若松河田~市ケ谷散歩 10月20日(土)&21日(日) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

お散歩ナビゲーター 小島信康です。

 

今回は10月20日(土)と21日(日)に開催した

東京お散歩教室「第124回 若松河田~市ケ谷散歩」の様子を簡単にご紹介します。

 

出発は若松河田駅から。

 

まずは、出世稲荷神社へ。

 

 

出世稲荷神社は、新宿区余丁町に鎮座する倉稲魂命を祀る稲荷神社。

由緒は、長禄元年(1457)に太田道灌が「郭向の岡」と呼ばれていた地に

稲荷大明神を勧請したの始まりで、元禄(1688~1704)の頃には

徳川綱吉の母・桂昌院の信仰篤く、しばしば相撲も興行され、賑わったといいます。

そして、明治6年(1873)に、それまで「粟津稲荷」あるいは「朝日稲荷」と呼ばれていたものを

「出世稲荷神社」に改称。

社殿は、昭和20年(1945)4月の空襲で旧社殿を焼失後、仮社殿を経て

境内南半分を公園用地(余丁東児童遊園)として新宿区に売却し

その資金で昭和47年(1972)10月に建立されたものです。

 

出世稲荷神社の次は、金辨戝天へ。

 

 

金辨戝天は、新宿区河田町に鎮座する弁財天。

創建年代は不詳ですが、もとは江戸時代にこの地にあった

松平伯耆守の屋敷に祀られていた邸内社と考えられ

戦後、しばらく朽ち果てた状態になっていましたが

東京女子医科大学の創立者・吉岡彌生らが尽力し

東京女子医科大学病院の一画に再建されたといいます。

境内は、狛犬の代わりに左右でとぐろの巻き方が違う狛巳が社を守護しており

金運のご利益があるといわれています。

 

金辨戝天の次は、念仏坂へ。

 

 

念仏坂は、新宿区市谷仲之町・河田町・住吉町にかかる階段坂。

坂名は、『新撰東京名所図会』では、昔この坂に老僧がいて

昼夜念仏を唱えていたことにちなむといい

他にも、坂の左右が谷に臨んでいて、屈曲して危険だったので

仏名を念じて往来する人がいたことから、という説もあります。

また、坂下には、フジテレビと記された道案内の石柱が立っていて

往時を偲ばせています。

 

念仏坂の次は、大角玉屋へ。

 

 

大角玉屋は、新宿区住吉町にある、元祖いちご大福のお店として知られる和菓子店。

こちらで、それぞれ気になった商品を、おやつやお土産用に購入。

 

 

21日は、大角玉屋で買い物をした後、近くの階段坂で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

大角玉屋の次は、小麦と酵母 満へ。

 

 

小麦と酵母 満は、新宿区住吉町にある、人気パン店。

こちらでは、話題の和風総菜パンなどを買って、みんなで試食をしました。

 

小麦と酵母 満の次は、策の池へ。

 

 

策の池は、新宿区荒木町のスリバチ地形の谷底にある小さな池。

名前の由来は諸説ありますが、徳川家康がこの池で乗馬用の策を洗ったから、といった説もあり

昔は湧水が滝となって注いで、「十二社の滝」、「目黒不動の滝」、「王子の名主の滝」などと並んで

江戸八井の一つに数えられていましたが、今では湧き水が減り、埋め立ても進んで

住宅街の中にわずかにその跡を残すのみとなっています。

 

 

20日は、策の池の前で記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。

 

策の池の次は、津の守弁財天へ。

 

 

津の守弁財天は、策の池の畔に祀られている弁財天。

古来より池畔にあった弁天祠を、崇敬者が昭和31年(1956)に現在地に遷座再建したもので

名称は、江戸時代、この地に上屋敷を構えていた松平摂津守が由来となっています。

 

津の守弁財天の次は、金丸稲荷神社へ。

 

 

金丸稲荷神社は、新宿区荒木町に鎮座する宇迦能御魂大神を御祭神として祀る稲荷神社。

由緒は、天和3年(1683)に松平摂津守がこの一帯を拝領し、上屋敷とした際

藩主の守護神として金丸稲荷社を奉斎したのが始まりで

伝承によると、度重なる江戸の大火や関東大震災の被害を免れ

昭和20年(1945)5月の空襲では、全町が焦土と化しましたが

町民に一人の死者も出なかったといわれています。

こうしたことから、金丸稲荷社の霊験があらたかだと、今も多くの人々の崇敬を集めています。

 

金丸稲荷神社の次は、モンマルトルの坂へ。

 

 

モンマルトルの坂は、新宿区荒木町にある階段坂。

坂名は、パリのモンマルトルの丘にある坂に似ていることから

このような呼び名になったという通称で、荒木町一の急坂です。

 

モンマルトルの坂の次は、新宿歴史博物館へ。

 

 

新宿歴史博物館、新宿区四谷三栄町にある、平成元年(1989)に開設された

公益財団法人新宿未来創造財団が指定管理者として管理運営業務を行う区立博物館。

建物は、地上3階、地下1階の構造で、常設展示室と企画展示室は地下1階にあり

常設展示室は、旧石器時代から平成までの新宿の歴史を6つのコーナーで紹介。

内藤新宿の模型、江戸時代の商家、東京市電5000形のレプリカ、昭和初期の文化住宅など

見応えのある大型展示も複数あります。

 

新宿歴史博物館の次は、桝箕稲荷神社へ。

 

 

桝箕稲荷神社は、新宿区四谷坂町に鎮座する

宇迦能御魂大神を主祭神とし、猿田彦命大神を相殿として祀る稲荷神社。

元和年間(1615~1624)に、この地の守護神として奉斎されたのが始まりで

古くは「真須美稲荷」といわれていましたが、五穀を司る神社であることや

江戸時代、周囲に御先手組の屋敷があって、御賜米の配分などが行われたことから

「桝箕」の文字が用いられるようになったといいます。

 

桝箕稲荷神社の次は、茶ノ木稲荷神社へ。

 

 

茶ノ木稲荷神社は、新宿区市谷八幡町に鎮座する

稲荷大神と保食神を御祭神として祀る、市谷亀岡八幡宮の摂社。

弘法大師空海が関東下向の際に創建したといわれ、食物・衣服に関することから

家内安全、農業、工業、商売繁盛、技芸上達、交通や旅行の安全等、ご利益は幅広く

昔、稲荷大神の神使の白狐が、誤って茶の木で目を突いてしまい

それ以来、崇敬者が茶を忌み、茶断ちして願ったところ、眼病が治ったという伝説から

特に眼病平癒の霊験があらたかといわれています。

 

茶ノ木稲荷神社の次は、市谷亀岡八幡宮へ。

 

 

市谷亀岡八幡宮は、新宿区市谷八幡町に鎮座する

誉田別命・気長足姫尊・與登比売神を御祭神として祀る神社。

由緒は、太田道灌が文明11年(1479)、江戸城の西方の守護神として

鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりで、創建時は市谷御門の中にありましたが

寛永13年頃(1636頃)、外濠の完成を機に稲荷社地内(現在地)に遷座。

徳川家光や桂昌院などの信仰を得て再興され、江戸時代は「市ヶ谷八幡宮」と称されました。

そして、明治5年(1872)、神仏分離令により、別当寺であった東圓寺が廃寺。

昭和20年(1945)5月の空襲では、ご神木なども含め全焼するも

昭和37年(1962)に社殿が再建され、現在に至ります。

また、文化財として、軍配団扇、銅鳥居、力石、水鉢台座の几号水準点などが知られるほか

近年は、ペットと一緒の初詣やペットの厄除祈願、ペットお守りなどが

ペット愛好家の間で話題となり、メディアで数多く取り上げられています。

 

 

こんなふうにあちこちご案内をして、最後に市ヶ谷橋を渡って、市ケ谷駅でお散歩は終了。

 

 

そして、ご希望されたメンバーさんと両日ともに

「テング酒場 市ヶ谷店」で打ち上げをして、解散となりました。

 

ご参加くださいました皆様、長時間お付き合いいただき、誠に有難うございました。

 

それでは、次回もどうぞよろしくお願い致します。

 

東京お散歩教室

http://tokyo-osampo.com