あれから11年目の3.11

あの日は会津若松市内でこの未曾有の地震に遭遇

それから関西から来ていた客人を乗せて車で郡山駅に向かう

この客人はどうしても当日中には東京まで行きたいという

高速も止まっており新幹線もと不通になっていたが、とりあえず動くのを郡山

で待ちたいという。

客人を乗せてぐにゃぐにゃと余震で揺れる国道を郡山まで行った。

案の定新幹線は再開する兆しはなかったので、市内のホテルで滞在したいと客人。

ところが停電やこの騒ぎでどこも受け入れてくれるところがない。

郡山市内は会津よりも酷い状況の様子

携帯も不通だったので直接一軒づつ回って聞いた。

その客人、じゃ磐梯熱海あたりはどうだろうか・・無理なら会津のホテルでも構わん・・

ということでダメ元で某旅館に行ったら受け入れてくれた。

 

客人を降ろしてホッとしながら帰路

この日は飲み会が予定されていたが待ち合わせの時間は過ぎていた。

携帯も繋がらないので誰とも連絡ができない

まさかこんなに酷い日だから中止だろう

(後で聞いたら飲み会やってたらしい・・来なかったことを怒られるw)

 

磐梯熱海からの帰り道、ぼっさぼさのでかい雪が降り積もっていた。

今でもこの雪の光景だけが焼き付いている。

 

その頃の故石原氏の発言からの拙者の記事

 

3/16 我欲

 

 
2022年の今日、日本人のアイディンティティはどう変わったか?
 
「我欲」は流されただろうか・・・
 
・・・
 
などと。うんうん。