幕末、会津藩は表舞台で大きな役割を果たします。
歴史の見方は、その立ち位置から様々ではございますが・・・。

先ずは会津の中心・鶴ヶ城。

現在、この鶴ヶ城もまた改修中でした・・・。

終われば、今の黒瓦が赤瓦に葺き替えられるということです。
なんでも、その昔は赤瓦であったとのこと。
さながら、お色直しというところでしょうか。

立派な天守です

歴代ご城主の家紋

ここでも流行りのキャラクターが・・・。

城型ロボット・『お城ボ(おしろぼ)くん』

茶室・麟閣(りんかく)

麟閣は千少庵(せんのしょうあん=利休の子)が建てたといわれています。
利休切腹ののち、千家は茶の世界から追放されますが、利休の茶道が途絶えることを惜しんだ蒲生氏郷が少庵を会津に保護します。
また、家康とともに千家の茶道復興を秀吉に働きかけた結果、その再興が叶いました。
会津藩降伏の折り、鶴ヶ城ともども取り壊しの憂き目に遭いかけますが、指月庵宗久がその茶室を自宅へ移築・保護。
平成になって元の場所へ戻されたものです。
此処ではお茶も頂けますが、大変な賑わいでしたので・・・。

明治政府、というか時の権力者というものは、前・権力の象徴となるものは徹底的に破壊してしまうもの。
困ったものでござる・・・。
