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こんにちは マダムサトコです。 本日は”N国党とみんつく党の権利譲渡をどうこうの大騒ぎ、実は 聖書に書いてあった”というお話です。

 

本日は 創世記 25章29節 から読んでいきましょう。

さて、ヤコブが煮物を似ている時、エサウ が飢え疲れ野から帰ってきた。

 

 

これはどういう状況を言っているか と言いますと、まず エサウ が”飢えて”なのでお腹が空いていて疲れている。皆さんも覚えがたくさんあると思いますけれども こういう状況の時って「あーもう早く早く、 何でもいいから早く早く」 といった感じで

 

理性だとか 判断力だとか、そういったものって 全くない状況ですよね。 そういう状況の時に兄弟が目の前でお料理をしていたということです。 つまり 「早く早く、お腹すいたから 早く出してよ」というような心境だったということが ここからわかりますね。

 

また もうちょっと深読みしてみると、 この「ヤコブが煮物を煮ている」とありますので、 ヤコブは外に出かけたりせず 煮物の番をする、つまり まあ 火をかけた煮物をかき混ぜながら 時間をかけて何かを構築している人で、

 

エサウはあまり考えたりするよりも外を走り回って というタイプである、ということもここから読み取れますね。

 

30節 エサウは ヤコブに言った。「 どうか、その赤いのを、そこの赤いものを私に食べさせてくれ。 私は飢え 疲れているんだから」 それゆえ、 彼の名は エドム と呼ばれた。

 

 

この赤いのというのが 何だったのかはよく分かりませんね。 まあ 私の住んでいるタイで赤い 何かの食べ物といえば、日本の皆さんにも非常によく知られているタイの名物 スープ・ トムヤムクンですね。

 

ですので 私は うっかり そこの赤いのを食べさせてくれなんて書いてあるのを見ると 「トムヤンクンを食べたかったのかな?」 なんて思ってしまいますけれどもwまあ ここでは トムヤムクンではもちろんなくて、 何かの赤いものだった。

 

そして まるで 第二言語同士で喋っているカップルのように「あのその、赤いの赤いの」としか言わなかったんでしょうね。 もう 第二言語同士で会話するカップルというのは、まあうちがそうなんですけれどもw、 ディスワンとか、離れた向こうにあってディスと言う。 そして この赤いのではなくて レッド レッド しか言わないしとかですね、 まあ 出来の悪い家の話をしてしまいましたけれどもw 

 

ここではその赤いのその 赤いのと言うほどこのエドムは苛ついていた、また 腹が減っていて冷静な会話ができていないということを示していますね。

 

それゆえ 彼の名は エドム と呼ばれたって 唐突に出てきましたが、この”エドム” という言葉も後に出てくる 伏線回収に非常に大きな意味を持ってきます。 それはまた回収の時にお伝えしますけれども、 ここが 伏線の貼りどころだということはお伝えしておきます。

 

31節すると ヤコブは、「今すぐ、あなたの調子の権利を私に売りなさい」と言った。

 

 

なんかえらい 唐突にこんなこと言いだしたなという感じのする箇所ですね。 

 

まずはこの”長子の権利”というものが何かというと、 「アブラハムの息子である長男の イサク が、 父親から全ての財産を受け継いだ 権利を持っていた。 また金銭や財産だけでなく 神様がこのアブラハム を祝福したその祝福も長子に与える。 調子が 譲り受ける」 という権利。 

 

これを長子の権利という形で聖書は語っています。 まあつまり、「お金に恵まれて ハッピーにもなれるよね」 ということですね。

 

ヤコブは双子であって2番目に生まれてきた子なので、長子ではないんですね。 そしてこの時は ヤコブとエサウ が何歳かというのは書いてないんですけれども、長子の権利とかアブラハムを始めとする神様の祝福 の系図というのは、 私はリベカ( お母さんですね )が この ヤコブに子供の頃から結構話してたんじゃないかなと思っています。

 

もちろん リベカ もエサウ は自分の息子ですから エサウも可愛いけど、この箇所で

 

 

リベカ はエサウをよりも ヤコブを愛しており、 ヤコブの方がもっと可愛いということがあったかもしれませんね。

 

そして ヤコブは「どこかのタイミングでエサウ にこのことを切り出そう」と思っていたタイミングを見計らっていたんじゃないか? と 私は実は思ってるんですね。

 

 エサウの日頃の行動や、こういう風になると ああいう風に言うみたいなパターンを把握して、もしかしたら この時はその考えていた パターンが全てうまくあった、 つまり 「自分は料理している、エサウは腹ぺこで帰ってきている、 しかも疲れているタイミング」かもしれませんね。

 

本日は ”権利の譲渡という言葉の重大さ、 また大変な意味がある”ということのお話です。 2024年の6月に日本に住んでいる方は 、東京都知事選挙でいろんな情報が流れてますけれども、

 

そのうちの1つの情報として とある 国営放送をぶっ壊す と言っている人が、2023年中に若い女性に政党の投手である権利を渡してしまい、 そこから 大もめに揉めてるということはご存知だと思いますけれども、

 

私は実はその騒動を見た時 「あ、 あれは ヤコブとエサフのあの大騒動によく似てるな」と 実は思ったものです。

 

長子の権利を渡してしまった男性の方は「自分が軽はずみ だった」ということをあちこちでおっしゃっておられますね。 そうです、 権利というのは

 

最初に発生した時は 自然発生。 なんですけれども それはやっぱり

神様の恵みによって与えられている、というものであり

それを誰か他人にあげてしまったりなんかすると、 後で泣いても わめいても絶対に戻ってこない。

 

よく神様は前髪しかなくて 「あ、 あれを掴んでおけばよかったのに!」という時にはすでに後ろ髪をつかむことはできない、というような言い方をしますね。 まさにその状態です。

 

この2024年の現在で日本で起こっている、 そういった 揉め事を見ると聖書って本当に何でも包括してるんだなということをしみじみ思ったりなんかもします。

 

ということで 本日の箇所が面白かった 興味が持てたという方はアメブロでのフォロー、youtubeでの 高評価チャンネル登録 お知り合いへの拡散をよろしくお願いいたします。その他 Twitter や Instagram なども行っておりますので覗いていただけると嬉しいです。

 

それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

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