森下~門前仲町散歩 2月2日(土) 【大入り編】 | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター小島信康です。

 

今回は只今開催中(~2/10)の東京お散歩教室「第128回 森下~門前仲町散歩」の

大入りだった2月2日(土)の様子をご紹介します。

 

出発は森下駅から。

 

 

まず、森下駅前交差点の四隅に聳え立つ、江戸時代の町火消のシンボル

纏のモニュメントをチェックしてから、森下公園へ。

 

 

森下公園は、江東区森下2丁目に所在する区立公園。

大正12年(1923)に起きた関東大震災の後に整備された、区内に7箇所現存する

震災復興公園の一つで、深川小学校に隣接し、有事の際は地域の防災拠点に。

園内には、今風のタコ滑り台や水飲み場にも可愛らしいタコがいて、公園のマスコットになっています。

 

森下公園の次は、高橋のらくろ~ド(高橋商店街)へ。

 

 

高橋のらくろ~ドは、江東区高橋にある商店街。
漫画家・田河水泡が、幼少期から青年期を江東区で過ごしたことから

ゆかりの地として、商店街には彼の代表作『のらくろ』がいたるところにいます。

 

高橋のらくろ~ドの次は、江東区立森下文化センターに行って

「田河水泡・のらくろ館」と伝統工芸展示室「工匠館」を見学。

 

 

田河水泡・のらくろ館は、平成10年(1998)に田河水泡の遺品が

遺族から江東区に寄贈されことにより、平成11年(1999)に開館。

館内は、田河水泡の生涯や作品に関する資料が多数展示されていて

日本の漫画文化の始まりを知ることができます。

 

 

伝統工芸展示室「工匠館」は、東京の消費生活を支える商工業地域として発展してきた江東区の

江戸時代以来の“匠の技”を紹介するスペース。

原寸大で再現された唐木細工職人の仕事場をはじめ、江戸切子など伝統的な工芸品に関する

数々の資料を見ることができます。

 

 

施設見学後、記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

森下文化センターの次は、白笹稲荷神社へ。

 

 

途中、東深川橋まで小名木川沿いをぶらぶらしたり

フルカワ製作所の前に立つ、深川のゆるキャラとして考案された「アッサリーちゃん」を眺めたり…

 

 

白笹稲荷神社は、江東区白河3丁目に鎮座する稲荷神社。

由緒等は不明ですが、丈の低い鳥居のトンネルが印象的で

境内には、「智加良石」(力石)があるほか、隣には子育地蔵尊が祀られています。

 

白笹稲荷神社の次は、深川資料館通り商店街へ。

 

 

深川資料館通り商店街は、江東区白河と三好に位置する

深川江戸資料館に面した約800mの通りに、約100店舗が並ぶ商店街。

下町情緒が感じられる老舗や、個性的な新しいお店のほか

「深川宿本店」や「深川釜匠」といった、深川めしが食べられるグルメスポットもあります。

 

商店街散歩の次は、深川江戸資料館へ。

 

 

深川江戸資料館は、江東区白河1丁目にある

公益財団法人江東区文化コミュニティ財団が運営する

江戸時代に関する資料等の収集・保存・展示のほか、区民に集会の場を提供している施設。

館内は、江戸時代末期、天保年間(1830~1844)頃の深川佐賀町の町並みを実物大で再現した

常設展示室をはじめ、企画展示室やレクホール、小劇場などがあります。

 

深川江戸資料館の次は、霊巌寺へ。

 

 

霊巌寺は、江東区白河1丁目にある、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院。

由緒は、寛永元年(1624)に、霊巌上人の開山により、霊巌島(中央区新川)に創建。

その後、明暦3年(1657)の明暦の大火により延焼し

万治元年(1658)、徳川幕府の都市改造計画の一環として、現在地に移転しました。

境内には、寛政の改革で有名な「松平定信の墓」(国の史跡)や

江戸六地蔵の一つ「銅造地蔵菩薩坐像」(東京都指定有形文化財)があることから

多くの江戸好きが訪れる歴史スポットにもなっています。

 

霊巌寺の次は、長専院へ。

 

 

長専院は、江東区三好1丁目にある、木造阿弥陀如来立像を本尊として祀る浄土宗の寺院。

由緒は、江戸時代前期の譜代大名・榊原忠次が開基、命誉圓壽が開祖となり、霊巌島に創建。

万治元年(1658)、霊巌寺とともに移転し、昭和3年(1928)に不動寺を合併。

以来、「深川の出世不動尊」として崇敬を集めています。

 

長専院の次は、おやつタイム。

 

 

おやつは、清澄通り沿いにある「パータシュー」と「深川 伊勢屋」で

シュークリームやお団子を買って、清澄庭園児童公園で頬張りました。

 

おやつタイムの次は、採荼庵跡へ。

 

 

採荼庵跡は、江東区深川1丁目にある江東区登録史跡。

採茶庵は、松尾芭蕉の門人で、パトロンとして知られた杉山杉風の庵室。

芭蕉は『奥の細道』の旅に出る前に、住んでいた芭蕉庵を手放し、しばらく採茶庵で過ごしました。

そして、元禄2年(1689)3月27日に出発し、船で隅田川をのぼり、千住大橋から陸路奥州へ。

当地は、実際に採荼庵があった場所から、若干離れているようですが

海辺橋のたもとには、庵室から旅立とうとする芭蕉の姿が再現されています。

 

採荼庵跡の次は、芭蕉俳句の散歩道へ。

 

 

芭蕉俳句の散歩道は、江東区深川1丁目の仙台堀川沿いにある小道。

松尾芭蕉の『奥の細道』の代表的な俳句が書かれた句碑が、旅の行程順に立っています。

 

芭蕉俳句の散歩道の次は、中の堀川児童遊園へ。

 

 

途中、大島川西支川沿いの散歩道で観梅タイム。

 

 

中の堀川児童遊園は、江東区佐賀2丁目に所在する、面積約319㎡の区立児童遊園。

大島川西支川と中の堀川の合流部に位置し、園内には、平成29年(2017)2月に撤去された

豊島橋の鋼材の一部を使用したベンチがあるほか、中の堀川樋門を間近で見ることができます。

 

中の堀川児童遊園の次は、心行寺へ。

 

 

途中、元木橋から東京スカイツリーをチェック。

 

 

心行寺は、江東区深川2丁目にある、阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の寺院。

由緒は、元和2年(1616)に光蓮社団誉一露屋道上人が開山、養源院が開基となって

八丁堀に創建され、寛永10年(1633)に現在地に移転。

本堂は、旧本堂が関東大震災や戦災で焼失した後、昭和42年(1967)に完成したものです。

また、境内には、深川七福神の福禄寿を祀る六角堂もあるため

お正月のご開帳期間は、七福神巡りをする人で大変賑わいます。

 

心行寺の次は、法乗院へ。

 

 

法乗院は、江東区深川2丁目にある、大日如来を本尊とする真言宗豊山派の寺院。

創建は寛永6年(1629)で、はじめ深川富吉町に開かれましたが、寛永18年(1641)に現在地に移転。

境内にある、「おゑんま様」として親しまれている、深川ゑんま堂は

為永春水の『春暁八幡佳年』や河竹黙阿弥の『梅雨小袖昔八丈』など

江戸の町人気質を盛り込んだ文芸や芝居の作品中に窺い知ることができるほか

平成元年(1989)に、特殊賽銭箱に賽銭を入れると、様々な説法が流れる

ハイテクゑんま様が誕生したことで、深川観光の新名所としても注目されています。

 

法乗院の次は、深川東京モダン館へ。

 

 

途中、日本で初めて科学的測量による日本地図を作成した伊能忠敬が

寛政7年(1795)から文化11年(1814)まで、居を構えたという「伊能忠敬住居跡」をチェック。

 

 

深川東京モダン館は、江東区門前仲町1丁目に所在する

平成21年(2009)10月10日に開館した、江東区の観光と文化の拠点。

建物は、昭和7年(1932)3月に竣工した、鉄筋コンクリート造、2階建ての近代建築を改修したもので

「旧東京市深川食堂」として、江東区登録有形文化財(建造物)と国登録文化財に指定。

中に入ると、深川仲町通り商店街振興組合に所属する商家の若旦那で

お寺やお宮に集まる鳩をモチーフにした、ゆるキャラ「なかもん」が出迎えてくれます。

 

深川東京モダン館の次は、辰巳新道へ。

 

 

辰巳新道は、江東区門前仲町2丁目にある、狭いY字の路地に小さな店がひしめく

昭和の香りが漂う飲み屋横丁。

明るい時間でも、懐かしさが感じられるレトロなスポットです。

 

こんなふうに、あちこちご案内して、門前仲町駅でお散歩は終了。

 

 

そして、有志のメンバーさんたちと「笑笑 門前仲町駅前店」で打ち上げをして、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、長時間お付き合いいただき、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もよろしくお願いいたします。

 

東京お散歩教室

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