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こんにちはマダムサトコです。 本日は14歳の少年を全焼して捧げなさい 今なら即 児相 通報?! というお話をしていきたいと思います。

 

本日は 創世記 22章1節から読んでいきましょう。 

これらの出来事の後、 神はアブラハム を試練に合わせられた。 神は彼に、「アブラハム よ」と呼びかけると、彼は、「 はい。ここにおります」 と答えた。 

 

 

まず”これらの出来事”というのは非常に色々ありますね。 100歳のアブラハムと 90歳のサラの間に生まれた2人の子、 イサク。 このイサクの2歳の誕生日というのが 直近で イサクの名前が出てきた箇所でしたね。

 

そこでイサクにもしかしたら 手をかけようとしていた?サラがアブラハムにあてがった 愛人・ハガルの子供である イシュマエルが 部族から追い出され、「その子は大きくなって 砂漠で暴れまわるものとなった」という記述がありましたので、まあ10年ぐらいは経ったのかな と思います。

 

そうしますと イサク だいたい12歳から15歳ぐらい、ちょうど 日本の昔の暦で言うと 男の子だったら 元服ぐらいの年齢かと思います。 つまりこの箇所は神様がアブラハムに久しぶりに話しかけるシーン とも言えるかもしれませんね。 そしてここに書いてある通り その内容は試練であるということです。

神様は 今の今までアブラハムには良いことばかりをしてこられたのに、どうしてここでは試練ということになるのでしょうか。 それはこの続きを見ていきましょう。

 

2節 神は仰せられた。「 あなたの子、 あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。 そして 私があなたに示す 1つの 山の上、で全焼のいけにえ としてイサクを私に 捧げなさい」。

 

 

まず現代の感覚で読むと これはものすごい 児童虐待じゃないか?!ということが指摘される箇所でもありますね。 イサクを全焼のいけにえとして捧げなさいって、 そりゃあんたまたぁなんとも、、、と思うようなセリフが書いてあるなという箇所ですね。

 

そしてもう一つ、 この箇所というのはこの聖書の中の非常に重要な部分の壮大な 壮大な 伏線 となっていることです。

 

このチャンネルでは「ここは伏線です」という箇所はすぐにネタバレするのがコンセプトですので ここで ネタ明しをしますけれども、 この

 

あなたの愛しているひとりごを

私があなたに示す 1つの 山の上で

私に捧げなさい 

 

これはイエスキリストが、このアブラハムが生きた時代から何千年も後に登場するんですけれども、 イエスキリストが人類の罪を負って その命を神様に捧げ 人間の罪を贖った、あのシーンの大いなる大いなる 伏線 なんですね。

 

このように 聖書 まあ 旧約聖書と新約聖書というのがあるんですけれども、 この旧約聖書というのにはもう随所に「イエスキリストがどうなるか」ということ、 イエスキリストの出現 だったり イエスキリストの血による 贖いとか、もうそういったことの予言 今で言う 伏線とかそういう感じなんですけれどもそういったものが随所に織り込まれています。

 

まとめて このシーンをお話しします と

14歳ぐらいの男の子を全焼の生贄にしなさい 

しかもその子はアブラハムが100歳になってやっと生まれた唯一のひとり子。大事な 唯一の家督相続者なわけですよ。 

 

まあ神様 あの えらい無理筋を要求されてるんですけれども、「本気ですか」ときっと アブラハムは言いたかったと思います。

 

このお告げを聞いた時 アブラハムというのはどれだけ悩んだだろうなと私は思います。 今まで神様の言うことを聞いた時もあれば 聞かなかった時もあるという、 ちょっと よれたりちょっと横道にそれたりはしましたけれども、「 神様の言うことを聞いていれば自分には大いなる幸が与えられる」こう 信じてきたアブラハムに対して、「ひとり子を捧げなさい」 そりゃあもう連日連夜 「本当ですか、 どうしても ですか」と悩みに悩んだんだろうな と 私は想像します。

 

今日は 神様の試練とは? ということをちょっとお話ししてみようかなと思います。 皆さんも人生の中で 「えーこれ 困ったな」 と思うことってもしかしたら 何年かにいっぺん 結構あったりするかもしれませんね。 

 

人によっては 健康問題だったり 人によっては 経済問題だったり。 自分にとってはものすごく 試練だと感じることが目の前で起こって、 そして自分が巻き込まれて否応なしに 自分が変わっていく。自分が今まで守ってきたもの自分が今まで良しとしてきたものが、音を立てて崩れていく。

 

 こういった試練に皆さん 合っている時、 皆さんはどう感じ どうするのでしょうか。 世の中には 「祈っても 踊っても何も変わらないよ」 という人たちは たくさんいますね。「 そんなことするよりも 手っ取り早く 目の前の現金を稼がなきゃ」と経済的に困っている人はそういうことを言う人がいますし、健康問題を抱えている人は「そんなことよりも とにかく早く手術をして何とかしなきゃ」と 目の前で目に見える手段でなんとかしようとする。

 

どちらも必要なことではあると思います。 でもそういう時に一度落ち着いて 祈ってみる。思いを巡らせてみる。「 これが私にどのような意味があるのか」ということを今一度考えてみる。 そんなタイミングがあってもいいんじゃないかと思います。

 

そして 聖書の他の箇所 なんですけれども、 神は私たちに乗り越えられない試練は与えません という言葉もありますし

 

 

 神はその試練を耐えられるように脱出の道も必ず合わせて備えてくださっている、という言葉があります。

 

アブラハムのこのシーンでアブラハムがその言葉を知っていたかどうかは分かりません けれども、 このような試練にアブラハム また私また皆さんが直面した時でさえ、「 神様は必ずその試練とともに 脱出の道を備えてくださっている」と思うと まずは落ち着いて何をするべきか、 そして 中長期的にどうするべきかということが見えてくるかもしれませんね。

 

ということで 本日の箇所が興味が持てた面白かったという方はアメブロでのフォロー、youtubeでの 高評価チャンネル登録 お知り合いへの拡散をよろしくお願いいたします。その他 Instagram や Twitter なども行っておりますので覗いていただけると嬉しいです。

 

それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

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