1日の過ごし方を考える、というか意識するようになった。
日々の暮らしかた次第で、違う世界に繋がるのではないか。
もっと言えば、今いる世界と昔想い描いた世界は表裏一体で、平行してそこにある気がしていて、その気になればすぐにでも変更可能な感覚すら覚える。
次元の往き来をいう読み物はいろいろある。
それらは『空想』という言葉で一括りされて愉しむものとして扱われているが、それを書いた人たちは、実は『描いた』のではないかと思う。
20世紀少年という物語では、かつて少年たちが描いた未来をその中のただ1人が周囲を巻き込んで現実化した。
ふつう、望む未来は現在の努力の先にあるとされる。
だが実は、望む未来があり、それが確固としたものならば、道は自ずから通ずると見たほうが的確だ。
未だ見ぬ今後のことや、何かあった時のために貯金?
大抵はそのほとんどを口座に遺したまま逝くことになる。
目的が『何かあった時』だから。
そして、いろいろやっておけば良かった、と。
日常の中には大小様々な機会がたくさんある。
(まあ今でなくても次でいいか・・・)
そのなかには、二度と訪れないものもあるし、再び機会に恵まれたとしてもいつのことやら。
出来ることは、やっておく。
そのほうが楽しいに決まってる。
