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こんにちはマダムサトコです。本日は ”ただほど怖いものはないを再度考えてみる”ということをお話ししたいと思います。

 

本日は 創世記23章10節から読んでいきましょう。

エフロン はヘテ 人たちの間に座っていた。ヘテ人のエフロンは、その町の門に入ってきた ペテ人たちが 皆 聞いているところで アブラハムに答えていった 。

 

 

エフロン というのは アブラハムが「あの土地を譲ってほしい」と 名指しした土地の持ち主でした。 ペテ人たちの間に座っていたというのは、皆アブラハムの妻である サラがなくなったことを 弔問しに来ていたというような絵が浮かびます。

 

そしてその町の門に入ってきたとありますので、 このエフロン の土地というのが街中ではなく まあ 今で言う 町外れ 郊外にあったということがわかりますね。と言っても 今のように大きな都会が広がっているというような構造ではなくて、 この当時は 町というのは高い塀で囲まれていました。 

 

ですので 城壁の中か外かでまあ 生活環境も変わるということが私たちは予想できますね。 その城壁 というのは いわゆる 盗賊や山賊から身を守るための 城壁 ですので、 夜は閉じてますけれども 朝は門を開いて 羊や 牛を連れて 放牧をしてまた 夕方に帰ってくるまあそんなような生活スタイルだったと思われます。

 

そんな中で このエフロン という人は 城壁の中に住まずに 城壁の外に住んでいたのかな?ということが ここの書き方から伺えます。 

 

そして皆が聞いているところでとわざわざ書いてあるというのは、この当時は 約束とか発言 というのは紙に残すということはできませんでしたね。 紙がその当時はなかったので。 ですので 「みんなが聞いているところで行った 発言」 というのが 約束になるということでした。 

 

つまり 「ここではかなり重要なことが話されていますよ」 ということが この 皆が聞いているところで というところで表されてるわけですね。

 

 11節 「ご主人。 どうか、私の言うことを聞き入れてください。畑の地をあなたに差し上げます。 そこにある洞穴も差し上げます。 私の国の人々の前で、それをあなたに差し上げます。 亡くなられた方を、葬ってください。」 

 

 

エフロン は非常に 気前のいいオファーをしてますね。 「ご希望の場所は2つとも 差し上げます。 それをみんなの前で約束します」という この言動から、アブラハムが非常にその土地で尊敬を受けていたし「 あの人にもらってもらえるなら是非」と思われていたのかな と思います。

 

もしくは、もちろんはっきりとは 分かりません けれども、 このエフロン の土地というのは 実は「持ってるんだけども 管理がちょっとしにくい めんどくさい 土地」だったということかもしれませんね。 それゆえに 「ああ、もういらないからあげます」というような気持ちがあったかもしれません。「 ただで差し上げます」 という 私たちの今の耳から聞くと 非常に良い オファーをしてくれています。

 

12節 アブラハムはその土地の人々にお辞儀をし

 

 

昭和の時代には 「外国人はお辞儀をしませんよ。 日本人だけですよ 頭をペコペコとするのは」 というようなことを英語か何かの授業で 私は言われたことがあるんですけれども、

 

この記述を見るとアブラハムは人々にお辞儀をしということで、 その昔から人々に対して敬意を払うという時にお辞儀をするという行為があったことが分かりますね。

 

この箇所を読んで 私は「なぜ昭和の時代には外国の人はお辞儀をしませんよ なんていうことを言っていたのかな」と考えました。きっとその当時の外国人というのが いわゆる 進駐軍の人たちで、日本人に対してお辞儀をするなんという機会やそういったつもりも気持ちもなくて、 そういった態度を見てそのような発言をしたのかなと 思いました。

 

話を戻しまして 

13節 その土地の人々が聞いているところで、エフロンに告げていった。「もしあなたが許してくださるなら、私の言うことを聞き入れてください。 私は畑の土地の代価をお支払いします。 どうか私から受け取ってください。 そうすれば死んだものをそこに葬ることができます 。」

 

 

この無償で差し上げますというオファーに対し、 アブラハムはお金を払いますと返事をしています。 現代人の私たちからすると 「ただでくれるって言ってるのになんでお金払うんだろう」と思う 一方日本語のことわざにもありますね、 ”ただほど怖いものはない”。

 

ここで 非常にその土地で慕われていた アブラハムがただでこれをもらった場合は、 きっとこのエフロン という人物は その後 「俺がただで恵んでやった土地だよ」と言うでしょう し、その後の子孫が 気が変わったから「やっぱりこの土地を俺たちに返してくれ」と言い出すことも懸念されるでしょう。

 

その後 自分たちの一族が大きくて有名になった時にこのエフロン の子孫たちが 「あいつらの土地はさ 俺の先祖がただであげた土地 なんだぜ」ということを言いふらしたり、 まあ そんな その後の様々なトラブルを考えるとアブラハムはここで無料で受け取るのではなく きちんと代価を払って受け取ろうと思ったのかもしれないですね。

 

そして払うものさえ払えばあとは何をしようとも 何が起ころうとも アブラハムの自由。 まあ そのようなことを アブラハムがその当時 考えてたかもしれませんし 考えてなかったかもしれませんけども、 まあただより怖いものはないという言葉 また考え方はこの当時からあったのかな と思います。

 

本日は ただほど怖いものはないという日本のことわざ 昭和のことわざ かと 思っていたことが、実は 聖書の時代にすでにあったということがわかりますね。

 

 目の前で消えてなくなるようなものだったら行為に甘えてただでもらうのもいいかもしれないんですけれども、 自分の一族の名誉に関わるようなこと、 またお墓という今後 長く残っていくであろう 場所 つまり 重要なことについては「きちんと払うものを払って 後々人から あれこれ言われないようにしよう」ということは アブラハムが気をつけていた点かもしれませんね。

 

また逆説的に”うっかり 他人に隙を見せない”ということもここから想像できます。 日本でもよくありますね、「 あいつは私が助けてあげたんだよ」 とか「よくしてやったくせに私に冷たいのよね」 というようなことをぐずぐず言う人がいますけれども、そういった人たちをシャットアウトするにも「払うものは払う払うものを払って自分のものにしておけば 人から何も言われることはない」 まあそのような現代の私たちの生活にも応用ができる言葉が この中にあるかと思います。
 

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それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

 

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