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こんにちはマダムサトコです。本日は 創世記18章6節から読んでいきましょう。

 

6 そこで、 アブラハムは 天幕のサラのところに急いで行って言った。「 早く、 三セアの上等の小麦粉をこねて、 パン菓子を作っておくれ 。」

 

 

前回のところで アブラハムは「この通りかかった旅人たちに何とかして うちの80歳の妻を NTR してくれないかな」ということで 懇願したところ 「OK」 と言ってもらい、 それで 急いでサラのところに行って”上等の小麦で”と あえて言っているということは ”このお客さんたちがどれほど大切な人か”ということが ここから現れています。

 

もちろんこの言葉を聞いてサラも”ピン”と来たんじゃないでしょうか。「 今晩 ついに私は NTR になるのかしら」 というような気持ちがあったかもしれません。

 

7節 そして アブラハムは牛のところに走って行き、 柔らかくて、美味しそうな子牛を取り、若いものに渡した。若い者は 手早くそれを料理した。

 

 

これはですね、 もちろん 聖書には書いてないんですけれども私の解釈としましては 

 

柔らかくて美味しそうな子牛というのを”サラ”に見立てて、”若い者に渡した”。 この旅人 というのは何歳かというのはもちろん書いてないんですけれども、 まあ アブラハムやサラよりは若かったことでしょう。

 

つまり ”自分の持ち物”を”その若い人たちに渡す”、 もしかしたら こんな暗喩もここに込められているのかもしれませんね。

 

そして若者は 手早くそれを料理したとありますので、80歳のサラを若い男に差し出して「あ、えーと、 あのあれがその」 というのが ”手早く行われた”

の暗喩なのかもしれません。

 

このチャンネルは大人の教養として読む聖書ではあるんですが、ここのところは”別の意味の大人の読み方”というのもあるような気がします。

 

8節 それから アブラハムは、凝乳と牛乳と、 それに、料理した子牛を持ってきて、彼らの前に備えた。彼は、木の下で 彼らに給仕をしていた。 こうして彼らは食べた。

 

 

ここも ですね 色んなこ の暗喩 比喩が隠されています。

 

まずこの牛乳と牛乳、 これは 今で言うチーズや ヨーグルトのようなものと牛乳という意味ですね。 まあその ”白っぽいものが いろいろ”と思うと大人な解釈としては夜のアレをなんとなく連想するように感じますけれども、 まあそういう意味があるのかどうか 狙ってたかどうかは分かりません。

 

そして料理した”子牛”を持ってきて、 これは自分の80歳の妻であるサラを見立てておりますので、 「白っぽい何かとサラ、彼らがそれを食べる、 しかも 力強さを象徴する木の下で」とまあこういう暗喩 比喩を込めて読むと、聖書が難しいとか真面目そうだとか全く思えないような感じですね。

 

9節 彼らはアブラムに尋ねた。 「あなたの妻サラはどこにいますか。」 それで 、「天幕の中にいます」 と答えた。 

 

 

これを聞いた時 アブラハムは「ぃぃぃよっしゃー !」と思わずガッツポーズをしたんじゃないでしょうかね。 「そうだ、 その通りだ、 俺が親切にしたのはそこが目的だったんだ、 さあ 行ってくれ、 行ってくれ!!」と心の中で思っていたことでしょう。

 

 10節すると1人が言った 「私は来年の今頃、 必ずあなたのところに戻ってきます。 その時、あなたの妻サラには、 男の子ができている」サラはその人の後ろの天幕の入り口で、聞いていた。

 



ここでサラが聞いているということはサラも心の中で「よし、 今日はいつもの アブラハムのおじいさん チックなあれじゃなくって えーと アレよ」と思ったでしょうね。

 

そして 来年の今頃 必ずあなたに男の子ができる、 もう これは「この人が今晩 サラを ああしてこうします」という宣言に聞こえたでしょうね。

 

11節 アブラハムとサラは年を重ねて 老人となっており、サラには普通の女であることがすでに止まっていた。

 

 

この箇所はアブラハムとサラが肉体的にはすでに子供を作ることが不可であることを改めて言っています。 つまり 「行為自体はできても子供なんてできやしない」ということをここであえて一言 挟んでいます。 その理由は 続きを読んでみましょう。

 

12節 それでサラは心の中で笑ってこう言った。 老いぼれてしまった この私に、何の楽しみがあろう。 それに主人も年寄りで。」

 

 

これを見るとサラは一見 諦めているようなセリフに聞こえますよね。

 

でも私はここを反語と捉えています。 「私に何の楽しみがあるだろうか、 いや ある」という理解をしています。

 

そうしますと「老いぼれてしまった私にも今日ここを訪れた旅人たちと楽しむことがある」、サラもやる気満々ということですね。

 

 そして「それに主人も年寄りで」というのは まるで子供ができないのはこの老いぼれの夫のせいだというような言い方をしているように見えます。

 

つまり サラには肉体的にはもう不可能な感じではあったんですけれども ”ヤる気はあった”というように私には読めます。

 

本日は80歳のサラ、実は性欲満々だったというようなお話になっております。

 

こういう話を読んでますと、子供ができない原因は 実はアブラハム だったのかというような印象を受けたりもしますけれども、 まあ 夫婦には夫婦にしか分からない あれこれがありますので、片方がやる気でも片方がそうでない時もありますよね。

 

でも「相手が変われば何とかなるかもしれない。 あの 老いぼれじゃなくて若い男だったらなんとかなるかもしれない」とこれはどうですかね、 女性だったら結構 思うことかもしれないですね。

 

またアブラハムの方も 「このチャンスは絶対に逃さない」という気合いがよく伺えるシーンです。

 

今日のシーンは実はこれまでのアブラハムとサラの人生を 意外な点から見ることができる箇所かと思います。

 

まずアブラハムは「自分では無理だから他の人にサラを NTR してもらおう」としています。 これ、 案外 アブラハムはサナとあんまり 夜のあれをしてないんじゃないかと思います。

子供ができないのは夫が老いぼれだからと言っておりますけれども、 本当は”老いぼれ” という理由じゃなくて、 何か この2人の間に感情的なしこりがあったんじゃないかなというようにも読めます。

 

だいぶ前になりますけれども この創世記の12章でアブラハムはサラをエジプトのパロに差し出しておりますので

 

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まあ どうもこの辺りからあの夫は信用できないわ、 というような感情的なしこりがあって夜の時間にも 睦まじくもなれず、24年間 神様の子供あげるあげる詐欺にあってるような気がしてたんだけども、

 

実はこの男女の機微とか内面の感情とか、そういったものが 本当の原因だったんじゃないかと思います。

 

このチャンネルは先ほども申し上げました通り ”大人の教養として読む聖書”というチャンネルなんですけれども、 ここ最近は”大人っぽい 解釈をする 聖書 解読” っていう感じになってますね。

 

それでも皆さんが聖書 という書物に対して難しそうだとか 硬そうだとかなんとか教の人が読む本 だとか、そういった 固定観念を捨てて 書物としての楽しさを楽しんでいただけるんだったら幸いです。

 

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それでは今日はここまでです。 ご視聴 誠にありがとうございました。 

 

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