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こんにちはマダムサトコです。 本日は”スピ系の本や 運を良くする本 というようなものにもよく書いてある通り、求めるものは 具体的に” というお話です。

 

本日は 創世記24章24節から読んでいきましょう。

彼女 が答えた。「 私はナホルの妻 見る かの子 ベトエルの娘です。」

 

 

2024年の 現代であれば「お前はどこの家のものだ」と言われて こんな個人情報をベラベラ喋っていいのか?というような回答をしていますね。 アブラハム まで 三親等 なんですかね。

 

 

自分の身上を明かすということで 家系図まで大披露しています。 これは その当時の習慣だったんですかね。まるで 「お前はどこの組のものだ」と言われて 「何々組だ」みたいな日本の昭和の人気ヤクザ映画のようなやり取りではありますけれども、 自分の身上を明らかにするというのはこの時代、 また昭和の時代に?非常に大事なことだったんだろうなと思います。

 

また この答えは アブラハムの下僕であり イサクの嫁探しを 任務としていた エリエゼルからしたら「来た~~~!!!」という答えですね。

 

25節 そして言った。「私たちのところには、藁も資料もたくさんあります。 それにまたお泊まりになる場所もあります」。

 

 

このセリフ から まず このリベカの家族というのが非常に 手広く、また数多くの放牧や 遊牧 そして もしかしたらこの藁もとありますので 農業も行っていたんじゃないかということがよくわかりますね。

 

つまり 「非常に 豊かな家庭の出身です」ということを この言葉が表しています。 それにまた「お泊まりになる場所もあります」 このセリフからは 家も非常に大きい家に住んでいるということが想像できますね。

 

経済的な背景としても イサクの嫁としては十分に条件を満たしている、ということが このセリフからわかりますね。

 

つまり エリーゼルは

若くて美しくて

人間擦れしていない

アブラハムの一族の中で

経済的なバックグラウンドも非常に 豊かである

 

イサクの嫁としては最高の条件の女性がここで見つかった!ということが分かりますね。

 

26節 そこでその人はひざまずき、 主を礼拝して、

 

 

もしこの現代で「ああ、神様のお導きと恵みがあった!」と思った瞬間にその場でひざまずいて 神様に礼拝 なんかしてみたら「うわー、やっばーい」 みたいな言い方をされてしまいますけれども、

 

神様によって良くしてもらった。 そう思った瞬間に神様を礼拝する。このエリエゼルの姿というのは 人間が本来あるべき姿 なんじゃないかな と私は思います。

 

まあ 日本だけでなく世界中でも多くの人々が「神様に良くしてもらったと思った時は、その場で黙って感謝を捧げる」というような形になってますけれども、 本来でしたら自分の体を低く保つ、つまりひざまづいてですね、 そして神様を礼拝する。 このような態度 姿 行動があると本当にいいと思います。

 

27節 言った。「私の主人 アブラハムの神、主が褒め称えられますように。 手話私の主人に対する恵みと誠とを捨てにならなかった。 主はこの私をも途中つつがなく、 私の主人の兄弟の家に導かれた。」

 

 

この箇所は日本語で読むと なかなか長いですね。 主が褒め称えられますようにという風に 日本語で読むと「なんだかなーシ宗教クサいわあー」 と思う方も多いかもしれません けれども、s

英語だとこれ Praise the Lord というだけですね。プレイズ ディ ロード というのはまあ 言ってみれば oh my god の反対語みたいなもんですかね。 オーマイガー というのが 「なんてこったい」っていう意味だとしたら、プレイズ ディ ロード というのは「ああよかった」とかは「神様の奇跡 すごい」とかまあそんな感じですね。

 

そして 主は私の主人に対する恵みと誠とをお捨てにならなかったというのは、 どこの誰だかわからないけど イサクの嫁を探してこい という 無茶ぶりのオーダーを受け 「本当に見つかるのかよ...」 と思いながらだったかもしれませんね、 アブラハムが住んでいるヘブロンからこのウルまでの1000kmあまり

 

 

の旅をここに書いてある通り つつがなく なので 山賊や 盗賊に襲われることもなく、 また飲み水や食糧に困窮することもなく、このアブラハムの兄弟の家に導かれた。という これが 感謝の内容ですね。

 

神様がいてくれたからこそ、神様が導いてくれたからこそ、この大変な旅 この大変な 任務がきちんと行われた。ということを感謝として捧げていますね。

 

本日はスピ系の本や 運を良くする本 というようなものにもよく書いてある通り”求めるものは 具体的に” というお話です。

 

皆さんは 何かいいことがあった時に「良かったね、 感謝だね」っていうようなことをおっしゃると思いますけれども、 まあ 誰に感謝してるのかということはあんまり考えたことがないかもしれませんね。

 

スピリチュアル系の本ですとか運が良くなる20の習慣 みたいな本でも「感謝しましょうみたいな感じで書いてあるんですけれども、 それらも 本来はこの26節に書いてある「主を礼拝して」ですね。

 

神様がいることを認め、そして神様に感謝をする。 これがまあ 本来あるべき 感謝というものではないかと私は思っています。

 

現代であれば1000km あまりの旅を 何の事故 怪我 また食料や水の困窮 もなく行えたというのは当たり前じゃん、 かもしれません。 けれども ここで 言いたいのは「この旅がつつがなく 行えたのは水だの盗賊だのの問題がなかったからではなく、神様が守ってくださったから」ということですね。

 

そして神様に守られているからこそ、 どこの誰かもわからない イサクの嫁を探してこいというような無茶ぶり オーダーにも「若い女の子が集まる時間と場所」、 これをしっかりと 把握して行動ができた。

 

またどの子 かなと思いあぐねる前に「このような子、 非常に具体的にどのような行動をしてどのようなことを言う」というような 祈りが聞かれて、 そして現実化しているという姿が この 24章ですね。

 

スピ系の本や 運を良くする本 というようなものにもよく書いてある、

 

通り求めるものは 具体的に口に出して求める祈るということが大事だ

 

と語っている箇所となります。 今日の箇所が面白かった 興味が持てたという方はアメブロでのフォロー、youtubeの チャンネル登録 高評価 お知り合いへの拡散をよろしくお願いいたします。その他 Twitter や Instagram なども行っておりますので覗いていただけると嬉しいです。

 

それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

 

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