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こんにちはマダムサトコです。 本日は スピ好き必見! 天の声に気がつく方法 ということで お話しさせていただきます。 

 

本日は 創世記 22章11節から読んでいきましょう。 

その時、 主の使いが天から彼を呼び、「 アブラハム アブラハム」と仰せられた。 彼は答えた。「 はい。ここにおります 」

 

 

 

アブラハムは大事な大事な一人息子である イサクに手をかけようとしたところで、それを止める 声が入ったということですね。

 

ここで2回「アブラハム アブラハム」と 呼びかけていますけれども、 聖書や他のまあいわゆるスピッてる本なんかもこの”呼びかけ” というのは2回あるというような感じで書いてあることが多いです。

 

これを考えてみましたけども、きっと 一度目は「まず 呼びかけて 振り返らせる」で、1回だと気のせいかな?とやっぱり人間っていうのは思いますのでもう一度呼びかけることによって「 気のせいじゃない」と分からせるということが2回呼びかけてる理由 なのかなと思います。

 

つまり まず1度目はアブラハムに自分の存在を知らしめる、 そしてそれが確実に発せられている 声だということを2回目でわからせる。 このような形で2回呼びかけるということがあるんじゃないかな と私は思います。

 

そしてそれに「はい、ここにおります」 と答えています。きっとこのアブラハム以外にこの天使の姿は見えないと思います。 他の人から見ると アブラハムが一人芝居をしているように見えたかもしれないですね。 でもアブラハムにとっては確実に存在する声が聞こえるということですので、 しっかりと 「はい、ここにおります」と返事をしているシーンです。

 

12節 御使いは仰せられた。「 あなたの手を、その子に下してはならない。 その子に何もしてはならない 。今私は、あなたが神を恐れていることがよくわかった。 あなたは、自分の子、 自分の独り子 さえ惜しまないで 私 に 捧げた」

 

 

ここで、 アブラハムは信じた通りにギリギリの瀬戸際になって神様から「やめなさい」 という声を聞きました。 

 

よく「ピンチの神様は ギリギリになって登場する」というような言葉を聞いたことがあるかと思います。 もうどうしようもない 切羽詰まっている時にふっと誰かが助けてくれたり、 なんとかの支払いが迫っててもうこれが 逃してしまうと何々がダメになる!というような時にポコッと大金が入ったりとか。

 

まあそういった現象を「神様が ギリギリのタイミングまで助けるチャンスを待っている」というような言い方をしますね。それはあえて 「神様が”この人が神様の力を信じること”を促すためにギリギリのところで助けてくれる」というような言い方をしますね。

 

人間としては「もっと早く助けてよ! もう何日も何日も心配してたのに!!」と言いたくなるんですけれども、そういった 困難の中で”自分の力が及ばないところでしっかりと 守られている”ことを知るために、そのギリギリのタイミングまで神様は全然知らないふりして 助けてくれないそぶりを見せているというようなことも言われていますね。

 

つまり 信じていれば 今目の前でどうも「この肉眼で見たらこのままじゃ 到底 破綻する」と分かっているようなことも、信じていればその時になって必ず助けが現れる。まあこういうことも この箇所の教訓 の一つですね。

 

そしてもう一つ この箇所はまたしても大きな大きな 伏線の一つです。 それはこの自分の独り子さえ惜しまないで私に捧げたというところですね 。

これはもう 皆さん 言わずもがなでございますけれども、神様がキリストイエスを人間の罪のために 捧げてくださったことへの伏線ですね。

 

 一つ この箇所の漢字 日本語の部分ですね

 

 

でちょっとこうじゃないかなと思う点があるんです。それは「あなたが神を恐れることが」のこの”恐れ” ですね。 これはいわゆる 恐怖の恐の字が書いてありますけれども、私はこれ 恐怖の恐ではなくて畏怖の”畏”が当たるんじゃないかなと思っています。

 

この漢字の怖いの方だとなんとなく「言うことを聞かないと罰を与えられるから怖い」というようなイメージの感じの使い方 かなと思います。 畏怖の畏の方ですと、単に何々が怖いというよりは 「人間の力が 遠く及ばない 存在をおののいている」ようなイメージになるかと思います。

 

ですので この箇所ではアブラハムは自分の大切なひとり子である イサクをも神様の畏怖を感じて その言葉に真摯に従おうとした。 それがよくわかった だからもう 捧げなくてもいいよ、と言われている箇所ですね。

 

本日は アブラハムが神様の使いから話しかけられて、 それに対して 声を出して答えているところです。まあ 他の人から見たら何やってんだろう?なんか独り言 ブツブツ言ってるぞ? というように見えたかもしれません。

 

まあ ここには アブラハムとイサク しかいませんでしたから、この神の使い の出現とそれに対するアブラハムの対応というのは イサク だけが見ていた。 そして イサク も自分の目で本当に神様がいるということを見たんでしょうね。

 

そしてこの辛い経験、 神様に「子供を捧げなさい」と言われるし、子供は子供で「親に殺されるかもしれない」という中にいましたけれども、 この辛い経験を通して2人が神様に対する信仰心をより強めていく。 

 

その過程として この苦しみが必要だった。 しかし神様は寸でのところでそれを止め、 神様の力を見せて また信仰心がより向上することになった。 こういったことが この アブラハムとイサクに起きたでしょうね。 

 

そして 伏線としては キリスト イエスの出現を予言している箇所でもあるということですね。

 

皆さんはこのように神様に話しかけられたという体験はお持ちでしょうか。 多くの人が もしかしたら 「あるにはあるけど他人に言ったことはない」ということが多いかもしれないですね。 もしくは「気のせいだよ、 気のせい」 として目に見えることが この世の真実だとして そういった声を聞こうとしない、 何かの空耳 だったと思ってるかもしれませんね。

 

ちなみに私は実はあるんですね。

 

12年ほど前の話なんですけれども、 非常に人生に様々な 迷いを感じていた時ですね。 仕事で何か考える時以外はずっと同じことを祈っていました。「どうか私を 主がご計画した通りの私にしてください」 こんなことを数ヶ月ですかね ずっと祈ってました。

 

そうしましたら ある日の朝です。 完全に目が覚める前のまだうつらうつら している状態の時にやはりこの祈り 「神様がご計画した通りの私にしてください」と祈ったところ、「 そうしよう」という声がお腹から聞こえてきました。

 

「 そうしよう」と その声を聞いて 「今 そうしようって言ったよね?」 と慌てておきました。これを境にいろいろな悩みに新しい ドアがバンバン 開くようになって 、新しい道が見えてきて「あ、 これが導きなんだな」と思うことがありました。

 

それを見ていた友人の目には 私が 荒唐無稽な無茶苦茶な道を取ろうとしているように見えていたと思いますけれども、私の中では私が願ったように「神様が私をご計画してくださった通りの私になるんだ」 という確信を持って行動をしました。

 

ということがありましたので、 皆さんももし人生の中で何かしらの 迷い事があった時は「神様がご計画した通りの私にしてください」 と数ヶ月 祈ってみるといいかもしれないですね。 そしてある日 聞こえてきた 声が導く方向へ進んでいくと、大きな人生の変化に巡り合えるかもしれないですね。

 

ということで 本日は 神様の呼びかけ ということで お話をさせていただきました。 この投稿が面白かった 興味が持てたという方は アメブロでのフォロー、youtubeでのチャンネル登録 高評価 ボタン お知り合いへの拡散をよろしくお願いいたします。。その他 Instagram や Twitter なども行っておりますので覗いていただけると嬉しいです。

 

それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。 

 

 

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