立憲民主党が国民の声に推されて誕生して約1年が経過しました。立憲民主党を生み出した草の根の声を原点とした政党づくり、その柱として「立憲パートナーズ」が提案されました。「立憲パートナーズって何だろう」、提案した枝野代表はじめとするメンバーにとってもイメージはあるけれど、どう具体化できるのかを試行錯誤する1年だったと思います。ようやく、具体的なイメージが多くの人に共有され、前進を始めたように感じています。「立憲パートナーズってなんだろう?」という動画(1分30秒)もアップされ、多くの人が見てくれています。まだの方は是非ご覧ください。

 

私自身、もともと市民運動の出身で草の根からの政治をめざしてきました。しかし、政党組織を作り、議員が増えてくると次第に議員中心の議論で決めた政策をトップダウンで国民に訴える形になりがちだったと反省しています。いろいろな課題を抱えている一人一人の国民自身が広く政党の政策議論に参加し、そこで生まれた政策の実現のために力も出し合う、そうしたボトムアップ型の政党を目指すこと、それが「パートナーズ」のねらいです。

 

立憲民主党として最初に取り組んだ「原発ゼロ基本法」では全国で20回のタウンミーテイングを開き、合わせて2000人以上の人から意見を出してもらい、そうした意見を盛り込んだ法案を作成しました。そして立憲民主党を中心に4野党と無所属議員2人が共同提案し、今も衆議院で継続審議になっています。

 

枝野代表はアメリカ大統領選予備選挙で若者から大きな支持を集めたサンダース上院議員と会談し、サンダース氏から「若者の学費問題をしっかり受け止めたことが支持につながった」との話を聞いたそうです。日本でも大学生の半数以上が卒業時に奨学金という名の相当の借金を背負って卒業しなくてはならない現状に、シールズなどの学生グループが異議が出されています。こうしたいろいろな課題を抱えた現場から多くの意見を出してもらい、その解決のための政策を共に立案するのがパートナーズ制度です。

 

それに加えて私は、パートナーが選挙でも力を発揮する存在になってほしいと考えています。例えば選挙の時のポスター貼りです。1976年のロッキード選挙と呼ばれた総選挙に最初に立候補したとき、私はどの政党にも属しておらず、労働組合からの推薦も受けていませんでした。中選挙区時代で東京北多摩の15の市からなる広い選挙区の公営掲示板にポスターを貼るのは大仕事でした。各市の市民運動や学生時代の運動の仲間、更には私が弁理士であったことの縁で弁理士の方々にも協力を得て何とか最初の2日間で全て貼ることができました。候補者にとって立候補の初日にポスターが貼れないようでは「泡沫候補」とみられる心配をするのです。

 

私はパートナーとして大いに意見を言い、同時に選挙になれば強力な支援部隊になるパートナーズ制度に育ってほしいと考えています。先日10人ほどのパートナーが参加した会合で、「市民選挙のノウハウ」という私自身の初期の頃の資料を題材に、選挙の実務について話し合いも持ちました。パートナーの皆さんも政策議論だけでなく、選挙にどういう形で参加するのが効果的か活発な話し合いになりました。選挙というのは大変ではありますが、ある意味では面白い活動です。仲間もできます。若い人の間でカップルが生まれることもよくあります。厳しい選挙運動を通してお互いの本当の姿がよく見えるからだと思います。

 

人生100年時代です。60代、70代、80代になっても元気な間は仲間と一緒に活動するのは楽しいことです。選挙での応援活動はそうした楽しみにもつながるというのが、私の実感です。多くの皆さんにパートナーになって、自分に向いた活動に参加してもらいたいと思います。

 

「立憲パートナーズってなんだろう?」

「市民選挙のノウハウ」