動画はこちらから
↓   ↓   ↓

 

 

 

こんにちはマダムサトコです。本日も イースター 大解剖!ということで イースターにまつわるお話をしていきたいと思います。

 

本日は皆さんもどこぞで見たことある・ 聞いたことのある言葉 、また絵ですね。

 

最後の晩餐

 

についてお話をしたいと思います.

 

皆さんは最後の晩餐 と聞くと 例えば 「恋人と別れるという話が出てきた時に最後にちょっと お食事でもしましょうか」 という時に最後の晩餐とそれを呼んだり、これから 苦難の旅になるなということがわかってる前に盛大に何かを食べてみんなに 励ましてもらって、 「これが最後の晩餐 だ」と思いながら食べる食事のことをそう呼んだりしますね。

 

そして 絵の方は有名なレオナルドダヴィンチが描いたですね。 ミラノのサンタマリアデレグラッセ 修道院にありまして、 私もこの絵は直接見たことがあります。

 

この聖書を読んだことがない人もよくご存知の最後の晩餐とか 絵とかは、 これどこの何を指しているのでしょうか。 実はこのイースターと深い関わりがあるんですね。

 

聖書の箇所で言うと マタイの福音書26章20節から読んでいきましょう。

 

20 さて、夕方になって、 イエスは12で人 一緒に食卓に着かれた。

 

 

この12弟子という名の 「12」というのが この 聖書では非常に大きな意味を持つ 伏線張りどころ なんですね。 現在の私たちの生活の中で言うと時間は12時間制になってみたり、 1ダースという言い方で12個を表したり、 その他 たくさんありますけども まあこういった形で実は 現在の私たちの生活にも関わっている 12という数字がここで現れています。

 

そしてこの最後の晩餐というのは 12弟子と一緒に食卓に着かれた、 つまり 12 弟子とともに食事をしている時に起こったこと ということですね。

 

21節 皆が食事をしている時、 イエスは言われた。「 誠に あなた方に告げます。 あなた方のうちの1人が、私を裏切ります。」 

 

 

レオナルドダヴィンチが書いて非常に有名になったこのシーンは、この21節のシーンを書いています。 ダヴィンチが描いた作品というのは テンペラ という技法で書かれておりまして、 年代とともに 朽ちが非常に激しかったんですけれども 現在の手法で復元とかX線で何とかを調べてーとかいろんな方法があるのですが、

それから割り出されたものを見ると、この壁画はイエスが口を開けている姿で描かれているそうです。 その口が何と言ってるかというと、「 あなた方のうち一人が 私を裏切ります」と言って話している姿が描かれているということです。

 

22節すると、弟子たちは非常に悲しんで、「 主よ。 まさか私のことではないでしょう」 と代わる代わる イエスに言った。

 



非常に悲しんでと書いてあるので、まあ真剣には言ってたんだろうなとは思うんですけれども、「 そんなこと私は思ってないよ」 という人がこの「まさか私ではないでしょうか」とこのセリフが言えると思うんですね。

 

本当に裏切ろうとしている人は「私のことですか」 というのは聞けないと思います。 ずばり 自分のことを言われて ドギマギして下を向いて黙ってる、というのが 人間の心理じゃないかと思います。

 

なので ここで「まさか私のことでは」 と話してる弟子達っていうのは 能天気ですし、 裏切らないし 裏切る 気持ちもない ということで ここに書かれているのかな と思います。

 

23節 イエスは 答えて言われた。「私と一緒に 鉢に手を浸したものが、 私を裏切るのです。」 

 

 

これはつまり いわゆる「同じ窯の飯を食べたものが 私を裏切る」という、まあ日本的な言い方をしますとそういうことですね。

 

つまり 「仲間として 寝食を共にしたものが 私を裏切る」という風に言ってるわけですね。 つまり 「身内に 内通者がいるぞ」 という 告発をここでしているわけです。

 

24節 確かに 人の子は自分について書いてある通りに去っていきます しかし人の子を裏切るような人間は災いです そういう人は生まれなかった方が良かったのです

 

 

 この箇所は非常に手厳しく書いてありますね。 イエスは「自分が十字架にかけられるのは神のご意志であるから それはいいんです。 しかし人間が敵と内通して裏切るようなものは災いです」 と書いてあります。 

 

そして「そういう人は生まれなかった方が良かった」、 これはもし自分が 内通者であって そしてそれを目の前で言われたら、本当にさっきの弟子たちのように「私ですか 私ですか」 なんて言えずに顔を真っ赤にして下を向いてガタガタ震える、 生まれてこない方が良かったと言われるほどの激しい言葉で非難をされる、イエスがなかなかの人間的な激しさで 弟子たちを前に裏切り者について話しているシーンですね。

 

25節すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが答えていった。「先生。 まさか私のことではないでしょう。」 イエスは彼に「いやそうだ」と言われた。

 

 

きっと ユダ というのは 他の弟子たちと違って 1人だけ本当に下を向いてガタガタ震えていたと私は思っています。 でそれを見て イエスも「あいつだな」と思った、ということはないと思いますよ。 イエスっていうのはもうすでに誰が裏切ってるのか、 なんていうのは とうの昔に知ってたと思うんですけれども、 それを本人の前で指摘して本人の態度がそのようだったので 「あーやっぱりな」って思ったことはあったと思います。

 

そして まさか 「先生 私のことを言ってるんではないでしょうか」ときっ と 恐る恐る 聞いたと思うんです。 そして このユダは自分で自分のことを聞きながら 「いやでもイエスは優しい先生だから違うよ と言ってくれる」というわけのわからない期待を抱いていたのかもしれないですね。

 

そんなユダのわけのわからない 期待には応えずにイエスは「いやお前が裏切り者だ」とはっきり言っています。

 

というシーンが この レオナルドダヴィンチが書いた非常に有名な作品である 「最後の晩餐」のシーンですね。

 

また あんまり言わないかもしれません けれども 裏切り者のことを 「ユダ だ」とか 裏切り者のユダ という言葉そのままを使う方もまあまあ いらっしゃると思うんですけれども、 その語源というのも この箇所ですね。

 

イエスを裏切った ユダのことを裏切り者として2000年も前のことなのに、 未だに良からぬ企みをする 裏切り者の代名詞としてユダという名前が使われているわけですね。 

この最後の晩餐、 本物のミラノにあるやつですね。 これを日本の徳島県の大塚国際美術館

 

 

というところが 陶板、 焼き物の板ですね、 あれを持って 原寸大でこの作品を再現しています。

 

そして修復前の姿もう ガサガサのボロボロのやつと修復後の きれいになったもの 並べて見れるというですね

 

 

世界で唯一の美術館がこの徳島県の大塚国際美術館です。 私はこの美術館は行ったことがないんですけれども、 まあ YouTube で 何度か 拝見して ああ 行ってみたいなと思っている美術館です。

 

皆さんも ミラノに行くのはちょっと大変だけど、 徳島県ならまあ 行けるかな と思うようでしたら レオナルドダヴィンチの最高傑作とも言われる 最後の晩餐を徳島県で見てもらうのもいいんじゃないかなと思います。

 

今日の箇所が面白かった 興味が持てたという方はアメブロでのフォロー、youtubeでの 高評価チャンネル登録 お知り合いへの拡散をよろしくお願いいたします。 その他 Twitter や Instagram なども行っておりますので覗いていただけると嬉しいです。

 

それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。 

 

動画はこちらから

↓   ↓   ↓

 

 

 

Twitterはこちらから

↓   ↓   ↓

https://twitter.com/BKKMadam_Satoko

 

インスタグラムはこちらから

↓   ↓   ↓

https://www.instagram.com/bkk_madamsatoko/