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こんにちはマダムサトコです。本日は”お墓というものについて 再び振り返ってみる”ということで お話ししたいと思います。

 

本日は 創世記23章5節から読んでいきましょう。

ヘテ人はアブラハムに答えていった 

 

 

6章 「ご主人。 私たちの言うことを聞き入れてください。 あなたは私たちの間にあって 神のつかさ です。 私たちの最上の墓地に、亡くなられた方を葬ってください。私たちの中で、誰一人 、亡くなられた方を被る 墓地を拒むものはおりません 。」

 

 

まず このヘテ人たちが 「あなたは私たちの間にやって神のつかさです」とアブラハムに対して 尊敬の念 また 畏怖の念を表しています。思うに、 外国人であったとしても非常にこの土地で仲良く 友好的に過ごしていたんだろうなと思います。 

 

そして「私たちの最上の墓地に葬ってください」とここでも最高のオファーをしております。 アブラハム を神の司と呼ぶほどですから 非常に尊敬し、また良いところに入っていただきたいとこの人たちも思っていたことでしょう。「外国人だからと言って誰も墓を拒むものはいません」と 全面的に受け入れる 友好的な態度を見せています。

 

 7節 そこで アブラハムは立って、その土地の人々、 ヘテ人に丁寧にお辞儀をして、

 

 

ここからアブラハムが神様に「この土地はあなたのものだよ」と言われながらも その土地の人々に無理やり何か を強要したり 斡旋 圧力で人々を追い込んだり ということがなく、 アブラハムの側もまた 丁寧に人々に接していたということが ここからわかりますね。

 

8節 彼らに告げていった 死んだものを 私のところから移して葬ることが あなた方のお心であれば 私の言うことを聞いてツォハルの子エフロンに交渉して、



9 彼の畑の地 の端にある彼の所有のマクペラの洞穴を私に譲ってくれるようにしてください。 彼があなた方の間で その畑地に十分な価をつけて、 私に私有の墓地として譲ってくれるようにしてください。」

 

 

このマクペラの洞穴という場所なんですけれども、 ヘブロンの旧市街の中心部にあるそうです。

 

 

 ちょっと先のネタバレになりますけれども、 このマクペラの洞穴というのが サラをはじめとし その後 アブラハム イサク ヤコブと一族が次々にこのホラーナに埋葬されて行って、 現在のイスラム教 キリスト教 アラビア 教の聖地となっています。

 

話を戻しまして、 ヘテ人が「最上の場所でどうぞ 墓地を持ってください」 と提案してるんですけども、 アブラハムはある人が持っていた 畑を「十分な 価格をつけて私に私有の墓地として譲ってくれるように。 この土地を買いたい」と申し出ています。

 

これにはいろんな考え方があるかと思います。

 

まず自分の家族が葬られる場所、 自分の家族がこの後 長きに渡って 多くの人々多くの子孫を持つのだ という意識があったがために、 一族の始めである 自分たちの墓標 というものをしっかりと持ちたい。

 

どこかのヘテ人の中のどこかの一角です こそっと ということではなく、 自分たちが 始祖である、 自分たちの民族のためのお墓。 そういったものを持っていこうという意識があったんだと思います。

 

そしてこのほら穴を墓地にするというのはこれもまた 壮大な 伏線 なんですけれども、 キリスト イエスが死して洞穴に作られた墓に葬られた

 

 

この箇所をここでは 伏線として貼っていると思います。 またこの辺りの土地は神様がアブラハムに「未来永劫 あなたの土地だ」と言われていた土地 なんですけれども 

 

 

最初は買い取って手に入れるという、 異民族と争いを起こさない 言ってみれば ソフトランディング的な手法でこの土地を手に入れようとしています。

 

当初は 買取 という形であったものの、土地を持ったことによって居住者つまり外国人や流浪の民ではなく、 そこに土地を持った人になったというアブラハムの人生の 非常に大きな第一歩のシーンでもありますね。

 

今日はこの”お墓”というものについて 様々な概念をここで見せてくれているかと思います。 墓を持つということは自分たちの家系 また その後の子孫へ 自分たちがどのように 興ってどのように生きてきたか を示すものであり、 それは多くの人々と共同墓地という形ではなく私設の場所を持つことによってその歴史が 引き続き語り継がれるものであるということを示していますね。

 

昨今は日本でもお墓を持つことへの金銭的負担、 また子孫にお墓参りは負担だと思ってしまう心情、 こういったもので散骨 または 永代供養 といったお墓を持たない選択をする人が増えていますけれども、 聖書の登場人物を見る限り お墓というのは その後の子孫のために作るものなんだなということを思います。

ちなみに私の住んでいるタイでももちろん 人々は生きてそして亡くなっていくわけなんですけれども、 一般のタイ人というのはお墓がありません。 いわゆる 散骨の形が非常に広く浸透しています。

 

2世代ぐらい前だと 中華系の方々 なんかはこのアブラハムのように、 どこぞの土地を買い取って そこをお墓にするというようなことが多く行われていました。 

 

ごく簡単に ではありますけれども、 この一般的なタイ人と中華系の人々の差というかですね 違い と言うんでしょうか、そういったものを見るのはやっぱり家族への思いだとか家族との絆 一族の絆というのがだいぶ やっぱり違うなということが思い浮かびます。

 

もしかしたら それはお墓があって子供の頃からお墓参りをすることで「自分が今生まれて死ぬまでの間の人生を生きるだけの人間ではなく、 先祖代々脈々と続いてきた家の一員である。 家族一族というものを大事にして生きていくべきである」ということを ”お墓参り”という行動を通して思いながら生きているのかもしれませんね。

 

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それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

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