神楽坂~高場馬場散歩 1月9日(土) | 東京散歩道

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「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

こんばんは(^-^)/


今回は1月9日(土)から始まりました東京お散歩教室

「神楽坂~高田馬場散歩」の初日の様子を簡単に紹介します。


出発は神楽坂駅から。


まずは、駅近くにある赤城神社へ。




新宿区赤城元町に鎮座する赤城神社。

赤城神社は、上野国の赤城山麓から牛込に移住した大胡彦太郎重治が

正安2年(1300)に赤城神社の分霊を祀ったのが始まりと伝えられている古社。

ご祭神は岩筒雄命と相殿として赤城姫命を祀っています。(他境内社多数あり)

江戸時代には幕府により江戸大社の一つとされ、牛込の鎮守として信仰を集めました。

近年は、平成21年から22年にかけて「赤城神社 再生プロジェクト」という工事が行われ

境内に隣接していた私立赤城幼稚園は閉園となり、跡地にマンションが完成。

老朽化した社殿も再建され、スタイリッシュな今風の神社へと様変わりしています。




「まるでスフィンクスみたい」と形容され、親しまれている狛犬。




境内にある「あかぎカフェ」。

本格イタリアン料理が食べられるお洒落なカフェということで

女性や若者たちの間で話題になっています。


赤城神社の次は、あかぎ児童遊園へ。




2頭の巨大ゾウの滑り台が出迎えてくれる「あかぎ児童遊園」は

新宿区赤城下町にある区立公園。

この滑り台のインパクトがすごくて、ネットなどでも数多く紹介されています。

初日のメンバーさんは、こちらをご覧になって大興奮(笑)

皆さん一斉にカメラを向けられ、実際に滑った方もいらっしゃいました。




上のゾウにはちゃんと牙があり、凝ったつくりに制作者のこだわりが感じられます。


あかぎ児童遊園の次は、天神町北野神社へ。




天神町北野神社は、新宿区天神町にある菅原道真をご祭神として祀る神社。

天神町の町名は当社の鎮座からといわれている古社で、創建年代は不詳ですが

徳川秀忠に仕えた大友義乗が賜った牛込の屋敷内に大宰府天満宮を勧請したのが

始まりともいわれています。

社殿は、昭和20年5月の空襲で全てが焼失した後に再建されたもの。

境内には、道真公が愛した梅の木が何本かあり、既に紅梅が咲き始めていました。


天神町北野神社の次は、白石精肉店へ。




白石精肉店は、「看板は出てるけど、お店はどこにあるの?」という、謎に満ちた精肉店。

実はこちらのお店、弁天町交差点の角地に建つマンション1階に入っていて

“見つけにくいお肉屋さん”として知られています。




予め電話でお願いしておいたコロッケ&メンチカツを受け取り、みんなで試食。

「揚げたて最高!」と、全員大満足のご様子でした。


小腹を満たした後は、漱石公園へ。




漱石公園は、新宿区早稲田南町にある、「夏目漱石終焉の地」として

新宿区指定史跡になっている区立公園。

この地は、夏目漱石が明治40年から大正5年に亡くなるまで過ごした「漱石山房」が

あった場所で、漱石はここで「三四郎」、「それから」、「こゝろ」といった代表作を執筆。

園内には、「則天去私」の碑文が記された彫刻家・富永直樹作「夏目漱石の胸像」や

漱石の死後、遺族が飼っていた犬、猫、小鳥の供養のために建てた「猫塚」(復元)

漱石の関連資料やパネルを展示している「道草庵」などがあります。

また現在、夏目漱石生誕150周年となる平成29年9月の完成を目指し

(仮称)「漱石山房」記念館の建設計画が進められています。


初日は、こちらの夏目漱石の胸像と一緒に記念写真。

皆さん、撮影ご協力有難うございました。


漱石公園の次は、天祖神社へ。




新宿区早稲田鶴巻町にある天祖神社は、天照皇大神をご祭神として祀る神社。

創建年代は不詳ですが、天和2年(1682)に今の榎町から現在地に遷座したと伝えられ

江戸時代は「神明宮」や「神明神社」と称し、明治時代に「天祖神社」に改められました。

社殿は、旧社殿が昭和20年5月の空襲で焼失した後、昭和41年に本殿が復興。

その後、社務所、拝殿、手水舎等が順次再建され、現在に至っています。


天祖神社の次は、早稲田大学へ。




国の重要文化財に指定されている「早稲田大学大隈記念講堂」。

大隈講堂は、地上3階建て、地下もある講堂で、時計塔の高さは約37.8m。

建設にあたり、当時の総長・高田早苗は、「ゴシック様式であること」と

「演劇に使えること」という注文を出し、理工科の教授陣によるコンペが行われ

その当選作を参考にして、建築科の佐藤功一と佐藤武夫が設計を担当。

構造は、後に東京タワーを設計する内藤多仲が担当し

音響設計は、電気科の黒川兼三郎が手掛けました。

施工は戸田組(現・戸田建設)が行い、昭和2年10月に竣工。

早稲田大学のシンボルとして、大学主催の重要な行事や講演会の多くは

今もここで催されています。


大隈講堂の外観を眺めた後は、會津八一記念博物館へ。




會津八一記念博物館がある早稲田大学2号館は、理工学部の教授だった今井兼次が設計し

大正14年に図書館として建てられた学内で2番目に古い建物(東京都選定歴史的建造物)。

平成10年に博物館に転用され、大学の文化財を紹介しています。

主な収蔵展示品は、早稲田大学美術史学の生みの親である會津八一が収集した

東洋古代美術のコレクション、日本近現代美術作品、考古資料、會津八一の書

富岡重憲コレクション、アイヌ民族の文化遺産等々。

また、1階には、早稲田大学創立125周年を記念して、創立者・大隈重信の事績を

明らかにするとともに、建学の精神の体現の場として設けられた

常設展示室「大隈記念室」があります。


會津八一記念博物館の次は、大隈重信像を見てから、演劇博物館へ。




演劇博物館は、昭和3年10月に、早稲田大学文学部の設立者・坪内逍遙の古稀と

「シェークスピヤ全集」の完訳を記念して建設された博物館(新宿区指定有形文化財)。

シェイクスピア時代の劇場「フォーチュン座」を模した、地上3階、地下1階の建物の中には

「逍遙記念室」をはじめ、8つの展示室と図書閲覧室があります。

また、外部は実際にシェイクスピア劇が上演できるようになっており

建物正面が舞台、2階の廊下は上舞台、図書閲覧室は楽屋、建物の両翼は桟敷席

建物前の広場は一般席となる仕組みになっています。

なお、正面舞台上に掲げてあるラテン語(Totus Mundus Agit Histrionem)は

「全世界は劇場なり」という意味で、これはシェイクスピア時代の劇場グローブ座に

掲げてあった看板の句です。





貴賓室として作られた「逍遙記念室」。

逍遙来館の際も使用されたとのことで、エリザベス朝時代の意匠を取り入れた

部屋の天井には、逍遙の干支にちなんだ羊の装飾が施されています。

(演劇博物館は、こちらと他一部を除き、館内撮影禁止となっています)




常設展示室(中世)に設けられている「能面体験コーナー」。

視界の狭さにびっくり!殆ど何も見えません。

これを装着して演じるなんて、本当にすごいことだと思いました。


演劇博物館を見学し、早稲田大学を出た後は、水稲荷神社へ。




新宿区西早稲田3丁目にある水稲荷神社は、倉稲魂大神を主祭神とし

佐田彦大神と大宮姫大神を相殿として祀る神社。

平安中期の鎮守府将軍・藤原秀郷が、旧社地(早稲田大学9号館法商研究棟あたり)の

「富塚」という古墳の上に稲荷大神を勧請したのが始まりといい、初めは「富塚稲荷」

「将軍稲荷」と呼ばれていましたが、元禄15年(1702)に境内の大椋の下から湧出した霊水が

江戸で流行っていた眼病の治癒に効いたことなどから、「水稲荷」と呼ばれるようになりました。

現社地に移転したのは、昭和38年のことで、早稲田大学との土地交換により遷座。

その際、「富塚古墳」や江戸中最古の富士塚「高田富士」も移築されました。

境内には、社殿の他、浅間神社、三島神社、水神社、大国社、高木神社、北野神社といった

境内社が多数ある他、参道には、赤穂浪士の一人として有名な堀部武庸の

高田馬場の決闘での助太刀を称える「堀部安兵衛之碑」があり

参拝客だけでなく、歴史愛好家も訪れるスポットになっています。




拝殿の脇に祀られている「耳欠け神狐」。

身体の痛いところと神狐を交互に撫でると、痛みが和らぐとのこと。

歩き疲れたせいか、足腰を撫でていたメンバーさんが、けっこういらっしゃいました(笑)


水稲荷神社の次は、甘泉園公園へ。




甘泉園公園は、西早稲田3丁目にある新宿区立唯一の回遊式庭園。

甘泉園という名は、園内の湧き水が清冽でお茶に適していたからといわれています。

この場所は、安永3年(1774)に、徳川御三卿の一つ、清水家の下屋敷が置かれたところで

明治時代に相馬子爵家の邸宅となり、昭和13年に早稲田大学に移譲されました。

そして戦後、東京都が土地を買収して都立公園化された後、昭和44年に新宿区に移管。

公園は、神田川に沿って東西にのびる段丘の高低差を利用したつくりになっていて

ツツジやアジサイ、新緑や紅葉、冬の雪吊りなど、四季折々の景観が楽しめます。

また、「みどりの新宿30選」や「日本の歴史公園100選」にも選ばれています。


甘泉園公園の次は、今コース2つ目の天祖神社へ。




新宿区西早稲田3丁目にある天祖神社は、当地を開拓した豊臣秀吉の遺臣

小泉源兵衛によって、正保2年(1645)に創建された、天照皇大神をご祭神として祀る神社。

江戸時代は、「神明宮」、「神明神社」と称していましたが、明治3年の大教宣布で

「天祖神社」となり、明治27年の本社普請の際に、それまで境内にあった

諏訪神社、須賀神社、稲荷神社、厳島神社の四祭神を合祀しています。


天祖神社をお参りした後は、高田馬場駅まで歩いて、お散歩は終了。




そして、ご希望されたメンバーさんと打ち上げをして、解散となりました。


皆様、長時間お付き合いいただき誠に有難うございました。


それでは、次回のお散歩も、どうぞよろしくお願いいたします。


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