池澤夏樹氏の「すばらしい新世界」を読み進んでいる。


  その中で「科学技術が一種の宗教だというのは案外当たっているのかもしれない」と主人公が語っている場面が出てきた。同時に「やはり問題は、この宗教には来世思想が全くないことだ」と、作者は主人公に述べさせている。


  道徳的な生活を勧める運動など宗教に類似した活動集団があるが、「来世思想」の有無が宗教との違いと説明を受けたことがある。


  私自身は「来世」の存在を信じてはいない。しかしだからと言って、自分が死んだ後の世界がどうなってもよいとは、もちろん思わない。「孫に原発を残さない」と考えるのも、来世は無くても次の世代が我々世代を引き継いでくれる事は信じられるからだ。


  いま問われている原発の問題は、こういう種類の問題だ。経済も重要。雇用も重要。しかし、我々世代の現世利益だけで考えてよい問題ではない。「来世」が有っても無くても、次の世代に引き継いでもらわなくてはならない現世を、引き継ぐに値するものとして残したい。