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こんにちはマダムサトコです。 本日は”賽は投げられた。あとは静まって待て”というお話です。

 

本日は 創世記24章28節から読んでいきましょう。

その娘は走って行って、 自分の母の家のものに、 これらのことを告げた。

 

 

これは何を言ったんでしょうかね。この書きようだから分かりません けれども、 まあその当時金というのは今と違って 金メッキだとかなんか色を合わせて作るとかそういうことができなかったので、 金を持っていること自体もうすでにその人が本物のお金持ちであるという証 みたいなもんだったと思います。

 

そしてこのアブラハムの下僕である エリエゼルがきっとリベカの前で祈った「私の主人の兄弟の家に導かれた」という言葉がなんだかとてつもなく重要なことに聞こえたのかもしれませんね。

 

またはその当時 その金の輪とかではなくとも価値の高いものを見せて 「お前はどこの家の娘さんだい」 と聞くのが「お嫁さんに最適な人物だね あなたは」 という意味だったのかな とも思います。とりあえずこのエリエゼルの発言 や行動によってリベカは”自分の身に ただならぬことが起こるんじゃないか”と思って自分の母の家のものに これらのことを告げに帰った、というシーンですね。

 

まあ 現代の社会であれば 「不審者! 通報!!」 みたいになっちゃうんですけれども、 この当時はまあそういうことはなく自分の身に良い変化が起こるんではないかという期待がもしかしたら あったかもしれませんね。

 

29節 リベカには1人の兄があって、その名をラバンと言った。ラバンは外に出て 泉のところにいる その人のもとへ 走って行った。

 

 

実はこのラパンという人物も 後々 非常に大きな役割を持つ 登場人物ですけども、 まあそれはその時に お話ししたいと思います。

 

1つ 気になるのは リベカ は”母の家のもの”、にまた”兄が出てきて”とありますね。「 お父さんはどこに行ったんだ?」 という感じですけれども、 もしかしたら 当時は一夫多妻制 を自分の民族や家族を増やすために採用していて、 お父さんという人物とは 一緒に住んでいなかったのかもしれませんね。そして お父さん 代わりにその家で生まれた 一番上の男の子、 長男が父親の代わりをしていたのかな と ここから想像します。

 

何だかただならぬことが起きている、とリベカの話を聞いて兄であるラバンがこのエリエゼルがいる泉のところに走ってきたということですね。

 

30節彼は鼻の飾り輪と妹の腕にある腕輪を見、また、「あの人がこう私に言われました」と言った妹リベカの言葉を聞くとすぐ、その人のところに行った。するとみよ。その人は泉のほとり、ラクダのそばに立っていた。

 

 

数日前の箇所に出てきた一ベカ=5.7g 現在の 日本円に換算すると 7万4000円相当の金というのは

 

 

 5.7g って小さいなあ というお話をしていましたけども、 ここで鼻輪として使われるアクセサリーだということが出てきましたね。 まあ鼻輪なら細工としては一つですし、 それほど大きくないですから なるほどな そういうもんだったんだろうなと思います。 その鼻輪と腕輪を見て 「なんだかとっても高価なものをもらってるぞ」ともちろん 認識したでしょうね。

 

そして エリゼルが言ったことを聞いた、 それはつまり リベカ に対して何かしらの興味を示している ということですね。 まあ 現代でしたらストーカーが近寄ってきたとか、不用意に個人情報を聞き出した罪とか、まあ 色々あるんですけれども、 まあこの当時はそう言った 不審者ではなくて やはり何かしらの人間関係を結ぼうとする時にそういうことを聞いていたんでしょうね。

 

ですから それが聞かれたということは 「リベカの身にそのような話が来た」ということを察知したのかもしれません。 そしてリベカ が家に戻ってお兄さんと一緒に戻ってくる間、 エリエゼルは泉のほとり ラクダのそばに立っていたということです。

 

リベカ がまた戻ってくるかなという不安な気持ちはあったんでしょうかね? 分かりません。 違うんなら戻ってこないだろうから違うんなら違うんでいいや、と思っていたかもしれません。 ダメだったらどうしようか?という気持ちで立っていたかもしれませんね。

 

ここにわざわざ書いてあるということは「 エリエゼルは迎えが来るのを待っていた」というようにも読めますね。 つまり 「リベカの家族に必ず受け入れられる」と思って 待っていた。 エリエゼルがどのように考えていたのか 私たちには分かりません けれどもあまり、 ごちゃごちゃ 書いてないことからいろんな方向の姿が想像できる箇所だなとも思います。

 

本日は 賽は投げられた。あとは静まって待て。というお話です。いいなと思った リベカを見つけた、 リベカ に自分の身上、 これは 細々には言ってません けれども、 その当時は非常に珍しかった金を与えることで間違いのない身分の人間であるということを自ら示しまた。

 

リベカの家のものが来るのを 静まって待つ。 日本語のことわざで言うと 「賽は投げられた」ということですかね。 自分のするべきことは全てした後はどうなろうと静かに 神様の導きを待つということですね。 

 

人間というのは目の前の現状がなかなか変わらない時に、「いろいろ もがいて自分の努力で何とかしようとする」ことが非常に多いと思いますけれども、 「そういう時にこそ 静まって神の導きが何であるかを知るもしくは待つ」ということが必要だということが ここから読み取れますね。

 

特に現在では どうしても「自分で何とかしよう 自分が何かしよう」とそればっかりを思ってしまい、 また「失敗したらどうしよう これがダメだったらどうしよう」と マイナス方面に考えてしまうことが とっても多くなってます。

 

けれども 実際は「何も心配せず、自分がすでに最善のことをした。 なすべきことはしたという 心持ちで」、あとはまあ 言い方は良くないんですけれども「あとは野のとなれ 山となれ」。

 

神様が導いてくれるさということで「 静まって待つ」ということが求められているかもしれませんね。

 

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それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

 

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