夜に信号機が光っているのは、とても綺麗だと思う。赤は赤ではなく、少しオレンジがかっていて、温かい色味で周辺一帯を覆っている。ろうそくの火がそうであるように、暗いところで光っているものは、たいてい綺麗だ。
信号機は、一般に審美の対象外におかれている。それは、信号機が信号機だからだろう。それはふつう、我々の交通を秩序づけるための装置であり、語感は無機質だ。
我々は、このように、あるものが綺麗かそうでないかを、ものをみる前に判断していることがしばしばある。ヴィトンの鞄はいいものだ。セカチューは泣ける。aikoはかわいい。
ものの名前を忘れてみよう。あなたの目の前にあるものを「ディスプレイ」という名前を忘れて「みて」みよう。あらゆる色の粒が精緻に配置されている構造美がそこにある。
急がないこと。美しいものを、美しいと思う前に、名前だけできりすててしまうのは、それが効率的だからだろう。美しさを感じるには時間が必要で、世の中は美しいものであふれかえっていて、我々にはそれを噛み締める時間がない。
幸運なことに、最近、仕事に時間効率とはべつに、Creativeさが求められているようになってきている(と、いわれている)。Creativeであるために必要なのは、もの(Creation)を「みる」ことだと思う。まわりのものの美しさを噛み締めることが、世の中に発信する価値になるというのは、良い時代に生まれたと思う。
(画像は学校が春に工事中だったとき、壁のまわりについていたランプ)
