オーストラリアのダーウインに近いカカドウ国立公園で、先住民のアボリジニのミラー族の代表と面会。彼らは、このアボリジニの土地である、レンジャーウラン鉱山から採掘されたウランが福島原発に使用され、事故を起こしたことを申し訳なく思っているという。


 この感覚は本当にすごいことだ。日本の東電が必要だから買ったウランを使った原発が事故を起こしたからといって、そのウランを採掘した土地の所有権者である先住民が申し訳ないという気持ちを持ってくれているということに感動するとともに、考えさせられた。


 アボリジニにとって、住んでいる土地は所有しているというよりも、その土地に生きて生活していることと一体不可分の存在。資本主義的な「所有」とは全く違い、自分たちの存在と一体不可分のものなのだ。その自分たちの土地から取り出されたウランで被害を受けた人たちに申し訳なく思うという感覚はそこから来ている。


 6万年以上この地に生き続け、壁画などの文化を残してきた先住民のアボリジニにとって、持続可能な社会というのは、自分たちが生き、生活している土地と一体の感覚である事が少しわかったように思う。



▲アボリジニの代表の方(右2人目)と懇談


▲「オーストラリアのウランが福島で使われた」との横断幕



▲上空からレンジャーウラン鉱山を視察(撮影:Dominic O'Brien氏)



▲レンジャーウラン鉱山について説明を受ける