動画はこちらから
↓   ↓   ↓

 

 


こんにちはマダムサトコです。 本日は イースターの前ということで、 イースターにまつわる いろんなお話をしていきたいと思います。

 

本日は 「犠牲の子羊って何」を というお話をしたいと思います。

 

皆さんも「犠牲の子羊」とか「スケープゴート」とかそういった言葉を聞いたことがあるかと思います。 皆さんは「誰かの代わりに叱られるとか罰を受ける」とかそういった意味で この犠牲の子羊 だとかスケープゴートという言葉を使っているかと思います。

 

そして この言葉が 実は 聖書 発祥であることは 皆さんご存知でしょうか。

 

日常的に何気なく、 日常的に犠牲が発生するような状況っていうのも日常じゃないかもしれません けれどもww、 ちょっと「誰かの身代わりに叱られてるなあ」と思うような時に、この言葉がどこから来て 本来はどういう意味だったのかということを 豆知識として知っておいていただくと良いかと思います。

 

まずこの「犠牲の子羊」というのは何を持ってそういう風に言ってるのかと言いますと、その昔は神様に礼拝するというのが非常に重大かつ 神聖なことでした。

 

罪のある人間は神様の前に出られないとされていました。 ここでいう罪というのは、 何かを万引きしたとか誰かを殺したとかいわゆる 私たちが 罪とか 犯罪 とか聞いた時に思い浮かべるような何か 誰かの財産を奪い取ったとか壊したとかそういうことではなくて、

 

ここでいう罪というのは「本来自分たちを作ってくださった神様の方に目を向けて、神様の導く通りに歩んでいく進んで行く 生きていくというのが本筋 なのに、 目の前の生活を優先したり 目の前の欲に駆られて 神様とは違う方向に行ってしまった。 神様に従わなかった」ことを罪と言っています。

 

で、その罪を持ったまま 神様の前には出られない。なんせ 神様に従わなかったという罪ですからね。その罪をどうすればその人が清くなる、その人から 罪がなくなるかというと、

 

怪我や病気のない小羊を連れてきてその小羊の頭の上に手を置いて

 

 

「私の罪は私から この小羊に移りました」 と宣言をしてその子羊を屠る。それにより子羊の命と、また罪を清める血しぶきによって(まあ小羊を屠った時に血しぶきが出ますので)その私の罪がこの子羊に移りました、と言った人に「あなたはこの血しぶきによって清いですよ」という意味になるわけですね。

 

その命=血ですね、血が出るからこそ命が犠牲となって捧げられる。 これによって犠牲の子羊、 つまり 人間の罪の代わりを背負って ほぐられた命を捧げてくれた子羊のことを 「犠牲の小羊」と呼ぶわけですね。

 

皆さんも子供の頃 いたずらをなんかして何か壊してしまったしまった、「 これは親が大事にしてるものだよし 私じゃなくて 弟が壊したことにしよう」なんて 弟のせいにして弟が叱られている、 まさにこの弟が犠牲の子羊の立場なわけですね。

 

これが まず 「犠牲の子羊」 の 本来の意味です。

 

そしてそれがイエスキリストが出てくるとキリストのことを 犠牲の子羊と 呼んでいるわけですけれども、 これはどういう意味かというと

 

古代は人間の罪を羊を屠って神様に捧げることで 罪がなくなった、 清いとされていました。

けれども イエスキリスト神の独り子であるイエスキリストが私たち人間の罪を負って、人間の罪のためにその命を捧げた。 またその時に出た血潮、槍で脇腹を刺されておりますのでその時に血が出てるんですけれども、 その血潮で人間を 清いとしてくださった。

 

このイエスの犠牲によって人間はきよいとされ、 神様に良しとされて、 神様に直接 祈ったり 直接 拝んだり (礼拝とかですね) することができるようになったということですね。

 

この イエスが犠牲の子羊として命を捧げるシーンが皆さんも一度は見たことがあると思いますけれども、 十字架にイエスがかかっている あの姿ですね。

 

あのように 神の仔羊が人間のために命を捧げてくださった、 これを 「イエスが神の子羊として捧げられた」ということですね。

 

もう一つ 羊 関連 として 「迷える子羊」という言葉も皆さんご存じだと思います。 もうどうしたらいいかわからない、 何を選んだらいいかわからない。人間の人生には迷いや悩みというものは 尽きないですよね。 それはまるで 群れから離れてしまって迷ってる羊のようなものですよね。

 

そしてそのはぐれて迷って道を見失ってしまった 小羊を探しに行くのが、またこれ イエスキリスト なんですね。 人間は弱ってる時ほど 神様の言葉が心に染み込みやすいというのは 皆さんももしかしたら体験があると思いますけれども、 そういう時に出会った 何か、 例えば 聖書だったり 例えば まあ 他の何か 信じるようなものあるかもしれません けれども、

 

そういった人間が弱ってる 迷ってる時のことを 「迷える子羊」といい その子羊を探して 助けに行くのがイエスである、というのが 聖書のお話ですね。

 

ということで 本日は 羊をキーワードとしてお話をさせていただきました。 明日はまた イースターに関わる別のお話をしたいと思っています。 今日の箇所が面白かった 興味が持てたという方はアメブロでのフォロー、youtubeでの 高評価チャンネル登録 お知り合いへの拡散をよろしくお願いいたします。その他 Twitter や Instagram なども行っておりますので覗いていただけると嬉しいです。

 

それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。

 

動画はこちらから
↓   ↓   ↓

 

 


Twitterはこちらから
↓   ↓   ↓
https://twitter.com/BKKMadam_Satoko

インスタグラムはこちらから
↓   ↓   ↓
https://www.instagram.com/bkk_madamsatoko/