加計学園をめぐる安倍総理の厚顔無恥な居直りに私は怒っている。

 

 1996年、私が厚生大臣就任直後、薬害エイズに関する資料を探すように厚生省の官僚トップに指示したが「見つかりません」という返事。そこで私は大臣直属の調査チームを任命し、歴代薬務局長を始め関係者の名前をリストアップし、質問事項を列挙し、調査チームのメンバーが直接会って質問し、回答を持ち帰るように指示した。調査を始めて数日後、薬務局長から「資料が見つかりました」との返事。どこにあったと聞いたら、薬務局のロッカーの中という。

 
 つまり、資料があることは分かっていたが、「見つかりません」で逃げ切れると思っていたのに、直接大臣が調査を始めて逃げ切れないと分かったので「見つかりました」と申し出たのだ。この資料が発見されたことで、薬害エイズ裁判は国と製薬メーカーが責任を認め、被害者の救済につながる和解が成立した。
 
 加計学園の場合は真逆である。ごく最近まで文科省のトップであった前次官が、文科省の資料であることを認めているのに、総理や官房長官が「怪文書」と言って闇から闇に葬ろうとしている。こんなことを認めていたら、官僚が安倍総理の私兵化し、安倍独裁国家になる。官僚の中からさえ、勇気をもって声が上がっているのに、与党内でおかしいという政治家が出てこないのは異常だ。このままでは民主主義が死ぬ。