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こんにちはマダムサトコです。 本日は”キリスト イエスの人生の不明瞭な部分の伏線箇所か”ということで お話ししたいと思います。

 

本日は 創世記 22章19節 から読んでいきましょう。

こうして、アブラハムは、若者たちのところに戻った。彼らは立って、一緒にベール シェバ へ行った。 アブラハムは ベール シェバ に住み着いた。

 

 

まずこのアブラハムは若者たちのところに戻ったということですけれども、私はこれも 伏線なのかなと思っています。 キリスト イエスが死後3日後に蘇って弟子たちのところに現れたという記述が新約聖書に出てくるんですけれども

 

 

この若者というのをキリスト イエスの弟子と見立てると、アブラハムはここではキリストイエスをなぞらえた形になってるかと思います。

 

つまり 神の言うことに聞き従い 全てが神として良しとされた後だということで、このアブラハムの若者たちのところに戻ったという記述とキリスト イエスの蘇りとなぞらえているわけですね。

 

そしてベール シェバ へ行ったとあります。 これはこのアブラハムの居住地ということで 過去何度か出てきていますけれども、 現在のガザ地区から東南へ 40キロほど下った地点ですね。

 

 

 現在のイスラエルの全体的な地図で見ますと、ちょうどこのベール シェバ というのは神様が乳と密の流れる土地と言ってくださった場所の真ん中あたりになります。

 

 

つまり アブラハムは居住をする場所についても神様の言うことに従ったということが ここからわかりますね。

 

20節 これらの出来事の後 アブラハムに次のことが伝えられた。「ミルカも またあなたの兄弟ナホルに子供を産みました。

 

 

 21節 すなわち 長男がウツ、 その弟がブズ、 それに アラムの父であるケムエル 

 

 

22節 次にケセデ、ハゾ、ピルダッシュ、 イデフラ、 それにベトエルです」。 

 

 

まぁこのところは 3つほど まとめて読みましたけれども、”いわゆる人の名前がダラダラ 書いてあってあんまり面白くはないところ”ですね。 その なぜ面白くないことが書いてあるかというと、この 22節の最後のベトエルですというのが重要な人物だからです。

 

 23節 ベトエルはリベカを産んだ。ミルカは これら 8人をアブラハムの兄弟ナホルに産んだのである。

 

 

このリベカ という女性 なんですけれども、 神によって命を救われた イサクの妻となるものが ここに出てきています。

 

アメリカ英語で言う レベッカという名前の語源というか 発祥の語ですね。日本人としては「なんか可愛いし おしゃれな名前だわ」と思うかもしれませんけども、 実は 聖書の時代からある非常に 歴史 長い また 古風な名前 なんですね。

 

このリベカとイサクの関係については また明日以降 読んでいきましょう。

 

そして22節の最後になる 24節を読んでいきましょう。

レウマという名ほどのそばめもまた、テハフ、 ガハム、タハシュ、マアカを産んだ。

 

 

この辺もですね、 いわゆる人の名前がダラダラ 書いてある 面白くない部分 なんですけれども、 これら 書いてある名前というのが その後 自分たちの部族を作っていき それぞれが民族としてまた国として別れていき家族が別れ 争っていくことになります。

 

日本語には「兄弟は他人の始まり」という言葉がありますけれども、 それは日本に限ったことではなく世界 そして 聖書の時代からそういうことがあったんだなということもまたこの場所から読めます。

 

 そしてこの箇所は「アブラハムの子孫が砂のようにまた空の星のように数多く増えていく」ということを神様が実現してくださっているのがわかる箇所でもありますね。

 

まあ 厳密にはアブラハムというよりは ”アブラハムの一族から”ではありますけれども、 それによってアブラハムの一族が強力となり いよいよ 代々続いていくということになりますので、 やはり これは神様の約束がアブラハムに行われているシーンだと考えられます。

 

本日は アブラハムがイサクを捧げなさいと言われる 苦しみから解放されて、 神様の与えてくださる 喜びの中にいるというシーンですね。 まあ 現在のスピっぽい言い方をすれば「苦しみから放たれて人生の新しいステージに身を置いた」とまあこんな言い方ができるかと思います。

また このリベカの登場というのが、 今後のアブラハムの一族 の展開を示しますが まあ 本当に 伏線の状態でこのリベカ というのが出てきています。

 

またここには イサクは出てきていませんね。 アブラハムは若者と帰ったと書いてありますけれども、 イサクが出てきていません。 これはキリスト イエスが12歳から30歳ぐらいまでどこで何をしていたのか全く記録がないということの 伏線なのかなと思ったりします。

 

キリスト イエスが12歳から30歳ぐらいまで何をしていたのか全く分かっていないということに関しては、 ”死海文書”ですとか ”クムラン教団の謎”ですとかそういったもので皆さん 目にされたことがあるかもしれませんね。

 

このイサクを捧げなさいと言われた時の「イサクの年齢」に関しては 本当に 諸説 様々な考察 というものがあるんですけれども、私はこの箇所 ”イエスの12歳から30歳ぐらいまでの青年期が確かな記録がない”というところからやっぱり イサク も 12歳から15歳ぐらいの少年だったんだろうなという風に思います。

 

ということで 本日もこの「書いてあることから 色々 想像して 聖書を読んでみる」というこのチャンネル、 皆さんに聞いていただくというのが最初の趣旨でしたけれども、今では”自分が聖書をこのように少しずつ しっかりと読んでみる” そして自分の中で思ったことを様々 整理して話にしていくということが非常に面白く 興味深い 日々の作業となっています。

 

引き続き 皆さんと共に聖書を読んで、「信仰ガー」とか「神様ガー」とかよりもまずは 

 

聖書は書物として非常に興味深いものである

 

ということを皆さんに引き続き ご紹介したいと思っております。

 

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それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。 

 

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