
元の天守は明治10年、西南戦争中に焼失。
ただし、薩軍の総攻撃前の出来事で、原因は不明とされています。
熊本城内には、明治の廃藩置県にともない鎮西鎮台(日本陸軍の常設部隊)が設置されました。
※後に熊本鎮台と改称
西南戦争では、西郷隆盛を戴く薩軍14,000に包囲・攻撃されながらも50日間の籠城戦に耐え、不落の名城とされています。
実は、こちらが正面側

天守入り口

ここにも・・・

最近はやりの武将たち。
ゆるキャラ同様に、どこのお城にもいるのかな。

天守から

右手下に見えるのは宇土櫓(うとやぐら・重要文化財)
宇土櫓から

左手が天守です。
宇土櫓内の柱

ちょっとブレてますが、柱の表面をご覧あれ。
ちょうなで削ったんでしょうか。
ひとつひとつのくぼみは、誰かの手作業なわけですな。

数寄屋丸二階御広間(内部)(復元)

接客用途で、茶会や歌会、能などが催された建物です。
が、狭間(さま:鉄砲や矢を放つ小型の窓)も備えてあります。
係員のじいちゃん曰く。
深夜、階下の詰所にいると、なにかが歩き回る音が聞こえるんだそうで。

細川九曜(紺)と加藤家・蛇の目(赤)

天守入り口にも掛けられてましたな。
