季節がいくつか巡ってしまいましたが

心動かされた鼎談の
動画と
関連した本を紹介させてください。





『文学は戦争をどう伝えるか
ー今ある無力さを越えて』


金平茂紀(ジャーナリスト)
奈倉有里(翻訳家 文芸評論家)
逢坂冬馬(作家)

沼野充義(翻訳家)
※オンラインで後半15分ほどロシア詩について話される


大半は上のお三方のお話です。
金平さんは報道番組でおなじみですね。

奈倉さんはロシア国立ゴーリキー文学大学を卒業された文学者、翻訳家。ブロークの博論は東大而立賞、サントリー学芸賞受賞。
留学生活を綴った随筆『夕暮れに夜明けの歌を』で紫式部文学賞を受賞されました。

逢坂冬馬さんは『同士少女よ敵を撃て』がデビュー作。アガサ・クリスティ賞、本屋大賞を受賞されています。





密度濃いお話は
会場利用が時間切れになる 
質疑応答の最後まで続きました。




金平さんはソ連崩壊時に
現地通訳として
親交があった米原万里さんの
妹さんから薦められた
『夕暮れに夜明けの歌を』に
深く感銘を受け、思わず
報道特集の番組内でも紹介されたそうです。
(宣伝になるので本来は不可だそう)





そして逢坂冬馬さんの
『同士少女よ敵を撃て』については





驚くほど当時の政情に精通した話題を
適所に取り入れながら

戦争の暗部を暴く内容を
エンタメ作品として創り上げている

ヨーロッパに翻訳して
輸出したいほどだと
これまた絶賛されています。

鼎談では
逢坂さんは創作背景について話されています。

実は
奈倉さんと逢坂さんは姉弟です。
逢坂さんが受賞後に奈倉さんに監修を依頼し
原稿が考証チェックで真っ赤になったとか。


鼎談中
奈倉さんは金平さんからの質問に対して
複雑な思いをまとめる端的な言葉が
すぐにみつからないときに

逢坂さんが話を継ぎ熱く語られる

また逢坂さんの考えに対し
奈倉さんがぴしゃりと批判する

互いのプロ意識を尊重しつつも
二人の間合いが
姉弟の気のおけなさを感じさせ
微笑ましくもありました。


報道のプロである
金平さんが観客に対して
ロシア支局長時代の思い出も交えながら
わかりやすくロシアの今を伝えようとすると

二人はそれぞれに
口調こそ柔らかいけれど
金平さんにおもねることなく
異なる意見を述べられる。

あるいは
金平さんが『戦争は女の顔をしていない』の
アレクシェービチから
お二人が受けた影響について
美しくまとめようとすると
奈倉さんはすかさず否定する。

金平さんが悪気なく
定形化された語りにまとめがちなところを

奈倉さん、逢坂さんは
実体験やネットを通じて収集した言説から
ロシアの人々の面従腹背の姿、
抵抗の姿を語られる。

奈倉さんの
よく研がれた刃のような
ストイックな気配に
一観客ながら気圧されました。

また、逢坂さんがこれほど熱い思いをもち、
巧みな話術で観客を魅了される方だと初めて知りました。



逢坂さんの本屋大賞での熱のこもった挨拶についても紹介されたのでリンクを貼っておきます(7分程)


私も何度も胸が熱くなりました。







逢坂さんは
小川哲さんが書かれた『地図と拳』を
高く評価されていました。




というのも
架空の都市の話ではあるけれど
かつて日本軍が満州の村人を
集合写真を撮ると偽って集め
一斉射撃で全員を殺したエピソードを
きちんと書いていたから。

自分たち若い世代は
戦争を美化するのでなく
加害についてきちんと語っていかなくてはいけない。

小川哲さんにライバル宣言したと
語られていました。


話がそれますが

『地図と拳』は作者小川哲さんによると
ガルシア・マルケス『百年の孤独』をイメージして書かれたそうです。

世界文学を意識しただけあり
自国視点に肩入れするでもなく
どの国の人も当事者として
フラットに書かれています。


農村の服装や街灯の明るさを描くためにも
街灯の歴史や文学作品の表現をあたって正確性(リアリティ)を期して書かれたとか。
莫大な参考文献は読者が内容を確認しやすいよう一般的に入手しやすいものを挙げたそうです。
虐殺の事実を資料とともに読者に対し隠さず描く姿勢は『地図と拳』の登場人物の姿に重なりました。



奈倉さん翻訳の
出版されて間もない
アレクシェービチの本も
話題にのぼりました。


『亜鉛の少年たち』
スヴェトラーナ・アレクシェービチ
奈倉有里 訳
2022年6月刊








会が開催されたときは
私はまだ

戦地から帰ってきた息子が
近所で人を殺してきた、という
冒頭の語りに
早々にショックを受け
その先を読めずにいました。

表紙写真の少年たちは
まだあどけなさが残った風貌です。




逢坂さんは鼎談で
ウクライナに侵攻してくる
ロシア兵と状況が重なりすぎて
読むのが辛かったと話されました。
読了した今は
その意味がわかる気がします。


報道されるウクライナの戦況と
時代はちがえども
本の内容が重なり
戦わされる虚しさに息苦しくなります。

(奈倉さんは
読んでほしいけど辛い内容だから
無理はしないでと話されました。
どんなお気持ちで訳されていたのだろうとも思います)




『亜鉛の少年たち』の

「亜鉛」とは
国外で亡くなった者が
衛生的な理由から
亜鉛で密閉された柩で
戻ってくることから

「少年」は
ロシアで高校を卒業したばかりの若者が
大義名分や男らしさ、
国民の責務として
自分から、あるいは周囲の期待にやむを得ず
戦争に駆り出されていたことから
名付けられたタイトルです。


実際には大義のないアフガニスタン戦争。


アレクシェービチは
『戦争は女の顔をしていない』と同様の
聞き書きの手法で

『亜鉛の少年たち』では
戦地に行き戻った若者と
送り出した母親の話を相互に挿入し

無意味であった
アフガニスタンの人々への加害の事実と
若者たちの死を
そのままに描き出します。



兵站は私腹を肥やすために売り払われ
兵隊の装備も衛生用品も古く乏しく
新兵いじめも熾烈な環境に投げ込まれ

ある者は
あっという間に命を落とし
ある者は
心身ともに取り返しのつかない深い傷を負って
故郷に戻ります。

上級兵は
略奪したもので富を得る者もいて
事情を深く知らないロシアの人々は
羨望の眼差しでみますが

少年兵達は
命からがらに戻っても名誉はなく
保障もほとんどなく
むしろ
無意味な戦いをした残忍な者のように
扱われます。



読んでいて重かったのは

母が良かれと思って教えて育てた
価値観の先に
派兵があったこと。

たとえ
本人が行きたくなくても
強い母の言うがまま
あるいは
母の愛国主義にならって

あるいは自ら
より優れた人物になろうとして。

母子の日常的な理由の先に
地獄のような戦地が待っているのです。

悪いのは国だ、としても
息子の死に、身体の障害に、
心がこわれ
別人のように変わった姿に
母親は自分を責め続けます。



後半はアレクシェービチが
インタビューした母親から
裁判をおこされた公判の記録です。

母親はおそらくは
自身の辛さから、そして国にそそのかされ
小説の内容が虚偽だと訴えます。

これに対する
アレクシェービチの陳述は

「旧体制が私と争いにきた」と言い
裁判を起こした母親にむかって
「いま、あなたが守っているのはお子さんではない。あなたは恐ろしい理念を、殺人者の理念を守ろうとしている」と語りかけます。


「少年たちは・・・・英雄ではなく受難者です。

私たちすべての人に罪があり、すべての人が同じ虚偽に加担していた・・・『亜鉛の少年たち』はそう語っているのです。

あらゆる全体主義の最も危険な点は、なんだと思いますか。すべての人を自らの犯罪の共犯者にしてしまうのです。」






よかったら本を開いてみてください。
重い本ですが、意義深い本です。





新潮最新号で
奈倉さんは「ロシアの言論はいかに弾圧されたか」というタイトルで寄稿されています。



ロシア国内で言論弾圧に対して
戦いつづけている人々について報告してくれています。
『緑の天幕』リュドミラ・ウリツカヤもその一人で、政府に対して物申してきたけれど
息子が母の身の安全を心配し
ついに昨春ドイツへ出られたそうです。



逢坂さんも、奈倉さんも、
言論の自由を守ろうと闘いつづけている人を
支えることで闘いに加わりつづけています。

動画も、どの本もお薦めです。



追記

サントリー学芸賞を文芸賞と誤って記載していました。

奈倉有里さん翻訳の文章(エカテリーナ・シュリマン)がありましたので備忘録を兼ねてリンクを貼っておきます。