円通院 | 『遊び』のススメ

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独自の視点で見たこと、聞いたこと、感じたことを書き連ねて参ります。(^^)v

瑞巌寺おとなりの円通院
こちらは政宗公の孫・光宗の霊廟として開山された寺院でございます。<拝観有料>

入ってすぐ、みごとな庭園が。(‐^▽^‐)

石庭にはさまざまな意味が込められているようです
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この石畳、手前から順に粗目・細目・磨き上げと、
人生の艶を表現しているのだとか。
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敷石脇には九曜紋が埋め込まれておりました。
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三慧殿(さんけいでん)
この建屋の中に、光宗公の厨子が。
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実はこの三慧殿、江戸時代には決して開かれることがなかったといいます。
それは、この厨子にあしらわれた紋様に秘密が・・・。叫び

 紋様についてはhttp://www.entuuin.or.jp/keidai/sankeiden.htmlで。

ガイドのおっちゃんは、それはそれは熱心に語ってくださいましたぞ。ニコニコ
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三慧殿から少し下ると、左右対称の洋風庭園。
バラが植えられておりますが、ちと早うございましたわい。

左半分だけの洋風庭園・・・。ガーン
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大悲亭(だいひてい)
光宗公の江戸納涼の亭だったものを、愛息の早逝を悼んだ忠宗公がこの地へ移築。
禅寺の本堂して使われております。
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中では、数珠造り体験もできます。
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 最後までお読み頂いた皆様に、上で触れました紋様の秘密について少々お話しを・・・。ニコニコ

当時、仙台藩は政宗の命によりスペイン経由でローマへ使い(支倉常長・慶長遣欧使節団)を出しておりました。
常長は7年後に帰国しますが、その頃には幕府から禁教令が出されており、異端視されます。
(常長の息子・常頼は召使いが切支丹であったことの責を問われて処刑されています)

そして、光宗公の厨子に使われた紋様もまた、欧州縁のモノでございました。
江戸時代には切支丹絡みの御法度とされるもので、とても見せられるモノではなかったのだそうで。

以来、3世紀に渡り封印されていた厨子は、いまなお褪せることなく当時の色彩を維持しておりました・・・。


次回、『米沢・上杉まつり』
川中島合戦の様子をお伝えできますれば・・・。ニコニコ