お久しぶりです。twitterはじめたんでフォローおねがいします!http://twitter.com/Sony_Shimmei
最近mixiアプリの「記憶スケッチ」http://mixi.jp/run_appli.pl?id=3774
にはまっています。
記憶スケッチとは、
自分で選択するか、ランダムで選ばれたお題(たとえば「聖徳太子」だとか)を何も見ずに描いてみよう! というmixiアプリです。
使えるのは太さと色を自由に設定できるブラシ一本のみ、という非常にシンプルなつくりです。
これが面白い。
時間のある人は一度アプリを開いてみてください。
「みんなの絵」の欄をクリックすれば「鉛筆削り」から「織田信成」まで、多種多様なお題の絵がずらりと並んでいます。
大多数の絵は、「何も見ないで書け」ということや、マウスでを描きなれてないこともあって、小学生の落書きのようです(失礼!)
もちろん他方で、上手い人は本当に上手い。(「総合」をクリックすると投票数のランキング順でみられます。)
たとえば
「りんごを何も見ないで描け」
といわれればどんなりんごを描きますか? ちょっと考えてみてください。
真っ白の背景。
黒でゆるやかなハート型の輪郭、へたを描く。
赤く塗りつぶす。
これでも確かに描けますが、それだけだと面白くないですよね。
リンゴ一つを描くにしても、背景食や、構図の取り方、色使い、質感の出し方などなど多様な表現方法があるわけです。
ここで、ランキング上位の人たちのりんごをみてみましょう。
…うまいですよね!! 切ったリンゴから寝かせたリンゴ、果てはウィリアムテルのりんごの話まで、同じリンゴという題材でもさまざまなものがあってクリエイティビティを喚起させられます。
「キムタク」もみてみましょう。
「キムタク」澄香画伯
「キムタク」momo画伯
「キムタク」焼肉男爵画伯
他にも「ミッキーマウスが絶対言わないこと」っていう使い方もあります
畠芋之助画伯
COO画伯
やまだ画伯
↑ディズニーランド崩壊www
「そう来たか!!」 って感じに普通にインスピレーションがわいてきませんか?
僕の中でこのアプリのキモは、フォトショップなどのソフトとかと違って、ペイント以下の機能しかないことだと思うんです。
よくこんなの描けるな!と思うものでも、たった一つのブラシだけで描かれています。
たとえばりんごの投票ランキング上位に表示された、それぞれの小さな画像をクリックしてみると
よくよく拡大して見ると、数種類の色と限られた筆致で構成されていることがわかります。
あぁ、こういう風に描いてるんだ、って少し自分で描いたことがあればわかりますよね。
まず茶色に近い赤で、輪郭を描いて塗りつぶして、そのあと色を少し変えて光の加減をだして、一番光ってるとこは黄色を使って、その上から質感をだすためにオレンジで…っていう具合で。
今まですごく上手い絵を見ても、「どうせフォトショップとかのソフトつかわないとできないんでしょ」って思っていました。
その作者と僕との間の無限のへだたりが、このアプリにおいては一気に縮小して、作者が自分の延長上に現れる。 素人の僕でも相当のレベルの技術にアクセスできる。
そうなると自分でもそんな技術をいろいろためしたくなって、
最初こんな絵しかかけなかったのが
『ドナルド』
こうできるようになって(背景のグラデーションとかの進歩)
『ipod』
こんな絵が描けるようになりました。
『夕焼け』
『四国』
技術を習得していくのが面白い!! ここ数日は描いてないけれど。
パワポでもフラッシュ作成でも大学入試の数学でもなんでも、基本的な技術がからまりあっているだけ。一つ一つの簡単な技術を自分のものにしていくことで、一見到達不可能なところにまで知らず知らずのうちに登っている自分に気づく。(気づきたい。)
最近面白いなと思っていることは、一たび絵を描こうと意識して、題材探しに周りをみわたすと、世の中が違って見える! ということです。
なんでもかんでも、文字通り輝いて見えるんです。
輝いて見えるんです
ネタではありません。
なんで輝いて見えるかと考えてみると、たとえばそのへんの石っころでも、本気で模写しようと思えば、
太陽光の反射の加減、影の具合などに注意するため光に敏感になからかもしれません。それに僅かに表面に付着した緑の苔まで細部に目をこらさないといけないから、色が今まで以上に鮮明に目に飛び込んでくる。
そうすると、今まで21年間完全に無視してきた石っころ一つの美しさに、不意に驚かされたりします。誇張じゃなくて本当に。
もちろん石とか木とか自然だけじゃなくて、人間がつくったものにも秩序の美みたいなのが感じられるようになったし、これはぼくの中では革命的です。芸大の友達が、「感性のスイッチをいれる」という表現を一度使っていたけど、こういうことなのかなと思いました。
アメリカに来てから、色々な経験をしました。 料理もちょっとだけだけどするようになったし、人の髪も一時期切っていたりしました。女の子のも切りました(!)
数パターンの基本的な技術をおさえておけば、あとは組み合わせ方でなんでもできるということを確信。数学みたいですね。
今ではいろんな料理や髪型を見るたびに、「お、そうきたか」、「こうやればできそうだな」とインスピレーションをちょっとだけいただけるようになりました。自分のクリエイティビティが刺激される。こういう経験は貴重ですね。
一見こうしたインスピレーションは、ビジネスや将来の仕事にあまり活きないように考えられがちです。
でも実は大いに関係があって、要は「思考の壁の打ち破り方」を複数学ぶことにつながるからかなぁ、と思っています。
一般的に僕たち人間の思考は、そのバックグラウンドや環境に大いに既定されています。日本ではなんとなくご先祖様がえらいと思っていますが、欧米のほうではそんな考えはおよそありません。バレンタインは女が男にチョコをあげることと日本人は思っていますが、アメリカでは逆です。
僕らが当たり前だと思っていることの多くには、僕たちを空気のように支配している文化伝統や、宗教などの思考様式が作用していると言っていいでしょう。
シンプルなことですがたとえば題材が「キムタク」で広島カープの木村内野手を描いたり、「りんご」でハイヒールリンゴを描くっていうのは、一つの思考の打ち破り方だと思います。
ここで、クリエイティビティって当たり前のように使っている言葉を定義したいと思います。
この言葉は近年やや安易に遣われる傾向がありますが、
たとえば絵を描いていれば、音楽をやっていればそれだけでクリエイティブなことをしているのかと問われればそうではないと思います。
僕はクリエイティビティは、「守・破・離」の「離」の部分を成す能力だと考えています。
といっても意味がわからない人も多いと思うので説明します。ちなみに「守・破・離」はすごく有名な考え方なので、覚えておいて損はない概念だと思います。
これは、600年ほど前、室町時代の能の大家に、世阿弥(ぜあみ)という人がいるのですが、その著書の「風姿花伝」で語られていることばです。その意味は
何事も上達しようと思えば、
第一にすることは先人たちの型を「守」ること。剣道なら素振り、柔道なら受け身や各技、数学なら基本問題を、徹底的にやりこんで自分のものにする。
第二は、その型を色々なものに応用してみる破ってみる。「破」。武道でも現実の試合などでは完全に型どおりの動きばかりをやることは逆効果ですね。
そして最後第三、ぼくがクリエイティビティの存するところだと思う「離」。これは、自らのスタイル、新しい型を創造(クリエイト)するところです。師匠のスタイルから完全に離れて新しいスタイルを確立すること。
なんでわざわざこの「守破離」を引き合いに出したかというと、
僕はどんなものも、基本的な型たる技術の習得をなくしてはクリエイティビティはありえないと思うからです。クリエイティビティのキーワードは「型」。
たまに幼児が何気なく描いた絵が、ピカソの絵に似ていたりして「うちの子は天才!」と言いふらす親がいますが、これは僕の中ではクリエイティビティには入りません。(でも子供はほめてあげてください)
ピカソは、キュビズムというあの独特のスタイルを確立する以前、一般の画家と同じような模写的な絵を描いていたことで有名です。
また、東京芸術大学の美術科でも、まずやらされることは、膨大な量のデッサンだそうです。
つまり型を徹底的に身につける。そこから先にしか真のクリエイティビティはありえない。こういう考え方です。
翻って、ビジネスだとか将来のキャリアに話をからめてみると、実は多くの場合、クリエイティビティが欠如している原因は、「型」がしっかり定着していない場合が多いんじゃないか、ということを考えたりしています。
ちょっと前に、東大の入試問題の数学で
問.円周率(π)が3.05以上になることを証明せよ
という問題が出て有名になりました。色々な解法はありますが、円を描いてその中に六角形か一二角形をまた描いて、三角関数を使って解くのが一般的です。
これを解けない大学受験生(東大だけじゃなくて)の大半は
① 基礎力がなかった(三角関数の応用レベル達していない)
② 発想力がなかった(三角関数の概念を抽象化できていない。)
③ 基礎力と発想力どちらもなかった
のうち、おそらく①か③が大多数じゃないかとおもわれます。
たくさんの企業がしのぎを削りあうビジネスの世界では、発想力、つまりクリエイティビティが勝敗を分けることが多いでしょうが、基礎的なもの・型の存在が忘れがちになっていることに気づくことはそう簡単ではありません。
クリエイティビティを刺激されることで、同時に型の習得も意識する。そうなると強いですね。
いい作品を見ても、製作者の視点がないと、結局なんとなーく感動したよーうな気分になっておわり! なんじゃないかなと考えたりしています。
そういう意味で、記憶スケッチとかのソーシャルアプリやツイッターといったもの、
今まで遠い存在だったものの「型」という道しるべを示してくれるもの
がどんどん出てきているていうのは、今後世の中に予想もしてなかったような化学反応が起きて、おもしろい世界がやってきそうな気がします。
最近mixiアプリの「記憶スケッチ」http://
記憶スケッチとは、
自分で選択するか、ランダムで選ばれたお題(たとえば「聖徳太子」だとか)を何も見ずに描いてみよう! というmixiアプリです。
使えるのは太さと色を自由に設定できるブラシ一本のみ、という非常にシンプルなつくりです。
これが面白い。
時間のある人は一度アプリを開いてみてください。
「みんなの絵」の欄をクリックすれば「鉛筆削り」から「織田信成」まで、多種多様なお題の絵がずらりと並んでいます。
大多数の絵は、「何も見ないで書け」ということや、マウスでを描きなれてないこともあって、小学生の落書きのようです(失礼!)
もちろん他方で、上手い人は本当に上手い。(「総合」をクリックすると投票数のランキング順でみられます。)
たとえば
「りんごを何も見ないで描け」
といわれればどんなりんごを描きますか? ちょっと考えてみてください。
真っ白の背景。
黒でゆるやかなハート型の輪郭、へたを描く。
赤く塗りつぶす。
これでも確かに描けますが、それだけだと面白くないですよね。
リンゴ一つを描くにしても、背景食や、構図の取り方、色使い、質感の出し方などなど多様な表現方法があるわけです。
ここで、ランキング上位の人たちのりんごをみてみましょう。
…うまいですよね!! 切ったリンゴから寝かせたリンゴ、果てはウィリアムテルのりんごの話まで、同じリンゴという題材でもさまざまなものがあってクリエイティビティを喚起させられます。
「キムタク」もみてみましょう。
「キムタク」澄香画伯
「キムタク」momo画伯
「キムタク」焼肉男爵画伯
他にも「ミッキーマウスが絶対言わないこと」っていう使い方もあります
畠芋之助画伯
COO画伯
やまだ画伯
↑ディズニーランド崩壊www
「そう来たか!!」 って感じに普通にインスピレーションがわいてきませんか?
僕の中でこのアプリのキモは、フォトショップなどのソフトとかと違って、ペイント以下の機能しかないことだと思うんです。
よくこんなの描けるな!と思うものでも、たった一つのブラシだけで描かれています。
たとえばりんごの投票ランキング上位に表示された、それぞれの小さな画像をクリックしてみると
よくよく拡大して見ると、数種類の色と限られた筆致で構成されていることがわかります。
あぁ、こういう風に描いてるんだ、って少し自分で描いたことがあればわかりますよね。
まず茶色に近い赤で、輪郭を描いて塗りつぶして、そのあと色を少し変えて光の加減をだして、一番光ってるとこは黄色を使って、その上から質感をだすためにオレンジで…っていう具合で。
今まですごく上手い絵を見ても、「どうせフォトショップとかのソフトつかわないとできないんでしょ」って思っていました。
その作者と僕との間の無限のへだたりが、このアプリにおいては一気に縮小して、作者が自分の延長上に現れる。 素人の僕でも相当のレベルの技術にアクセスできる。
そうなると自分でもそんな技術をいろいろためしたくなって、
最初こんな絵しかかけなかったのが
『ドナルド』
こうできるようになって(背景のグラデーションとかの進歩)
『ipod』
こんな絵が描けるようになりました。
『夕焼け』
『四国』
技術を習得していくのが面白い!! ここ数日は描いてないけれど。
パワポでもフラッシュ作成でも大学入試の数学でもなんでも、基本的な技術がからまりあっているだけ。一つ一つの簡単な技術を自分のものにしていくことで、一見到達不可能なところにまで知らず知らずのうちに登っている自分に気づく。(気づきたい。)
最近面白いなと思っていることは、一たび絵を描こうと意識して、題材探しに周りをみわたすと、世の中が違って見える! ということです。
なんでもかんでも、文字通り輝いて見えるんです。
輝いて見えるんです
ネタではありません。
なんで輝いて見えるかと考えてみると、たとえばそのへんの石っころでも、本気で模写しようと思えば、
太陽光の反射の加減、影の具合などに注意するため光に敏感になからかもしれません。それに僅かに表面に付着した緑の苔まで細部に目をこらさないといけないから、色が今まで以上に鮮明に目に飛び込んでくる。
そうすると、今まで21年間完全に無視してきた石っころ一つの美しさに、不意に驚かされたりします。誇張じゃなくて本当に。
もちろん石とか木とか自然だけじゃなくて、人間がつくったものにも秩序の美みたいなのが感じられるようになったし、これはぼくの中では革命的です。芸大の友達が、「感性のスイッチをいれる」という表現を一度使っていたけど、こういうことなのかなと思いました。
アメリカに来てから、色々な経験をしました。 料理もちょっとだけだけどするようになったし、人の髪も一時期切っていたりしました。女の子のも切りました(!)
数パターンの基本的な技術をおさえておけば、あとは組み合わせ方でなんでもできるということを確信。数学みたいですね。
今ではいろんな料理や髪型を見るたびに、「お、そうきたか」、「こうやればできそうだな」とインスピレーションをちょっとだけいただけるようになりました。自分のクリエイティビティが刺激される。こういう経験は貴重ですね。
一見こうしたインスピレーションは、ビジネスや将来の仕事にあまり活きないように考えられがちです。
でも実は大いに関係があって、要は「思考の壁の打ち破り方」を複数学ぶことにつながるからかなぁ、と思っています。
一般的に僕たち人間の思考は、そのバックグラウンドや環境に大いに既定されています。日本ではなんとなくご先祖様がえらいと思っていますが、欧米のほうではそんな考えはおよそありません。バレンタインは女が男にチョコをあげることと日本人は思っていますが、アメリカでは逆です。
僕らが当たり前だと思っていることの多くには、僕たちを空気のように支配している文化伝統や、宗教などの思考様式が作用していると言っていいでしょう。
シンプルなことですがたとえば題材が「キムタク」で広島カープの木村内野手を描いたり、「りんご」でハイヒールリンゴを描くっていうのは、一つの思考の打ち破り方だと思います。
ここで、クリエイティビティって当たり前のように使っている言葉を定義したいと思います。
この言葉は近年やや安易に遣われる傾向がありますが、
たとえば絵を描いていれば、音楽をやっていればそれだけでクリエイティブなことをしているのかと問われればそうではないと思います。
僕はクリエイティビティは、「守・破・離」の「離」の部分を成す能力だと考えています。
といっても意味がわからない人も多いと思うので説明します。ちなみに「守・破・離」はすごく有名な考え方なので、覚えておいて損はない概念だと思います。
これは、600年ほど前、室町時代の能の大家に、世阿弥(ぜあみ)という人がいるのですが、その著書の「風姿花伝」で語られていることばです。その意味は
何事も上達しようと思えば、
第一にすることは先人たちの型を「守」ること。剣道なら素振り、柔道なら受け身や各技、数学なら基本問題を、徹底的にやりこんで自分のものにする。
第二は、その型を色々なものに応用してみる破ってみる。「破」。武道でも現実の試合などでは完全に型どおりの動きばかりをやることは逆効果ですね。
そして最後第三、ぼくがクリエイティビティの存するところだと思う「離」。これは、自らのスタイル、新しい型を創造(クリエイト)するところです。師匠のスタイルから完全に離れて新しいスタイルを確立すること。
なんでわざわざこの「守破離」を引き合いに出したかというと、
僕はどんなものも、基本的な型たる技術の習得をなくしてはクリエイティビティはありえないと思うからです。クリエイティビティのキーワードは「型」。
たまに幼児が何気なく描いた絵が、ピカソの絵に似ていたりして「うちの子は天才!」と言いふらす親がいますが、これは僕の中ではクリエイティビティには入りません。(でも子供はほめてあげてください)
ピカソは、キュビズムというあの独特のスタイルを確立する以前、一般の画家と同じような模写的な絵を描いていたことで有名です。
また、東京芸術大学の美術科でも、まずやらされることは、膨大な量のデッサンだそうです。
つまり型を徹底的に身につける。そこから先にしか真のクリエイティビティはありえない。こういう考え方です。
翻って、ビジネスだとか将来のキャリアに話をからめてみると、実は多くの場合、クリエイティビティが欠如している原因は、「型」がしっかり定着していない場合が多いんじゃないか、ということを考えたりしています。
ちょっと前に、東大の入試問題の数学で
問.円周率(π)が3.05以上になることを証明せよ
という問題が出て有名になりました。色々な解法はありますが、円を描いてその中に六角形か一二角形をまた描いて、三角関数を使って解くのが一般的です。
これを解けない大学受験生(東大だけじゃなくて)の大半は
① 基礎力がなかった(三角関数の応用レベル達していない)
② 発想力がなかった(三角関数の概念を抽象化できていない。)
③ 基礎力と発想力どちらもなかった
のうち、おそらく①か③が大多数じゃないかとおもわれます。
たくさんの企業がしのぎを削りあうビジネスの世界では、発想力、つまりクリエイティビティが勝敗を分けることが多いでしょうが、基礎的なもの・型の存在が忘れがちになっていることに気づくことはそう簡単ではありません。
クリエイティビティを刺激されることで、同時に型の習得も意識する。そうなると強いですね。
いい作品を見ても、製作者の視点がないと、結局なんとなーく感動したよーうな気分になっておわり! なんじゃないかなと考えたりしています。
そういう意味で、記憶スケッチとかのソーシャルアプリやツイッターといったもの、
今まで遠い存在だったものの「型」という道しるべを示してくれるもの
がどんどん出てきているていうのは、今後世の中に予想もしてなかったような化学反応が起きて、おもしろい世界がやってきそうな気がします。






