田原町~浅草散歩 3月30日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中の東京お散歩教室「第131回 田原町~浅草散歩」の

初日の様子をご紹介します。

 

出発は田原町駅から。

 

まずは、かっぱ橋道具街へ。

 

 

かっぱ橋道具街は、台東区にある食器具・包材・調理器具・食品サンプル・食材・調理衣装などを

一括に扱う道具専門の問屋街。

歴史は、明治末期から大正初期に古道具を取り扱う店の集まりから発生し

戦後、主に料理飲食店器具や菓子道具を販売する商店街へと発展。

現在は、和洋中華食器、漆器、和洋菓子器機、厨房設備器具、ショーウインドー、和洋家具

店舗装備デザイン施工、サンプル、看板、食料原材料、包装用品等を取り扱う170店以上もの店舗が

言問通りと浅草通りを結ぶ「かっぱ橋道具街通り」約800mに連なり、世界でも珍しい専門店街を形成。

東京合羽橋商店街振興組合が商店街のPR活動を行っています。

 

かっぱ橋道具街の次は、矢先稲荷神社へ。

 

 

矢先稲荷神社は、台東区松が谷2丁目に鎮座する

倉稲魂命を御祭神として祀る神社で、浅草名所七福神の福禄寿。

由緒は、寛永19年(1642)に三代将軍・徳川家光が、武術興隆の目的で

当地に浅草三十三間堂を建立した際、建物の鎮守として稲荷神を奉斎したのが始まり。

浅草三十三間堂射術稽古場の的先に奉納されたために、矢先稲荷神社と称されました。

 

矢先稲荷神社の次は、再びかっぱ橋道具街に戻り、かっぱ河太郎像へ。

 

 

かっぱ河太郎像は、台東区松が谷2丁目にある

合羽橋道具街誕生90周年を記念して、平成15年(2003)10月7日に建立された像。

河童は、合羽橋の地名の由来になった生き物ということで、合羽橋周辺は河童だらけ。

かっぱ河太郎像は、東京合羽橋商店街振興組合の商売繁盛のシンボルとして

商店街の人たちから、愛されています。

 

かっぱ河太郎像の次は、曹源寺へ。

 

 

曹源寺は、台東区松が谷3丁目にある曹洞宗の寺院。

由緒は、天正16年に(1588)に和田倉門付近に開創され、湯島天神下に移転後

明暦3年(1657)の明暦の大火により、現在地に移転。

曹源寺は、合羽屋喜八が葬られたことから、いつしか「かっぱ寺」と呼ばれるようになり

境内には、河童大明神を祀る河童堂があり、中には河童の手とされるミイラがあります。

 

曹源寺の次は、秋葉神社へ。

 

 

秋葉神社は、台東区松が谷3丁目に鎮座する

火産霊大神・水波能売神・埴山比売神を御祭神として祀る神社。

由緒は、明治初年頃、東京府内に火災が頻発したことを受け、明治天皇の勅命により

火災鎮護の祈願所として、現在の秋葉原の地に創建されたのが始まり。

後に日本鉄道の鉄道線が上野駅から延長され、貨物駅設置のため

明治21年(1888)に、現在地に遷りました。

 

 

秋葉神社をお参り後、記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

秋葉神社の次は、台東区生涯学習センターへ。

 

 

台東区生涯学習センターは、台東区西浅草3丁目にある

中央図書館やミレニアムホールなどを備えた施設。

中央図書館の中には、特設展示コーナー「池波正太郎記念文庫」があり

撮影はできませんが、上野・浅草を故郷とした池波正太郎氏の作品に関する資料や

復元された書斎、著作・自筆原稿・絵画などを公開。

グッズの販売も行われています。

 

台東区生涯学習センターの次は、江戸たいとう伝統工芸館へ。

 

 

江戸たいとう伝統工芸館は、台東区浅草2丁目にある

下町の歴史と風土の中で育まれ、受け継がれてきた伝統工芸品を紹介する施設。

これまで「江戸下町伝統工芸館」として利用されてきた施設の設備を更新し

平成31年(2019)3月28日にリニューアルオープン。

展示内容の充実も図られています。

 

江戸たいとう伝統工芸館の次は、おやつタイム。

 

 

初日は、たこ焼居酒屋 taco.44のたこせん、たい焼 写楽のたい焼きといった

下町の味を、みんなで楽しみました。

 

おやつタイムの次は、箭弓稲荷神社へ。

 

 

箭弓稲荷神社は、台東区浅草3丁目に鎮座する、保食神を御祭神として祀る神社。

由緒等は不明ですが、東松山市に鎮座する、五穀豊穣、商売繁昌、家内安全の守り神

箭弓稲荷神社と同名であることから、御分霊を勧請したなど、関係があると思われます。

 

箭弓稲荷神社の次は、浅草富士浅間神社へ。

 

 

浅草富士浅間神社は、台東区浅草5丁目に鎮座する、木花咲耶比売命を御祭神として祀る神社。

由緒は、もとは旧浅草三好町十番地(現在の蔵前2丁目周辺)に富士権現として鎮座していましたが

元禄年間(1688~1704)に幕命により、現在地に遷座。

江戸時代は、浅草寺の子院・修善院の管轄下にありましたが

明治6年(1873)、明治の神仏分離政策により、浅草神社の兼務社に。

境内は、平成10年(1998)に再建された社殿のほか、平成28年(2016)6月に建立された富士塚

「浅草富士」があり、人々の崇敬を集めています。

 

浅草富士浅間神社の次は、被官稲荷神社へ。

 

 

被官稲荷神社は、台東区浅草2丁目に鎮座する、倉稲魂神を御祭神として祀る神社。

由緒は、安政元年(1854)に、町火消・新門辰五郎の妻が重病で床に伏したとき

山城国(京都府南部)の伏見稲荷神社に祈願したところ、病は全快。

そして、安政2年(1855)に、お礼の意味も込め、伏見稲荷神社から御分霊を当地に勧請し

小社を創建したのが被官稲荷神社の始まりで、現在は浅草神社の末社として境内に鎮座。

社殿は創建以来のもので、覆屋は大正期の建築物と考えられています。

 

被官稲荷神社の次は、浅草神社へ。

 

 

浅草神社は、台東区浅草2丁目に鎮座する、檜前浜成命・土師真中知命・檜前竹成命という

浅草寺の草創に関わった人たちを主祭神として祀る神社。

通称として親しまれている「三社権現」「三社様」は、この三柱の神様を指し

もとは浅草寺の一部でしたが、明治の神仏分離政策によって切り離され

明治元年(1868)に三社明神社となり、明治6年(1873)、浅草神社と改称。

社殿は、慶安2年(1649)に徳川家光の寄進によって完成したもので

370年経った現在でも、当時の面影をそのまま残す、権現造りの貴重な建物。

昭和26年(1951)に国の重要文化財に指定されています。

 

浅草神社の次は、姥ヶ池跡へ。

 

 

姥ヶ池跡は、台東区花川戸2丁目、花川戸公園内にある東京都指定旧跡。

姥ヶ池は、明治24年(1891)に埋められた、隅田川に通じていた大池で

名称の由来は、浅草寺の子院・妙音院所蔵の石枕にまつわる伝説からといわれ

それは、昔、浅茅ヶ原の一軒家に娘が旅人を連れ込み、それを石枕で叩き殺す老婆がいて

ある夜、悪行を諫めようと、娘が旅人の身代わりになって大石の下敷きになって死に

悔いた老婆が池に身を投げ、そこから、里人が池を「姥ヶ池」と呼ぶようになったという

恐ろしくて悲しい伝説がもとになっています。

 

姥ヶ池跡の次は、隅田公園へ。

 

 

隅田公園は、隅田川沿い、台東区浅草、花川戸、今戸と対岸の墨田区向島にまたがる

昭和6年(1931)に開園した震災復興公園。

こちらで、桜を観賞したり、親水テラスで水辺の景観を眺めたりしながら、ぶらぶら歩いて

浅草駅でお散歩は終了。

 

 

そして、ご希望されたメンバーさんと和民 浅草雷門店で懇親会。

 

 

さらに、浅草文化観光センターの8階・展望テラスで夜景観賞をして、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、長時間お付き合いいただき、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com