動画はこちらから

↓   ↓   ↓

 

 

 

こんにちはマダムサトコです。 本日は ”昔の習慣がいろんな形で読める、読書としても面白い箇所”です。

 

本日は 創世記24章50節から読んでいきましょう。

するとラバンとベトエルは答えていった。「 このことは主から出たことですから、私たちはあなたに 良し悪しを言うことはできません。

 

 

ラバンはリベカの兄でして、この当時の社会風潮がどのようなものだったかはもちろん はっきり分からないんですけれども、 一族の存続維持や 産めよ増やせよ という言葉を 羊や 牛だけでなく人間にも行っていたと考えると、

 

このベトエル、ここで出てくる人はまあ お父さんなんですけれども、 そのお父さんが何人もの妻を持っていたと想像します。まあその当時の法律がどうだったのかはもちろん はっきりわからないんですけれども、 当時 多分そういうことは よしとされてたんでしょうね。

 

そしてそのベトエル ここで言う お父さんと奥さん、 奥さんとは 1.奥さんA  2.奥さんB 3.奥さんC、 みたいな感じで何人もいると思うんですけれども、 それぞれの奥さんとの間で”一番最初に生まれた男の子がその家の家長の役割を果たす”というようなことがあったんだろうと思います。

 

それゆえに このラバンというのは、 リベカの兄でありながら また父親のような役目をしていた。 井戸のほとりに エリエゼルを迎えに行ったり、エリエゼルと対面して話をしたりするということをラバンが行っていますね。

 

もしくはもう一つの考え方としては、 このベトエルというお父さんが まあ何らかの健康的な事情で外に出ることができなかった。例えば 老齢ですとかね。そういったことで 家の外のことはラバンが行う、家の中のことは 引き続き お父さんのベト エルが行う、という方式だったかもしれません。

 

ただ 最初から出てきてないところを見ると、 もしかしたら「客人の対応は家長の代わりである長男に任せる」というのが 風潮 だったかもしれませんね。

 

そしてそのお客さんが重要な要件であれば、本物の家長が出てきて良し悪しを判断するという風潮 だったかもしれません。 この場面で言いますとリベカ を嫁に欲しいという人が来たという本当に重要な場面ですから、 このベト エルという お父さんが出てきたんじゃないかと思います。

 

そして「このことは主から出たことですから私たちはあなたに 良し悪しを言うことはできません」と言っています。 ここで 主と言っておりますので このラパンとベトエルも同じ神様を信じていたと思われます。

 

もしくはエリエゼルが”主”と呼んでいるので、 この人たち もつられて 主と呼んだのかもしれませんね。

 

とにかく このシーンでは”神様の存在を認めて、 神様が私たちを引き合わせてくれた”ということを言ってますね。 そして神様が引き合わせてくださったものですから、私たちは 良し悪しを言うことはできません という返答しています。

 

まあ 日本でもよくありますよね。 付き合ってる者同士がそろそろ結婚しようかと思ってお互いの両親を引き合わせたとき、実はお父さんの下の名前が2人とも同じだったとか、 お母さん同士が同じ県の出身地だったとか、昭和の時代だったらみんな 干支が一緒だったとか、まあそういう私たちは「偶然ですね」というようなことも、 この聖書のこういった箇所では神様のお導きだという風に言ってますね。ということで 私たちが 「偶然だ 偶然だ」と思っていることも、 実は神様のお導きだったということもわかる 箇所となっております。

 

51節 ご覧ください。 リベカ はあなたの前にいます。 どうか連れて行ってください。主が仰せられた通り、 あなたの主人のご子息の妻となりますように。」

 

 

ここまで読んできましたけども ”リベカの意思”というのは一言も書かれていませんね。 女性の意思にかかわらず、この当時は 結婚相手が家族によって決められたという風習がここから分かります。 2024年の現在ですと「女性のジンケンガー」とかいう風に言う人もいますけれども、 もしかしたら

 

こうやって「あなたがいいんです」と言われた 結婚、 もしくは「神様が導いてくださった結婚」というのが 実は恋愛という幻のような脆いようなもので、繋がっているつもりになっている結婚よりもよっぽど 絆、結びつき、 生きる上のビジョンというのは 強いかもしれませんね。

 

 今日の箇所の読み方のもう一つとして ”リベカのすべての意思に任せる、 自由を選ばせる”というところもまた見えてきます。

 

50節のラバンとベトエルが「私たちはあなたに 良し悪しを言うことはできません」 というのは 父や兄は何も言わないけど、リベカが嫌だと言ったらそれは諦めてくれという言葉も含まれているように思います。

 

そして51節の「リベカ はあなたの前におり、 どうか連れて行ってください」というのはこの50節と51節の間にきっと空白があって、 リベカ が発言する時間があったんじゃないかなと思います。

 

そこで リベカは嫌だとも何とも言わなかったので、この51節の連れて行ってください につながっているのかなという気もします。

 

文字だけを読むとそういった機微とか 空間とかを読むことがなかなか難しいんですけれども、 もしそうやって空気を読んできちんとリベカに発言させる 間合いがあったとするなら、2024年現在の女性のジンケンガー という人たちもまあ 納得できる展開だったんじゃないかと思います。

 

本日は 昔の習慣がいろんな形で読める読書としても面白い箇所です。 今日の箇所は神様のお導き、 神様の存在を認める箇所でありつつ、 また人間の選択の自由を示している箇所でもありますね。

 

まず 2週間 砂漠を何の支障もなく 横切ってきて、

夕方の泉のほとりで、

声をかけた子が探している家庭の女の子だった、 

その子は気だてがよく働き者で体も丈夫だった。

 

嫁ぎ先は 
一家の中でも一旗あげたということで、

伝説的な人物になっていたアブラハムの、

全財産を引き継ぐ 一人息子。

 

もうね、これは本当に「神様がしてくださったこと」と言う以外何も言えないようなことですね。

 

女性のジンケンガーとか言いたくなるような箇所ではありますけれども、 でも 現代の人々が簡単に結婚して 何の我慢もせず 簡単に離婚する姿を見ていると、

 

自由恋愛がそんなに大事かな?というような気持ちにもなります。日本ではおかしなカルトが信者を適当にくっつけて結婚させるというようなことは結構ありますけれども、 それではなくて、 

 

こんな人と出会いたい。

こんな人を 伴侶に持ちたい。

と祈り 願い 

そういう人たちが集まるところに行く、

集まる時間にその場にいる。

 

こういったことが 神様のお導きによる 伴侶と出会う最善の方法 かもしれませんね。

 

今日の箇所が面白かった 興味が持てたという方はアメブロでのフォロー、youtubeでの 高評価チャンネル登録 お知り合いへの拡散をよろしくお願いいたします。

 

その他 Twitter や Instagram なども行っておりますので覗いていただけると嬉しいです。

 

それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

 

動画はこちらから

↓   ↓   ↓

 

 

 

Twitterはこちらから

↓   ↓   ↓

https://twitter.com/BKKMadam_Satoko

 

インスタグラムはこちらから

↓   ↓   ↓

https://www.instagram.com/bkk_madamsatoko/