上記地図は福島県・大玉村と二本松周辺の地図であります。 ↑
国道4号から県道30号(ミドルライン)で国道459号線「岳温泉」方面に向かって進むと、大玉村から二本松市に入ったあたりに忽然と大玉村の飛び地が現れます。(上図赤で囲んだ地区)
この部分を拡大してみます。 ↓
こんな風になってます。
「飛び地」は大玉村玉井地区となってますが、このあたりは馬場平と呼ばれてます。
だから通称この飛び地部分は大玉馬場平、その下は二本松馬場平と区別されているようです。
なぜここが飛び地だったかはわかりませんが、二本松藩時代などもここは大玉村分だったようです。
そして昭和になって渡辺某という方がここを酪農地として開墾したようです。
ところが太平洋戦争も中頃になってこの飛び地部分の大部分は突然帝国海軍によって接収されたそうです。
こんな山の中をなぜ???
それは 秘匿飛行場 として!
県道30号(ミドルライン)からこの飛び地を横断する県道368
合線に入ってみる。
すぐに左手(北側)にまっすぐに小道があり酪農家さんの敷地が見える。
この小道と酪農家さん敷地が飛行場跡と推測される。
そしてこの農家さん敷地の北側あたりが端っこ部分か?
それとこの県道368号をそのまま進むと小さな川を越えるがそこが飛び地と二本松市の境界。
その川を渡る橋は現在は何気ないコンクリート橋だが、伝説によるとこの地に不時着したゼロ戦の機体で橋を架けたという話もある。
もちろん今は形跡もない。
またこの飛び地は若干の人家とこのような牧草地と林だけ。
ちょっと露出が悪いが、先ほどの小道を南側に進んでみる。 ⇒
この道路部分と人家部分が滑走路のような気配。
当時は赤とんぼなる練習機などが飛来してたらしい。
また飛行機が飛来するときなどは現在の県道は通行止めにしての厳重体制をとっていた。
また、県道30号沿いには軍の兵舎などの建物や弾薬庫もあったらしい。
終戦直後は米軍によってその弾薬庫などは爆破され、今でもその箇所はわかるそうだ。
これ遺構じゃないよね?? ⇒
ここを赤とんぼが!
秋なのにまだ本物の赤とんぼはおりませぬww
ここを左折すると飛び地最南端の人家があります。
このあたりが飛び地の南端。
ここからは多少勾配を下げながら「二本松馬場平」地区になります。
おそらくこのあたりが飛行場の最南端か!?
ほぼこんな感じだったのではなかろうか? 上部部分ちょい長すぎたかな???
次回は「会津にも秘匿飛行場が!?」。。。 うんうん。