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こんにちはマダムサトコです。 本日は”具体的に祈ってみる、 具体的に行動や言葉をあげて願う”というお話です。

 

本日は 創世記24章42節から読んでいきましょう。

今日、私は泉のところに来て申しました。『 私の主人 アブラハムの神、主よ、私がここまで来た旅を、 もしあなたが成功させてくださるのなら、

 

 

これはエリエゼルの祈りの部分ですね。 少々私が気になるのはこの祈りの際に『私の主人 アブラハムの神』として自分の神様じゃないのかね?という点が少々気にはなりますね。

 

この箇所からずっと前 なんですけれども 神様から一族全員男子は 割礼だと言われた時に

 

 

 全員 割礼をしてますね。 それは信仰心の表れなのか、とにかく自分の主人が信じているから みんな 従ったのか、 そこら辺は書いてないので分かりません。 けれども これについてもまあこの「私の主人の神様」というところで どうなんですかね。 エリエゼルはどうなんだ というのがちょっと気になりますね。 

 

ただ 一方 ここで「 主よ」 とも言ってます。 やっぱり神様のことを信じてないと なかなか「主よ」 というのは言えませんね。 ということで やっぱり エリエゼルも信じてたのかなという気もします。

 

そして2週間ほどかけて 砂漠を横断してきてその間、 ひもじくもならずまた山賊や 盗賊に襲われることなく、無事に健康に到着した。 それを「もし神様が成功させてくださるのなら」 という言い方ですね。 決して自分が頑張った、自分がどうかしたからという話ではありません。

 

43節 ご覧ください。 私は 泉のほとりに立っています。 乙女が水を汲みに出てきたなら、私は、あなたの水瓶から少し水を飲ませてください、と言います。

 

 

これは若い女性たちが集まる時間と場所、 適切な時間と場所に来ました、 とまず言ってますね。 そして「その中の1人に水 瓶から水を飲ませてください」と言います。

 

自分がどのように言うかをこれ 神様に祈っているというシーンですね。

 

44節 その人が私に、「どうぞ お飲みください 。私はあなたのラクダにも水を汲んであげましょう」と言ったなら、 その人こそ、主が私の主人の息子のために定められた妻 でありますように』

 

 

見ず知らずの 自分にも優しく丁寧に接してくれる、 そして旅を続ける最も大切な道具の一つであった ラクダにも水を汲んであげましょうと言ってくれる、この水汲みというのは非常に重労働なんですけれども それを厭わず行ってくれる人、 そしてそれを行う健康でかつ 前向きな性格であること、

 

そういう人が主が私の主人の息子のために定められた妻である、と設定しましたね。

 

リベカ 自体は自分がそのような試験を このエリエゼルが設けていた、というのはもちろん知りませんね。 そして自分が自発的に行った行為がまさか”人が事前に祈っていた”ということは非常に驚いたでしょうね。

45節私が心の中で話を終わらないうちに、 どうです、 リベカ さんが水瓶を肩に乗せて出てきて、 泉のところに降りてきて、 水を汲みました。 それで私が『どうか水を飲ませてください』と 言うと

 



祈りが現実化したんです、 という話ですね。 祈りというものがどれほど人間にとって大切なのか、 また重要な使命を帯びている人こそ「 祈りなんて ばかばかしいよ」 ではなくて祈ることが非常に大切だということが ここからわかりますね。

 

46節 急いで 水瓶をおろし、『お飲みください。 あなたのラクダにも水を飲ませましょう』と言われたので、 私は飲みました。 ラクダにも水を飲ませてくださいました。

 

 

自分が神様に 「どこの誰かもわからない、 イサクの嫁はこのような対応をしてくれる女性だ」ということで それが現実化するように祈ったことが、 まさに目の前で 現実化しましたということを語っていますね。

 

そして 聞く方、 このリベカの兄や母はこの話を聞いて、 水汲みということがどんなに大変な仕事かを もちろん知っていますので「自分の苦労も顧みずにこうしてあげたんだな」ということを実感したのではないでしょうか。

 

47節 私が尋ねて、『あなたはどなたの娘さんですか』 と言いますと、『ミルカが ナホルに産んだ子 ベトエルの娘です』と答えられました。 そこで私は彼女の鼻に飾りは を つけ、 彼女の腕に腕輪をはめました。

 

 

エリエゼルはこのアブラハムの親戚のお名前を知っていたということですね。 この家系図

 

 

からざっくり見てもアブラハムとこのリベカ というのは 2世代 違うわけですから、すでに50年から60年近く 時間が経っているということが分かりますね。 その50年 60年の間にどれだけ親戚の間で通信があったのか。 その当時 1000km 以上の離れた土地 ラクダで行って2週間ほどかかる土地、 もちろん 年賀状 なんて習慣はないですから 「年賀状だけのお付き合いでね」 なんてこともなかったと思います。

 

そうするとアブラハムが知っていた親戚の名前というのはミルカまでだと思います。 まあ ギリギリ「ルカが ナホルに」のこのナホルぐらいまでで、 このベト エルというのは全然知らなかったんじゃないかと思いますね。

 

ですから アブラハムが「えーと 親戚はミルカとナホルぐらいかな」みたいなことは言ったんじゃないかと思います。 まあ それだけが手がかりですから、 エリエゼルはきっと「ミルカ、ナホル。ミルカ、ナホル。」と言いながらと2週間の旅を続けたんじゃないでしょうかね。

 

そしてリベカ に「あなたはどなたの娘さんですか」 と聞いた時にミルカ、ナホルと出てきたので もう「これでドンピシャだ~~~!!!」と思って金の飾りを出してリベカ にあげたということですね。

 

今日は”具体的に祈ってみる、 具体的に行動や言葉をあげて願う”というお話です。

 

まあ スピリチュアル系の本なんかにも よく「お願いは 具体的に」 というようなこと書いてありますね。 多くの本が「欲しいカバンの名前とか、住みたい場所とか」そういう感じでまあ ”物欲”中心に書いてあるので ちょっと なんだかなとは思いますけれども、

 

 具体的に というのは本当にその通りだと思います。 ただ、お金が欲しいとかカバンが欲しいとかではなくて このエリエゼルのように「私がこのように言ったら相手がこうしてくれる」ということを祈る。

 

そして 祈り というのはまあ皆さんご存知の通り ”非科学的” なんですけれども、 その日科学的な”祈り” というものが案外 以外 これ結構 効くんですね。

 

そして自分が祈ったことが 祈ったように現実化してくるということもママあります。 

 

ただし 1つ注意点がありまして、 それは”神様を信じて祈る”ということですね。 「どうせダメだろうな」 とか 「どうせ何々だけどまぁ 口だけ 言っとくか」というような態度ではなく、「本当にそうなる」と信じて祈る。 

 

まあ スピ系の本で書いてある言葉で言うと 「そうなった姿を思い浮かべながら祈る」、 聖書的に言うと 「必ず与えられると信じて祈る」ということですね。

 

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それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。 

 

 

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