石牟礼道子さんの訃報を聞いて、一度は読まなければと思いながら読んでいなかった「苦海浄土」を読み始めました。水俣病は戦後最大の工場公害であり、私自身厚生大臣の時を含め色々な形でかかわり、関心を持ち続けてきました。戦後しばらくして貧しい漁村に化学工場が進出し、働き口が出来て町が発展すると地元でも歓迎されていたそうです。その工場から海に流された排水中に含まれた有機水銀が水俣病を発生させました。「苦海浄土」を読み始めて、水俣病になった患者さんとその家族の苦痛の大きさを改めて再認識しました。

 

福島原発事故もある意味での工場公害です。事故を起こした発電工場から大量の放射性物質が放出され、そのために多くの人が避難を余儀なくされ、農業などの仕事が継続できなくなっています。最悪の場合、福島原発事故は東京を含む東日本から五千万人の人が避難しなければならない、日本が壊滅する瀬戸際の事故でした。二度と同じような放射能汚染を引き起こさない発電方法に転換するのは当然のことです。

 

水俣病でも福島原発事故でも、事故を起こした会社の幹部は一応責任を認めて謝罪しています。しかし労働組合はどうでしょうか。もちろん一般の社員は会社の指示で働いていたので、会社の幹部と同じ責任があるとは思いませんが、なぜ事故が起きたかという深い反省は必要です。

 

しかし、工場公害でも電力会社の原発事故でも、事故を二度と起こさないためにどうするかという観点からの労働運動の反応は大きくありません。1960年代市民運動が盛んになった背景にも、労働運動だけに頼っていたのでは大気汚染など環境問題の解決につながらないということがありました。原発ゼロの実現にも、従来の右、左といったイデオロギーに関係なく、広範な国民運動が必要です。来年の参院選に向けて原発ゼロ候補を国会に多数送り込む国民運動を展開していこうではありませんか。