無料サンプル【ハイヒールで踏まれて:アルトカルシフィリア】葉桜夏樹 著 ① | 天使の刻印 - 葉桜夏樹 Blog
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(kindle本のサンプルは縦書きですがweb用に読みやすいよう横書きにし、ルビ等など再度編集していますので実際の文章とは違います)



ハイヒールで踏まれて アルトカルシフィリア / 葉桜 夏樹 著 kindle版 光英出版 \784

第1章 新人研修

十歳前にして失業しました。古いアパートに住みながら、アルバイトでしのぎ、生活を切り詰め、食事を抜くこともありました。独身で妻子がいなかったことは幸いでした。誰も不幸にはせずにすんだからです。貧困の波にもまれ、おぼれかけていると、非正規扱いですが、どうにか採用されたのが、この婦人靴を販売する会社でした。

 天にも昇る気持ちでした。婦人靴を扱っているだけあって若い女性ばかりの職場でしたが活気がみなぎっていました。私は自分の醜い容姿はもちろんのこと、まだ体に不安を覚えるほどの歳ではないにせよ、五十に手が届き、染みついたであろう加齢臭や、笑うこともままならない倦怠的な顔つきなど、明らかにこの会社では場違いであることにかなり気後れしましたが、女性社長の凜子様は「山川さんのような年配の男性がいるのは心強いですよ」と言ってくれました。

 その言葉は私の陰鬱な気持ちを払いのけ、どれだけ嬉しかったことでしょう。生きがいを取り戻した年寄りのように嬉々となりました。 社長の凜子様は経営者らしい整然とした話しぶりの知的な方で、若く美人でありながら、物腰の低い、ひかえめな女性の印象でした。他の女性スタッフもみんな若く美人で親切でした。研修中の私は希望にあふれていましたが、少しずつ私の立場は変転していきました。

 彼女らの私への視線や顔つきそして身振りが変わりはじめました。女神のような笑みの裏に隠された女の本性。彼女らは確かに女神のごとく優しい顔も見せます。母性が顔をのぞかせる時もあります。それは彼女らが愛している男性という条件付きで、それ以外の、つまり愛する男の反対に位置するような、女性の嫌悪の対象となるような、そんな立場の男がどのような扱いを受けるのか、また受けてきたか。その良い例が私でした。

 仕事の能力や容姿的な陰口からはじまり、業務の話の行き違いが多くなると、やがてそれは露骨な嫌がらせとなって現れました。すれ違いざまにわざとハイヒールの踵で私の足を踏む。私をバイキン扱いする。私の触れた物には誰も触りたがらない。そのような程度ならまだ良いほうです。一番困ったのは仕事に関してのことです。彼女らの嫌がらせは確実に私の仕事に影響しました。ただでさえ私はミスが多かったのです。その上、私の仕事がうまくいかないよう細工されたのです。私の立場はたちまち最下層に転落しました。その頃から私は非正規社員ではなく「奴隷」としての扱いになりました。

 こんなこともありました。私のあまりの仕事の遅さに部長の宮崎茜様はイライラしていました。「まだできないの?」と彼女はそう言いながら私の席の横で腕を組んだまま立っていました。ハイヒールで激しく床を鳴らし、唇を噛んでいます。パソコンのキーボードを打ち間違えるたびに彼女は私の頭を叩きました。
「バカ。この無能」
 茜様は私の足をズボンの上からハイヒールで蹴りました。はじめての暴力でした。それより衝撃だったのが私への言葉が変わったことでした。ショックでした。茜様は美人です。その美人が怒ると怖いです。ましてやそれまで温厚だっただけに、その変貌ぶりに圧倒されました。茜様は他の女性社員よりも年上で、部長としての責任感もあり、人望もあり、そして誰にでも優しい人だと思っていました。茜様と私との年齢差は親子ほどありますが、小さな会社とはいえ、彼女の肩書は部長です。私の上司です。口ごたえは許されません。
「豚、お前のせいで仕事が進まないわ」
 体の芯にまで響く声です。オフィスじゅうの視線が私に寄せてきます。茜様は激高していました。私のデスクの上の物を手で激しく払い落しました。床には私のデスクの上の書類などが散乱しています。
「土下座して謝りなさい」
私はイスから飛び降り、床に跪きました。豊かな胸の前で腕を組み、仁王立ちする茜様に私は怖くて土下座しました。他の女性社員たちは遠巻きから茜様の怒りに付き合うようにして私を見ています。茜様を仰ぎ見ました。すると、ふん、と鼻でせせら笑い、
「気持ち悪い顔。ずいぶんと大きな鼻ね。どうにかならないの? その豚鼻。そうだ、山川。今度からお前を『豚鼻』と呼ぶことにするわ。いいわね」
 恥ずかしくて顔を伏せました。顔をあげることができませんでした。目の前には茜様のハイヒール。頭を踏みつけられそうな距離の緊張感。
「明日までにやりなさい」
 茜様がハイヒールのつま先で私の鼻を軽く蹴りました。それでも私には強い衝撃です。彼女の怒りに任せて蹴りあげられていたらどうなっていたことでしょう。その程度ですんで救われたと思いました。茜様は踵を返し、オフィスから出て行ってしまいました。私は自分の無能ぶりを懺悔しました。床には書類が散乱しています。紙を拾いあげます。紙の何枚かには茜様のハイヒールに強く踏まれたらしい靴底の跡がうっすらとありました。ヒールの踵で踏まれた箇所はその形のままにくぼみ、一点にかなりの衝撃が加わったようです。私は床の書類を全て拾い、会社に遅くまで残るとその仕事を仕上げました。


料サンプル②へ続く