3月)、藤まつり(4~5月)、菊まつり(10~11月)などが有名です。

 

こんなふうに、あちこちご案内して、亀戸駅でお散歩は終了。

 

 

その後、有志のメンバーさんと打ち上げを懇親会を開いて、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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