昨日、篠原一先生のお別れの会があり、出席した。私にとっては、教室で講義を受けたことはないが、「市民政治」を運動の中で多くを学ばせてもらった大事な恩師だった。


  1977年、江田三郎さんが社会党を離党し、社会市民連合を立ち上げる時、江田三郎さんと私のグループとが公開討論会を開いた事がある。この時も篠原一先生が司会役をつとめて下さり、私も新党結成に参加する事になった。


  私が初当選した1980年ごろ、篠原先生は丸山ワクチンの認可を求める運動をされており、私にも協力要請があり、取り組んだ。当時丸山ワクチンと同様な免疫療法薬としてライバル関係にあり、いち早く認可されたクレスチンという薬を調べていたら、開発に携わった学者が薬事審議会メンバーとして審査にも携わっていることが分かった。私が国会で取り上げ、「一人二役問題」として大問題となり、100人以上の薬事審議会委員が交代させられた。薬メーカと厚生省の癒着だ。


  私がその後薬害エイズに取り組むことができたのも丸山ワクチンで薬事行政について詳しくなっていたおかげだ。


  篠原先生には本当にお世話になりました。