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こんにちは マダムサトコです。 本日は”ある 意味 これって 独裁政権が続くコツ” というお話です。

 

本日は 創世記 27章37節から読んでいきましょう。

イサクは答えてエサウ に言った。「ああ、私は彼をお前の主とし、 彼の全ての兄弟を、下僕として彼に与えた。また穀物と新しいぶどう酒で彼を養うようにした。 それで我が子よ。 お前のために、 私は一体何ができようか。」

 

 

これまた、自分の子供とは思えないほど なんかひどいことをエサウは聞かされてるわけですね。 長男として兄として生まれてきたはずなのに、弟に使仕えるようにしたし、彼の全ての兄弟をとあるんで イサク にこの ヤコブとエサウ 以外の子供がいるかどうかは 聖書には書いてないんですけど、もしかしたらいたかもしれませんが、それを下僕として与えた。

 

ま あ下僕と言うと手下 感がすごく出てしまうんですけれどもw、 「ヤコブ に従って生きていくように」という意味であれば まあ 「兄弟はこの お兄ちゃんの言うことを聞いて生きていきなさい」 という まあまあ 人間としては分からないでもない言い方ですね。

 

そしてエサウ ではなく 「ヤコブに一族の主導権を与えた」ということも ここで言ってるわけですね。

 

「穀物と新しいぶどう酒で彼を養うようにした」 つまり 「生きている間 常に新しいものが後からどんどん と与えられる、 食いっぱぐれのない人生を 約束した、 与えたのだ」ということで、

 

まあ ここまでだったらね まあ 聞けるかなあ。 ちょっと私だったら聞けませんけどもねw。まあある 意味 ”イサクの戯言”として聞くこともできたかもしれませんけども、 それで「我が子よ お前のために 私は一体何ができようか」というのは、

 

「人間的にも 物質的にも全部 弟にあげちゃったから、お前には何もあげられない」でしょうか。とイサクは本当にエサウの親かと思うほど ひどいことを言ってますね。 一体 イサクがエサウをここまで貶めるのは何が理由があったんでしょうか。と 訝ってしまうほどです。

 

38節 エサウは父に言った。「 お父さん 祝福は1つしかないのですか。 お父さん。 私を、 私をも祝福してください」エサウは声を上げて泣いた。

 

 

ま、 そらそうですよね。 「こんなにたくさん家畜だろうなんだのいろいろあるのに、全部あいつにあげることないじゃない、全部1人にあげることないじゃない、 俺にも分けてくれよ」としてはいたって当たり前のことを言ってるわけですね。

 

しかしこの箇所をよく見てみると、 ”イサクが与えようとしている祝福”と、”エサウ が望んでいる祝福”というのが一致してないということがよく分かりますね。

 

まず イサクの祝福というのは「目に見えないもの、 また数を数えることができないもの」というのが主体となっています。

 

例えば 弟が上に立つというのは 「権威」の話です。一見 「えー 弟の方がお兄さんより上っていうのが、目に見えるじゃない」と思うんですけれども、これは

 

その立場に立つにふさわしい人物であるかどうか。

 

これが 「権威」ということなんですね。その権威にふさわしいものがエサウであるかどうかということを、 イサクは語っているわけですね。

 

つまり イサクは「エサウ は人の上に立って、一族の引き続く 繁栄を拡大していけるものではない」ということをエサウ に言い渡しているわけですね。 でもエサウとしてはそういうことがわからないわけです。

 

また「穀物と新しいぶどう酒で」という食いっぱぐれがないようにという言葉、 これもよくよく考えたら 非常に大雑把な祝福ですよね。 

 

でもエサウ が言っているのは 「あの家畜をくれないか、この畑をくれないか」という目に見えるもの 今 目の前で自分の空腹を満たせるもののことを語ってるんですね。

 

これはちょっと前の伏線の回収場所ともなっておりまして、 その伏線の貼りどころ はこちらですね。

 

 

 

 

エサウは腹ぺこになって狩りから帰ってきて、 いっぱいの掛け飯で ヤコブに長子の権利を売り払った。 そのシーンの回収になってるんですね。

 

そういった 「目の前のことで 軽率な判断をする人間には 引き続く 繁栄を拡大させていく 重要な任務は与えられない。お前には与えるものは何もない」と イサクが言っており、 「1つじゃないでしょう、 たくさんあるんだから 1つぐらい くれよ」と言ってるわけですね。 完全に2人の会話が食い違っているという姿がここから伺えます。

 

本日は”ある 意味 これって 独裁政権が続くコツ” というお話です。

 

この箇所は日本の近所の某独裁国家の某一族の世襲式 国家主席の座を占有しているという件に、実は非常によく似たシーンでもありますね。

 

この”国をまとめ上げていく権威”というのは、自分が自ら言って得られるものではなく、人々が 「あの人はすごいよね、 あの人に従いたいね」 と思うことで生まれるものですから、

 

この権威を引き継ぐ時点でその人が 「すでにそういう人でなければならない」という これまた 大変な 準備 前段階が必要なんですね。

 

 それゆえに そういった権威のある立場の人というのは、小さい頃から”帝王学”として 権威を身につける者の振る舞いを習いつつ、また 人民との対話や人民からの畏怖を持った目で見られることで「その立場に立てる」ということをしっかりとわかってるわけですね。

 

これに失敗、 つまり 子供の頃からそのように育てられていないと、代替わりした時にいろんな問題が発生する。まあそういった姿をここでは表していると私は思います。

 

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それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

 

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