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こんにちは マダムサトコです。 本日は”示された場所に行くというのが人間の人生で最大の重要なことである”というお話です。

 

本日は 創世記 26章1節から読んでいきましょう。

さて アブラハムの時代にあった先のききんとは別に、この国にまたききんがあった。それで イサク は ゲラルのペリシテ人の王 アビメ レクのところに行った 。

 

 

まずこのゲラルト という場所の確認ですけれども、 現在のガザ地区にほど近いところにありますね。

 

 

 そしてこのペリシテ人 というのは 現在の言葉で言う パレスチナ人のことですね。

 

 

 イサクは元祖中の元祖のユダヤ人ですから、 この当時はユダヤ人とペリシテ人が仲良くしていたということが この記述からわかるわけですね。

 

2024年7月の現在で大変悲しいことに、 パレスチナとイスラエルのユダヤ人 の戦いというのが地上で繰り広げられているわけですけれども、 多くの人は その理由を「 聖書に争うと書いてあるからこの人たちは争うんだ」というような解説もあります。

 

けれども、私はそうではないと思っています。 ここに書いてある通り、 もともとユダヤ人とパレスチナ人は仲良くしていた。 それがこの土地の習わしであり、 また神様の意志だったと私は思っています。

 

ではなぜ争いが起こるようになったのでしょうか。

 

それはやはり人間の「領土拡大!」の気持ちだったり、 何かしらの政治背景だったりと、 誰かの何かの悪巧みで 現在のようになってしまっている。 非常に悲しいことだと思います。

 

またこのアブラハムの時代にあった先のききんとは別に というのは、 アブラハムが故郷であるウルを75歳で出た。 そのアブラハムが故郷を去った理由は数々 諸説あるんですけれども、 その1つが”飢饉であった”かもしれないなと思う 記述がここにありますね。

 

 2節 主は イサク に現れて仰せられた 「エジプトへは下るな。 私があなたに示す地に住みなさい。

 

 

エジプトというのは 皆さんもご存じだと思いますけれども、 ナイル川 という非常に大きな川がありますね。

 

 

 その川が川上 上流から肥沃な土壌を含んだ水をこの河口側のエジプトに流してくるわけですから、 エジプトというのはこの聖書の時代 古代の時代から非常に 農作物が肥沃な土地だったんですね。

 

ききん、 食べ物が作れないような状況になったらみんな エジプトに向かっていく。 アブラハム もそうでしたね。 アブラハムは神様に私の示した土地にいなさいと言われたのに その エジプトの肥沃さに目がくらんだのでしょうかね。 神様の声よりもこの世の充足を求めて エジプトに行ってしまいました。 

 

エジプトに行った後からの様々な騒動については 他の動画で説明しておりますので そちらをご覧いただきたいんですけれども、 アブラハムの孫である イサク が同じように ききんになった時 同じように エジプトに行ってしまわないように、神様が最初に「エジプトに行くな 私があなたに示す地に住みなさい」 とおっしゃってくださっています。

 

皆さんだったらどうしますか。 現在 目の前の生活が食うに困る生活 今この場所から350キロほど 旅をすればその肥沃な エジプト、 今で言うカイロの場所ですね、 ここに行って十分な食料が食べられる。神様がここにいろなんていう声よりもお腹を満たしたい、という気持ちが強くあるのが人間ですね。

 

そうなってしまわないように、 神様は イサク に事前に「エジプトに行くな」と言っているわけです。

 

3節 あなたはこの地に滞在しなさい。 私はあなたと共にいて、あなたを祝福しよう。 それは私が、これらの国々を全て、あなたとあなたの子孫に与えるからだ。こうして私は、あなたの父 アブラハムに誓った誓いを果たすのだ 。

 

 

神様は イサク に「ここに住んでいなさい。 なぜならここで あなたが幸せになるからです。 幸運なことがたくさんあるからです。 そして私はこれらの国々を全てあなたたちにあげよう」 まあ 非常に人間として聞いて、なんて 壮大でなんて心強いんだろう。 そんな神様の言葉ですね。

 

本日は”示された場所に行くというのが人間の人生で最大の重要なことである”というお話です。 皆さんは 今までの人生の中で「あ、 私はここではないあの場所に行かなければならない」と思ったことはあるでしょうか。

 

それは日常の何かを買わなきゃいけないからあそこに行くとかそういうことではなくて、自分の人生が変わるような場所に行く。 日本語で言うと 移住するとか引っ越しするとか、そういう形になると思います。

 

このような声って結構人生の中に何回かあるのかな、 と 私自身の経験から思います。 私の場合ですと 人生の中で大きな引っ越しというのは3回あったのかな と思っています。

 

まず1つ目は 岐阜県 山間部から大学進学 という名目で生家、生まれてから18歳まで育った家を出たこと。2回目は30歳過ぎに バンコクに引っ越してきたこと。 そして3回目はバンコクの中でも 今住んでいる場所に移ってきたこと。 どれもこれも私が 聖書をしっかりと読み進める前の引っ越し だったんですけれども、どれもこれも導かれるように、ドアが開いたところに入るように、 「あー私は行かなければならない」と思って行動しました。

 

その時は神様の声という形で神様の導きという形で認識はしていませんでしたけれども、全てにおいて人生の転換期でしたし、 全てにおいて それまでの難しいことが解消でき、 新たな生きる場所 まさに 新天地に到着したんだなという気持ちを持ちました。

 

また 同時にその変化は自分の力では全く 抗えない、 とてつもない大きな波が押し寄せてきた変化だとも感じていました。 本日の箇所のイサクのききんという現実の問題に対し「 動くな」 と言われている神様。私の人生の中に起こってきた「よし 動け」とは全く逆の行動 なんですけれども、 そこに留まることで今よりもさらに良いことが起こるのだ、ということを ここから感じますね。

 

ということで 本日の箇所が面白かった 興味が持てたという方はアメブロでのフォロー、youtubeでの 高評価チャンネル登録 お知り合いへの拡散をよろしくお願いいたします。 Instagram や Twitter なども行っておりますので覗いていただけると嬉しいです。

 

それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

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