一九九七年六月のその日から、僕と母は二人っきりの家族になった。
その時の写真には、へその緒のついた産声を上げる小さな僕が、目に涙をいっぱい溜めた母の胸の中にいる姿が写っていた。
入院は4日ほどだったが、病室には僕と母、たまに診察にくるお医者さんと看護士さん、ただそれだけだった。
退院日の迎えもなく、入院の荷物を肩に提げ、僕を大事に胸に抱いて小さな部屋へと帰った。
母乳はとてもよく出たというので、僕は日に日に大きくなった。
ミルクを飲んだ僕を抱え、産まれてからぎりぎりの14日目に出生届けを出しに区役所へ行く。
そして、「嫡出子でない」に○をつける。
区役所の窓口の女性は、母の免許証の顔と違わないかどうか、何度も交互に見て確かめた。
僕についた名前は「そら」。
帰り道、家からでてそろそろ3時間を過ぎようとしていた。
僕のお腹はちょうどその3時間が限界だった。
僕のお腹はちょうどその3時間が限界だった。
家に辿り着いたとたん、ぐずる僕に母は母乳をくれた。
その頃の僕の体重に反比例するように、母は妊娠前の体重よりも少し痩せてしまっていた。
その頃の僕の体重に反比例するように、母は妊娠前の体重よりも少し痩せてしまっていた。
どうして母は、一人で僕を産む決心をしたのだろう。
それはこうだった。
それはこうだった。
妊娠6ヶ月という、堕胎できるぎりぎりまでたくさんの病院をまわったという。しかし、堕胎の決心はつかず、病院の前に立ち尽くす日々だった。
そして、最後に辿り着いた、たった一度しか行かなかったその産婦人科で院長先生が看護師に席を外してもらいこう言った。「動物は本来、メスだけで子どもを育てていけるんだよ。」と・・・
その言葉にはっきりと目が覚めたのだ。自分は何に頼ろうとしていたのだろう。自分という母親がいるということを、いつ忘れてしまったのだろうと。そして母は、エコーの中のオレンジ色の僕を見て、はらはらと泣いた。
その産婦人科の先生は、診察料を受け取らなかった。