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こんにちは マダム サトコです。 本日は ”忖度は日本だけの文化ではなかった”というお話です。

 

本日は 創世記 29章5節から読んでいきましょう。 

それで ヤコブは、「あなた方はナホルの子ラバンをご存知ですか」 と尋ねると、彼らは、「知っています」 と答えた。

 

 

 

人間関係を一度 整理しておきたいと思います。 まず ヤコブの父親が イサク であり母親がリベカ

 

 

そのお兄さんがラバン、 ここで出てきている人ですね。 そして リベカとラバンのお父さんがベトエルで、おじいさんがナホルですね。

 

そうすると、ここの問い 「ナホルの子 ラパン をご存知ですか」 というのは、40歳で子供を産んだ リベカ+その子供である ヤコブ が40歳過ぎということを考えると、ラバンは80歳++、 そしてそのお父さんのベドエルは生きてたら120歳ぐらい、ナホルは 生きてれば160歳ぐらい、ということですよ。

 

で、 この話しかけた人たちが何歳かは分からないんですけれども、 羊飼いとして外を歩き回るぐらいですからそこそこ 若い、今で言う 働き盛りの30歳から40歳ぐらい。とすると結構な年上のことを聞いてるという感じになりますね、

 

まあ ヤコブが知っている リベカ の親戚の名前というのが、 お兄さんのラバンとナホルだけで ということも十分 推測できますので、 この2人しか 名前が出てこなかった。 しかしそれに対して問われた人は「知ってます」 と答えてるんですね。

 

この当時は 今の日本の限界集落 とまでは言いません けれども、 何万人レベルの町というわけでもなかったでしょうから、「知ってます」 と答えるということは このナホル ラバンの住んでいる町や村と同じ町に住んでる人、ということの可能性が高いということも このセリフから想像できると思います。

 

つまり この答えで ヤコブのこの終わりがないように見えたハランへの旅 というのが、 ますます ゴールに近づいたと確信できたんじゃないかと思います。

 

6節 ヤコブ はまた、 彼らに尋ねた。「あの人は元気ですか 。」すると彼らは「元気です。 ご覧なさい あの人の娘 ラケルが羊を連れて来ています」と言った。 

 

 

ここのあの人というのは、自分の中ではほぼ 直接の知り合いとも思っている ラバ のことでしょうね。この当時は今と違いまして 1000キロでもすぐに行ったり来たりできるわけでなく、 遠方に住んでいる親戚との親戚付き合い というものがかなり 限られていたんではないかと想像できます。

 

ですから ”ラバン”という名前は知っていても、会ったことはないという可能性が非常に高いんじゃないかと思います。ヤコブの気がかりとしては、母に言われた リベカの兄であるラバンが生きていないと自分が匿ってもらえる先、また リベカの親戚から嫁を取れと言われたこと、これらが実現できないんじゃないかという心配はあったでしょうね。

 

そういった意味も含めてラバンの動向を聞くと「元気ですよ。 あの人の娘の ラケルがこっちに来てますよ」 という返事を得て、 つまりこ の返事で ヤコブはラバンに娘がいる、 そしてその娘は羊飼いができるほどの 若くて そして健康な女性である、ということが ここから推測できますね。

 

この時の ヤコブの心境というのはどういったものだったんでしょうかね。 その当時はきっと 近眼とか乱視とかなかったでしょうから、遠くから歩いてくる女性がどのような年代で背恰好で そして 顔つきがどうなのかがとこともばっちり見えたのかもしれませんね。

 

そしてここには書いてないんですけども「あれが俺の嫁さんか」ということも もしかしたら ドキドキしながら 思ったのかもしれませんね。

 

7節ヤコブは言った。「ごらんなさい。 日はまだ高いし、 群れ を集める時間でもありません。 羊に水を飲ませて、また行って、 群れをおかいなさい」

 

 

 

よくよく考えるとヤコブというのはよそから来た人ですよね。 それにもかかわらず、この辺に住んで この井戸から羊に水を飲ませてる人たちに 「お前らちょっと あっち行ってくれよ」て言ってますよね。 今の時代だったら 「お前何の権威があってそんなこと言うんだよ」と喧嘩になりそうなもんです。

 

けれども、 きっと、 ヤコブの身なりというのは1000km オーバーの道のりを歩いてきたにもかかわらず この 初対面の羊飼いたちがそういうことを言われても「あ、 俺たち この人の言うこと聞かなきゃいけないな」と思うような服装の違いがあったのかもしれません。

 

やっぱり 族長の息子ですから、 それなりの 権威がすごく身についていた。 「全然知らない人だけどこの人の言うことなんか聞かなきゃいけないような気がする」というやつですね。そういうものを醸し出していたのかもしれません。

 

もしかしたら「ナホルの子ラバン」という名前を出した時点で、 そしてその人たちは元気ですか という風に聞いた時点で、「あ この人は偉い人の知り合いなんだ」ということで聞く方がまあ今で言う 忖度というやつを効かせ、この人間関係において自分たちがどのような立場かというのを瞬時に判断して会話を進めている、ということかもしれませんね。

 

聖書的に考えると、 ヤコブには神様が共にいて 神様のご 栄光が光り輝いていたので聞く相手が思わず 従ってしまった、ということかもしれませんね。

 

遠目から若い女性が歩いてくるのを見た。 そしてその女性が自分が結婚するように と定められている条件にぴったりはまっている女性だということを知って、「 ちょっと2人でよく話したいな」とか 思っての発言なのかもしれないですね。

 

本日は ”忖度は日本だけの文化ではなかった”というお話です。

 

昭和の50年代にニューホライズン という英語の教科書で英語を勉強しだした私としては、「外国人は思ったことをしっかりと ズバズバ言います」とか「外国人は相手を下の名前で呼びますとか」という話を聞いた時に「外国人というのはずいぶん 無礼で無文化 無教養な人たちだな」と思ったものでした。

 

後に それが 単なる戦後のなんとか教育の方向性であり、 実は世界中にも 忖度だの推量だの気遣いだの根回しだの、当たり前のようにあるということを知って 「ですよね」 と思ったものです。

 

そして相手を見て自分との立場を推し量り、 自分たちよりもこの人の方が上だなと思ったらその言葉に従う、というのはこの聖書の歴史 6000年前からあるんだということが ここからわかりますね。

 

つまり 忖度がいけないとか気遣いがめんどくさい とかいう話というのは、 やっぱり何かしらのフィルターがかかった話なんだなということがわかりますね。 そちら方面の話はこのチャンネルの趣旨ではありませんので 細かく 詳しくは追いません けれども、 

 

忖度や気遣いといったことがない 文化というのはありえないですし、そうなったら 人間の文化というのは非常に雑でレベルの低いものになるんだろうなということも思ったりします。

 

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それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

 

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