立秋が過ぎたというのに、灼熱の夏日。
皆さまが健やかにお過ごしでありますように。
そして、医療従事者の方々のご尽力に日々感謝しています。
今は、出かけるときには
感染予防に気を張りつつも、
そのぶん、自宅では
余暇の時間をまった〜り、
映画や読書(マンガも
)を楽しんでいます。ゴールデンカムイ、ヤングジャンプアプリで全巻無料になってますね。・・なかなかに血なまぐさくて、一旦小休止しています。
息子は、公開まもなく『龍とそばかすの姫』を友達と観に行き、自宅では『Dr.Stone』新刊など。
部活がオンラインでもあり、それなりには忙しそう。
ただ、感染予防で思い切りよく友達と遊べないのがやっぱり不満で。
夏休みにはいる前には、少しかしこまって、お薦めのこちらを・・と。
『本の読み方 スローリーディングの実践』
自分流の読み方を振り返る、
良い機会になりました。
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読書メモ。
スローリーディングとは、
鑑賞の手間を惜しまず、
その手間に読書の楽しみを見出す読み方。
わからない言葉や概念があったら調べる。
書き手の仕掛けや工夫を見落とさない。
本を読んでいて、
別の作者の別の本に似たことが書いてあると感じたら、
面倒くさがらず、
実際にその本を開いてみる。
ほとんどの場合は自分の錯覚であることに気づく。
それでも似ていると思うなら、何が同じで何が異なっているのかを丁寧に掘り下げる。
スローリーディングは受験問題にも役に立つ。
(設問と本文を一続きの文として読み、設問者が本文をどう理解しているか、なぜそこを選んだかを考える)
書き手はみんな、自分の本をスローリーディングしてもらう前提で書いている。
今はさまざまな良質の作品が数多く出版されて
こちらに列挙された物語を手にとる機会は
減っているのでしょうか。
読み慣れたものには嗅ぎ分けられない、
古くささがあるでしょうか。
クエストものが好きだった
息子には
せいぜい絵本のピッピくらいで、
どれも勧めてないですね・・・。
斎藤さんの本では、
ドラマや映画で
なんどもその時代の感性で描き直されている
『若草物語』や『赤毛のアン』のように、
主人公達の
生き生きとした姿を
今の少女達のふるまいに重ねて
共感したり、代弁したり
その時代ゆえに
描かれ得なかった思いについて
想像した説が語られています。
作品が描かれた時代背景の説明もあり
二次元のフィクションに
歴史の縦軸が加わることで
作品や登場人物の奥行きが増すように思いました。
なにより、
辛口な批評が小気味よく、
斎藤美奈子さんの読み方に誘われて
再読する本を選びたくなりました。
父親のパルフィーさんはケストナーがモデルといわれています。
優しいし、芸術家としては優れてるかもしれないけど、女性の誘惑に流されてしまう、だらしないところ。
子どもの頃には不可解だった行動の意図が
今ならすごくよくわかりました!
「それ!ダメなやつじゃーん!」
と、ツッコミ入れながら読みました。
読後、斎藤さんの批評を読み直して、フムフム、思い切りのよい視点だな〜、と再度楽しみました。
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いつか息子に、と書棚にあった、同じくケストナーの『飛ぶ教室』
『ふたりのロッテ』から派生して、読みたくなりました。スローリーディング的にも、ありな展開ですよね。
この、池内紀さんの訳に心を掴まれました。
岩波少年文庫の池田香代子さんの訳もいいんですよ。
子ども向けにわかりやすい言葉が選んであって、やさしい語り方で、共感しやすくて。
子どもの頃の記憶は、
男子達がワチャワチャくだらないことで喧嘩してて、「ちょっと、男子〜
」て、共感できなくって、つまんなくて、飛ばし読みした本。
そんな理解のない自分が残念過ぎる!
と、今の私は思います。
今、読むと、
池内紀さんが訳す、ケストナーの第二の前書きの言葉が、いちいち胸に刺さりました。
『飛ぶ教室』はナチスに政権がうつった1933年に出版された作品。
以降、ケストナーは執筆禁止、ドイツ国内での出版が禁止されます。
時代の厳しさは
当時の比ではないかもしれませんが、
今の子ども達にも贈りたい言葉が
力強く書かれています。
子どもだけではないですね。
自分に贈りたい言葉です。
ケストナーも、子どもに語りながら、自らを奮い立たせていたのかもしれません。
本編のどのエピソードもよくて、
少年達が慕う舎監の少年時代のエピソードも、その友情も、文章量としては少ないのですが、胸に迫りましたし、
お金が足りずに帰省できず、友達にも打ち明けられない少年の心のうちも、切なくて泣けてきました。
その少年の様子に気づいた舎監が、声をかけて少年が打ち明けるさまも、目に浮かぶような情景描写で、まるで映像を観ている気すらしました。
舎監に語らせる、ケストナーの正義、道理は、大人が無下にする子どもの尊厳や権利を尊重する考えです。
当時読んだ人たちはどれほど勇気づけられたことでしょう。
本編からはずれますが、
池田香代子さんによると、
ケストナーの工夫で、各章の始まりに、
16世紀〜18世紀の民衆本に倣った、
あらすじがわかる箇条書きがあります。
これが池内紀さんの訳だと、ドラマ『大豆田とわ子と三人の夫』の冒頭のような本編を期待させる言い回しになっていて、なかなか粋だと思わせます。
ケストナー&池内紀さんの語り口がなにしろ良くて。
その価値観に古さを全く感じさせません。
時代を越えて、魅力的な方に会えた気がしています。
(だから『二人のロッテ』のパルフィーさんなのか・・・)
今の時代をみた、ケストナーの新作を読んでみたいとも願ってしまいました。
少年たちは息子と同じ年くらいだから、機会をみつけてすすめたいです。
池内紀さんの訳をベタ褒めしましたが、
光文社新訳文庫や、他の新訳は未読で、読むと作品にまた違う印象をもつかもしれません。
多くの翻訳があるというのは、それだけ先人がこの作品に力を貰い、そして作品を愛おしんだ証なのでしょう。
再読して新しく出会えて、また、楽しみが増えました。








