わたし、バサラ。白と黒の毛色で、だいたい15歳くらいの雑種猫。性格は…そうね、「かまってちゃん」ってよく言われるわ。あと、実は男の人が結構好きなのよね。

昔は、今とは別の人間と暮らしていたの。その人との時間も、ちゃんとわたしの中に残ってる。でも、いろいろあってその人はいなくなって、気がついたら、今はこのひとの家で暮らしているの。

最初は、知らない家、知らない匂い、知らない生活。でも、このひとは意外と悪くなかったのよね。ごはんはちゃんと出てくるし、寝る場所もあったかいし、なにより、わたしのことを「バサラ」って、前と同じ名前で呼んでくれたの。

このひとはわたしのことをよく分かってくれていて、パソコンをしている時はキーボードの上を歩かせてくれるし、ベッドにいる時はお腹の上を占領させてくれるの。なかなか気の利く人間よ。

■ 6月22日月曜日、このひとの爪切り下手がきっかけで

その日、このひとは言ったの。

「バサラ、そろそろ爪切らないとねぇ…」

わたしの本音を言えば、爪切りなんて大嫌い。でも、このひと、爪切りがあんまり上手じゃないのよね。いつも四苦八苦してるの。

まず右手からチャレンジ。なんとか右手の爪を切り終えたところで、このひとは完全に困った顔になった。

「左手、どうやって切ろう…」

そうなのよ。このひと、いつもここで悩むの。わたしの体勢をあれこれ変えながら、左手をどうにか切ろうと試行錯誤し始めたわ。

抱え方を変えて、わたしの向きを変えて、お腹側に手を回した、その瞬間よ。

このひとの指先が、お腹の「そこ」に触れたの。  
ピタッ、と動きが止まって、空気の匂いが変わったのが分かったわ。

「あれ…? なにこれ…」

このひとの声が、いつもより少しだけ低くなった。  
わたしのお腹には、自分でも分かるくらいの大きな「できもの」ができていたの。

右手の爪はなんとか切れたのに、左手のことはどこかへ飛んでいったみたい。  
このひとはわたしの体をそっと下ろして、お腹をもう一度、確かめるように触っていた。

わたしはというと――  
「爪切り中止なら、それはそれでアリね」  
なんて、少しだけのんきに思ってたの。

■ 木曜日、病院という名の試練

それから数日後の木曜日。嫌な予感通り、キャリーケースが登場した。あの箱が出てくる時は、だいたいロクなことがないのよね。

病院は好きじゃない。変な匂いがして、知らない声がして、冷たい台の上で色々触られる。  
でも、このひとがそばにいるから、ギリギリ我慢してあげているの。

白い服の先生が、わたしのお腹を慎重に触って、このひとに静かに説明していた。「ガン」という言葉が、空気を重くするのが分かったわ。

「年齢と腫瘍の大きさを考えると、手術ではなく、できるだけ楽に過ごせるようにケアしていきましょう」

このひとは静かにうなずいて、わたしの頭をなでてくれた。目がちょっと赤かったけれど、その選択は悪くないと思うの。だって、痛い思いをたくさんするより、いつもの毎日を続けられる方がいいもの。

前に一緒にいた人も、今のこのひとも、人間ってよく泣く生き物ねって、わたしは時々思う。でも、泣きながらでも、ちゃんとごはんを用意して、トイレを掃除して、病院に連れてきてくれる。そういうところは、嫌いじゃないわ。

■ 試行錯誤のケアと母乳パッド

問題はここからよ。お腹の腫瘍が「自壊」っていうのをして、そこから滲出液が出るようになったの。このひとは1日2回、丁寧に消毒してくれる。ちょっとしみるけれど、このひとの手は優しいから我慢してあげているわ。

滲出液をどうにかしようと、このひとはネットで必死に調べていたのよ。

「生理用品か母乳パッドがいい」って書いてあったから、最初は生理用品を試してみたんですって。でも、どうもうまくいかなくて、形や厚みが合わなかったみたい。

「生理用品がダメなら、母乳パッドなら腫瘍にうまく当てられるかも?」

そう思って、今度は「母乳パッド」を買ってきたの。授乳中の人間のお母さんが胸に当てて使うものらしいわ。

でも、わたしの腫瘍は右足の付け根あたりにあるから、なかなかうまくフィットしないのよね。1日2回交換してくれるんだけど、動くたびにズレて、毎回汁が漏れちゃう。このひとも「また漏れてる…ごめんね」ってため息をついているけれど、わたしは別に怒ってないのよ。

「いろいろ考えてくれてるのは、ちゃんと分かってるから」  
って、本当は言ってあげたいくらい。

■ 術後服との壮絶な戦い

そして、母乳パッドを固定するために買ってきた「術後服」との戦いが始まったの。

【1日目】  
着せられた瞬間、わたしは石になった。本当に1ミリも動かなかった。このひとが「バサラ…生きてる?」って心配そうに何度も声をかけていたけれど、心の中では「生きてるけど、これは無理よ」って思っていたわ。2時間でこのひとが根負けして脱がせてくれた。わたしの勝ちね。

【2日目】  
このひとはあきらめない。また着せられたから、少し動いてみようと思ってキャットタワーに前足をかけたの。でも服がつっぱって、バランスがおかしくなって、そのまま後ろ向きにひっくり返りそうになったのよ!このひとが慌てて支えてくれたから無事だったけれど、ちょっとヒヤッとしたわ。

【3日目】  
さすがのわたしも少しは慣れてきたの。固まることはなくなったし、ゆっくりなら歩けるようになったわ。このひとも「昨日よりは動けてる…!」って、ちょっと安心していた。

■ 5日目のスナップボタン事件

そして事件が起きたのは5日目。いつものように母乳パッドを交換しようとしたこのひとが、わたしの背中を見て固まったの。

「え…なにこれ…」

わたしの背中に赤い線がスーッと入っていたのよ。どうやら術後服のスナップボタンが当たって、擦れて傷になっていたみたい。

このひとは「バサラ、ごめん…ほんとごめん…」って半泣き顔。わたしとしては「まあ、ちょっと痛いけど、そんなに気にしてないわよ」くらいなんだけど、このひとはすごく気にするのよね。



その夜、このひとはまたスマホを片手に新しい術後服を探していた。今度はマジックテープタイプの服。

「これなら背中に当たらないかな…」

ってつぶやきながら、またポチッとしてた。

■ わたしたちの新しい日常

わたしのお腹には消えない「厄介な同居人」がいる。でも、それと同時に、このひととの時間はまだちゃんとここにあるの。

前に一緒にいた人との時間も、今このひとと過ごしている時間も、どちらもわたしの人生(猫生)よ。

1日2回の消毒、うまくフィットしない母乳パッド、ちょっと窮屈な術後服…どれもこれも、わたしとこのひとが一緒に生きている証拠みたいなもの。

ガンになったからって、すぐに「終わり」になるわけじゃない。わたしはまだここにいて、このひとのことを見ているし、このひともわたしを見ている。

そんな、少しだけ特別になった日常を、これからここに書いていこうと思うの。新しいマジックテープの服が届いたら、また報告するわね。

―― バサラ