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3月29日、 薬害エイズ裁判和解18周年記念集会で講演を頼まれ、出席。

 18年経過すると、原告や弁護士は和解当時のことは覚えているが、厚生省の若い官僚は詳しいことを知らないものが多くなってくる。

せっかくの機会なので、自社さ政権下で国の責任を認めて和解した経緯について詳しく話をした。それまで厚生省は薬害で感染した人は気の毒だが、国や薬メーカに責任はないという態度であった。1996年、自社さ政権2期目の橋本政権が誕生する時の3党協議で、新党さきがけの政調会長として出席していた私から、薬害エイズについて「責任問題を含め、真相究明に努める」という文章を合意書に入れることを強く主張し、押し込んだ。

 その直後1月の橋本内閣の組閣で私が厚生大臣に任命された。私は直ちに3党政権合意に沿って真相究明の調査を進め、国と薬メーカの責任が明らかな資料を発見。その結果、東京地裁と大阪地裁の和解勧告を受け入れることを3党連立内閣として了承した。そして正式に和解が成立したのが1996年3月29日。18年前の今日だった。

 話の最後に、出席していた現役の若い官僚諸君に向けて「官僚は先輩のやった失敗を隠す。そのため同じ失敗を繰り返す。原発事故も同じ構造。そうならないように。」と一言述べておいた。



▲記念集会にて講演