やらずにはいられないことに出会ってしまった人たちへ | 東京散歩道

東京散歩道

「東京お散歩教室」主宰、小島信康が綴る身近な街の素敵発見探訪記。

一本、メッセージ系の記事など。


私、時々、自分の滑稽さに苦笑することがあります。


40にもなって

誰に頼まれるわけでもなく

地図とカメラとノートを携えて

毎日同じ場所に出向いて

足が棒になるまで歩き回っていることに。


収入にはね返る訳でも(いや、むしろ身銭を削って)

誰が評価してくれるわけでもないのに…。


客観的に、第三者目線で見てみると

「この人、なんで、こんなことやっているの?」

なんですよね(^_^;)


なんですが、そうせずにはいられない

自分でも理解できない何かに突き動かされています。


ちょっと突飛な発言ですが

「そうせずにはいられない」

こういうのって意思を超えたところのもののような気がします。


導きとでも言うのでしょうか。。。


ですから、お金にならないとか、評価されないとか

そういったことを理由に

やらずにはいられない衝動を絶つというのは

私にとって、それは死を意味するものだと思っています。


音楽をやるでも、絵を描くでも、詩を書くでも

そうですが、誰に言われるでもなく

それをやらずにはいられない人たちは

少なくても情熱が冷めて

もう一切関わりたくないと思うようになるまでは

たとえどんな状況であれ、あらゆる手段を講じてでも

やり続けた方が良い気がします。


“放出”とでも言うのでしょうか?


意思とは無関係にどんどん、どんどん

魂が生産、出荷をしているんですよね。


誰でも皆いつかは逝くのですから

それなら全てを出し切ってから

逝きたいものです(^-^)