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こんにちは マダムサトコです。 本日は”6000年前から続く 虚偽情報が未だに生きており、 それがもとで 中東紛争というのは 今でも続いている”というお話です。

 

本日は 創世記 26章14節 から読んでいきましょう。

彼が羊の群れや、牛の群れ、 それに多くの下僕たちを持つようになったので、ペリシテ人は彼をねたんだ。

 

 

ここを見ますと、この聖書の時代というのは 現代 ほど物が溢れて 物欲をものすごく 刺激する情報が流れている 世の中ではないんですけれども、

 

今と全く変わらず 「たくさんのものを持っている人をあいつが妬ましい」と思う人間の心というのは 何千年も前から変わらないのだなと思います。

 

またこの箇所で「イサクがどうしてこれほど多くの財産を持ったか」というのは言及されていませんね。 ペリシテ人は自分の目の映るものに非常に左右される人たちだ、ということが ここからわかりますね。

 

「イサク がどうしてこのように富む人生を送るようになったのか」、これを 本当に理解したいと思うなら ペリシテ人は自分たちが神様として拝んでいる人形や 置物をやめて、 イサクと同じ紙を崇めるべきだった。 しかしそれをしない。 目の前に映るもの 、目の前の人生だけを追いかけて生きている人たち。 そういった人たちと信仰心を持つ人間の人生の違いを表しているとも言える箇所 なんですね。

 

また 羊や 牛の群れというのは、 現在の会計用語で言う資産材ですね。 後に残る財産を生んでいくもの、 もしくはそれを売ったり買ったりなんかして自分たちに利益をもたらすもの。 このような取り扱い商品がたくさんあり、 そして 多くのしもべたちを持つというのは、まあ 現在の言葉で言う従業員がたくさんいる大きな会社という感じですね。

 

いかにも恵まれていかにもリッチに見える人を、その豊かさの源泉を考えずに「あいつが憎たらしい」と思う。 そんな記述がここに あるわけですね。

 

そして ペリシテ人たちが目に見える豊かさに翻弄される人々、 また偶像礼拝 金持ちっぽい人を崇める、 金持ち ぽいという偶像を崇めるということもここから現れます。

 

ということで、 ここは「 ペリシテ人がどういう人たちなのか」ということが実はこの行間にびっちり書かれてるんですね。 そしてこのペリシテ人たちの記述というのは、これから先の聖書の中 そして2024年現在まで続く ペリシテ人 のキャラクター 性格人格として延々と書かれていきます。

 

まあ 雄大な 伏線の貼りどころということですね。 

 

15節 それで ペリシテ人は、イサクの父 アブラハムの時代に、父のしもべたちが彫った全ての井戸に土を満たしてこれをふさいだ。

 

 

まずアブラハムの時代に父のしもべ が掘った全ての井戸、 というのはこの箇所ですね。 

創世記の21章25節 アブラハムはアビメルクのしもべ 共が奪い取った井戸のことで アビメ レクに抗議した。

 

 

ここに出てくるアビメレクと、イサクの章で出てくるアビメレクというのは基本的に違う人ですね。 まあ イサクのお父さん世代の時代のアビメレクと、イサクの時代のアビメレクなので、名前は一緒なんですけどまあ 親子とかとりあえず 別人ですね。

 

30節にアブラハムは「私がこの井戸を掘ったという証拠となるために、 7頭のメスの子羊を私の手から受け取ってください」 と答えた。

 

 

ということで、 アブラハムの時代に 「アブラハムが掘った井戸はアブラハム、 そしてその後に続く 子孫に属する」ということを約束しているにもかかわらず、 イサク への妬みの気持ちが原因で この井戸を全部塞いでしまったと。

 

まあ 現代で言うなら自分が嫉妬してしまっている人に意地悪をする、 もしくは相手のビジネスを攻撃したり潰したりする、その他2024年の現在でしたら SNS であることないこと書いて 拡散しまくるとかですね。 そういう行動に非常に近いことをしています。

 

もう1つの側面としては、この井戸というのは アブラハムの時代に 「アブラハムの子孫にあげるよ」と は言われたんですけれども、使うのはそのあたりの周辺に住んでいた みんなで使ってたと思うんですね。

 

この場所は 砂漠の中なんですよ。 そしてせっかく掘った井戸を土で塞いでしまう。 「砂漠の中だよ!」 ということを考えると 、この人たちの行動がいかに愚かなものかということが分かりますね。

 

人間は嫉妬にかられると愚かなことを前後 考えず行ってしまう。 これもまたこの2024年の現在と全く当時と変わっていない、 人間の気持ちというのが書かれてますね。

 

そしてこの嫉妬深さ 妬み深さ、 また 短絡的であり 怒ると前後を考えることができなくなる、というのも この後 ペリシテ人の性格として聖書に出てくる 「伏線の貼りどころ」となっています。

 

本日は”6000年前から続く虚偽情報が未だに生きており、 それが元で中東紛争というのは 今でも続いている”というお話です。

 

日本 また東南アジアに住んでいる皆さんや私からすると、中東の問題っていうのは やっぱりね よくわからないんですよね。 2020年以降 インターネット上で 非常に多くの情報が流れるようになり、 この私が子供の頃から 絶え間なく続いている中東の争いについてもやっといろんな背景がわかるようになりました。

 

そして「その争いの背景が聖書にある」ということはよく言われるんですけども、 何がどういう 背景があって聖書が争いの元なのかが全く分かりませんね。

 

 聖書って平和の書じゃないの? ということが私たちの中にはありますね。 そこから顧みると、 今日の ペリシテ人の記述の具合というのはまあ 現代で言うなら 「他人の不確かな情報を世間に公表する 嫌がらせで、事実無根のデマを流すなどの行為は刑法第230条1項の名誉毀損罪によって罰せられる恐れがあります」

 

と 公然と人の名誉を毀損したものはその事実の有無に関わらず 3年以下の懲役もしくは 金庫 または50万円以下の罰金に処す、ということなんですね。 そうすると この箇所って今で言う名誉毀損 刑法 第230条1項に当たるんじゃね?とちょっと思ってしまいます。

 

何でまたこんなに執拗に書いちゃったのかな?というところなんですけれども、 まあ セイショガーがシンコウガー的な言い方をすると、 

 

やっぱりイサクが信仰を持つものであったこと、 ペリシテ人 が 偶像礼拝者であったこと。

 

もうちょっと分かりやすいように言うと、 イサクというのは 「何事も 導かれるままに 与えられるさ」という思想があったのに対して、 ペリシテ人 というのは「目に見えるもので左右される、 目に見える 偶像を拝む」 まあこういった 違いが、はっきりとした違いがあったということが分かりますね。

 

それゆえ このペリシテ人 とイサクの民族との間には、「 あいつら変なもん 拝んでるよね」 という気持ちとか、 「あいつらさ、 なんかうまいことやって財産 増やしやがって悔しい!」 とか、

 

それでいて 水汲みに行く 井戸では必ず目を合わせて挨拶する、なんてことはしてたでしょうから、まあ そりゃ 憎しみだったり仲良くしなきゃいけないという気持ちだったり 羨ましいという気持ちであったり 自分もああなりたいけどどうしたらいいかわからない、 ウキーー!!となってる ペリシテ人を見て、このイサクの民族が「なんだよ あいつら?」と思っている姿でもあるということですね。

 

 そしてそれがこの2024年まで延々と続いているということです。

 

延々と続いているというのは争いも続いていますし、 人間の本質というのは 6000年前から全くもって変わっていない、ということも続いているわけですね。

 

ということで 本日の箇所が面白かった 興味が持てたという方は、アメブロでのフォロー、Youtubeでの チャンネル登録 いいね お知り合いへの拡散をよろしくお願いいたします。その他 Instagram や Twitter などを行っておりますので覗いていただけると嬉しいです。

 

それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました 。

 

 

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