フランクフルトを経由してベルリンに到着。今回のドイツ訪問はハインリヒ・ベル財団と日独センターが中心になって招いてくれたため。10月13日に両団体主催で「危機管理ー2011年3月の東日本大震災の教訓」というテーマで講演する。


東日本大震災と津波は被害は大きかったが、阪神淡路大震災の教訓が生かされ、危機管理的には素早い自衛隊の大部隊の出動など迅速な対応ができたと思う。


しかし、福島原発事故に対しては全く備えが出来ていなかった。東京電力自体が地震、津波で全電源が喪失し、メルトダウンを起こすという事をまったく想定せず、逆にそうした過酷事故は絶対に起こらない事を前提としていた。政府の体制もそうした過酷事故をまったく考えないものであった。そのため、危機管理としては極めて不十分であったと言わざるを得ない。


事故が発生したのは自民党の長期政権から民主党政権に代わって1年半後だった。54基の原発はすべて自民党政権時代に建設された。また、原子力事故対応の組織も全て自民党政権で構築され、原発事故対応に当る官僚組織の中心は経産省エネルギー庁原子力安全・保安院であった。


日本の官僚組織は、一般には大臣を支える優秀な専門家集団とされている。私の厚生大臣や財務大臣の経験からも、官僚はその道の専門家集団だと認識していた。しかし、原発事故に対する保安院の危機管理体制はとても優秀な専門家集団とはいえなかった。その象徴が、事故対応のかなめ役となるべき保安院長が経済学部出身で、原発に対しては専門知識を持たない官僚であった事に表れている


つまり、過酷事故は起こらないことを前提とした危機管理体制であり、実際に福島原発事故に際して保安院は初期段階では現場の状況把握がほとんどできず、危機管理対応は極めて不十分であった。その後民主党政権下で、経産省と切り離した原子力規制委員会を創設するなど、原発事故に対応する危機管理体制を大幅に変えた。しかしまだ十分とは言えない。


自民党は事故発生時に野党であったために、自民党政権時代に構築した原発事故に対する危機管理体制の不備について、責任を痛感していないように見える。原子力問題特別委員会でも自民党議員の質疑は「再稼動を急げ」という質問ばかりで、福島原発事故を招いた責任が自民党政権時代にある事を自覚した質問はほとんど聞かれない。このままでは、原発に対する危機管理は事故前のように原子力村の思うがままの甘いものに、自民党政権下で再び逆戻りされてしまいそうだ。